智囊 / 集哲・王章妻
王章為諸生,學長安,獨與妻居。章疾病,無被,臥牛衣中。與妻訣,涕泣。其妻呵怒之曰:「仲卿在廷,貴人誰逾仲卿者。今疾病困厄,不自激昂,乃反涕泣,何鄙也!」後章歷位至京兆,欲上封事,妻又止之曰:「人當知足,獨不念牛衣中涕泣時耶?」章曰:「非女子所知。」書遂上,果下廷尉獄,妻子皆收係。章小女年可十二,夜起,號哭曰:「平日獄上呼囚,數常至九,今八而止,我君素剛,先死者必君。」明日問之,章果死。〔吳長卿曰〕「妻能料生,女能料死,雖然,其妻可及也,其女不可及也。」
新字:王章為諸生,学長安,独与妻居。章疾病,無被,臥牛衣中。与妻訣,涕泣。其妻呵怒之曰:「仲卿在廷,貴人誰逾仲卿者。今疾病困厄,不自激昂,乃反涕泣,何鄙也!」後章歴位至京兆,欲上封事,妻又止之曰:「人当知足,独不念牛衣中涕泣時耶?」章曰:「非女子所知。」書遂上,果下廷尉獄,妻子皆収係。章小女年可十二,夜起,号哭曰:「平日獄上呼囚,数常至九,今八而止,我君素剛,先死者必君。」明日問之,章果死。〔呉長卿曰〕「妻能料生,女能料死,雖然,其妻可及也,其女不可及也。」
書き下し
王章諸生たりしとき、長安に学び、独り妻と居る。章疾病あり、被無く、牛衣の中に臥す。妻と訣れ、涕泣す。其の妻之を呵怒して曰く、「仲卿、廷に在りて、貴人の誰か仲卿に逾ゆる者あらん。今疾病困厄にして、自ら激昂せず、乃ち反って涕泣す。何ぞ鄙しきや」と。後に章位を歴て京兆に至り、封事を上らんと欲す。妻又た之を止めて曰く、「人は当に足るを知るべし。独り牛衣の中に涕泣せし時を念わざるか」と。章曰く、「女子の知る所に非ず」と。書遂に上り、果たして廷尉の獄に下り、妻子皆な収係せらる。章の小女は年十二ばかり、夜起きて号哭して曰く、「平日獄上に囚を呼ぶに、数は常に九に至る。今は八にして止む。我が君は素より剛なり、先に死せる者は必ず君ならん」と。明日之を問えば、章は果たして死せり。〔呉長卿曰く〕「妻は能く生を料り、女は能く死を料る。然りと雖も、其の妻は及ぶべし、其の女は及ぶべからず」と。
現代語訳
王章は学生のころ、長安で学び、妻とだけ暮らしていた。章が病にかかり、掛け布団がなく、牛の衣(粗末な敷物)の中に臥していた。妻と別れを告げようとして、涙を流した。その妻は叱って言った。「仲卿(王章の字)は朝廷にあって、身分の高い人で誰があなたに勝りましょう。今、病と困窮にあるのに、自分を奮い立たせず、かえって泣くとは。なんと卑しいことか」。のちに章は官位を歴任して京兆尹になり、密封の上書をしようとした。妻はまたそれを止めて言った。「人は足るを知るべきです。牛衣の中で泣いていた時を思い出しませんか」。章は言った。「女の知ることではない」。書は上げられ、果たして廷尉の獄に下り、妻子もみな捕らえられた。章の末の娘は十二歳ほどで、夜に起きて号泣して言った。「ふだん獄で囚人を点呼すると、人数はいつも九人に達します。今日は八人で止まりました。お父さまはもともと剛直です。先に死んだのは必ずお父さまです」。翌日に尋ねると、章は果たして死んでいた。〔呉長卿が言う〕「妻は生きることを見通し、娘は死を見通した。しかしその妻には及ぶことができるが、その娘には及ぶことができない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十二年 宋襄の仁邾人須句の故を以て師を出だす。公邾を卑しみ、備へを設けずして之を禦ぐ。臧文仲曰く、「國に小無し、易るべからざるなり。備へ無ければ眾しと雖も、恃むべからざるなり。《詩》に曰く、『戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し』と。又曰く、『之を敬め之を敬め、天惟れ顯かなり、命易からざるかな』と。先王の明德すら、猶ほ難しとせざる無く、懼れざる無きなり、況んや我が小國をや。君其れ邾を小なりと謂ふ無かれ。蜂・蠆すら毒有り、而るを況んや國をや」と。聽かず。八月、丁未、公邾の師と升陘に戰ひ、我が師敗績す。邾人公の冑を獲て、諸を魚門に縣く。楚人宋を伐ちて以て鄭を救ふ。宋公將に戰はんとす。大司馬固諫めて曰く、「天の商を棄つること久し。君將に之を興さんとするは、赦すべからざるのみ」と。聽かず。冬、十一月、己巳、朔、宋公楚人と泓に戰ふ。宋人既に列を成し、楚人未だ既くは濟らず。司馬曰く、「彼は眾く我は寡し。其の未だ既くは濟らざるに及びて、請ふ之を擊たん」と。公曰く、「不可なり」と。既に濟りて未だ列を成さず、又以て告ぐ。公曰く、「未だ可ならず」と。既に陳して而る後に之を擊ち、宋の師敗績す。公股を傷つけ、門官殲く。
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『酔古堂剣掃』集法・拙く初めに戒む其の巧みに末に持せんよりは、拙く初めに戒むるに若かず。
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『酔古堂剣掃』集法・平地を履みて恐る君子は青天に對して懼れ、雷霆を聞きて驚かず。平地を履みて恐れ、風波を涉りて疑はず。
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論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
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論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
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易経・鼎卦鼎趾を顛(さかしま)にすとは、未だ悖(もと)らざるなり。否(わる)きを出すに利ありとは、以て貴きに従ふなり。鼎に実有りとは、之(ゆ)く所を慎むなり。我が仇疾有りとは、終に尤无きなり。鼎の耳革まるとは、其の義を失ふなり。公の餗(そく)を覆すとは、信に如何せん。鼎黄耳ありとは、中以て実と為すなり。玉鉉上に在るは、剛柔節あるなり。
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