智囊 / 集哲・侯敏妻
則天朝,太僕卿來俊臣之強盛,朝官側目。上林令侯敏偏事之,其妻董氏諫曰:「俊臣國賊也,勢不可久,一朝事壞,奸黨先遭,君可敬而遠之。」敏稍稍而退,俊臣怒,出為涪州武隆令,敏欲棄官歸,董氏曰:「但去莫求住。」遂行,至州,投刺參州將,錯題一張紙,;州將看尾後有字,大怒曰:「修名不了,何以為縣令?」不放上,敏憂悶無已,董氏曰:「但住莫求去。」停五十日,忠州賊破武隆,殺舊縣令,略家口並盡,敏以不許上獲全,後俊臣誅,逐其黨流嶺南,敏又獲免。
新字:則天朝,太僕卿来俊臣之強盛,朝官側目。上林令侯敏偏事之,其妻董氏諫曰:「俊臣国賊也,勢不可久,一朝事壊,奸党先遭,君可敬而遠之。」敏稍稍而退,俊臣怒,出為涪州武隆令,敏欲棄官帰,董氏曰:「但去莫求住。」遂行,至州,投刺参州将,錯題一張紙,;州将看尾後有字,大怒曰:「修名不了,何以為県令?」不放上,敏憂悶無已,董氏曰:「但住莫求去。」停五十日,忠州賊破武隆,殺旧県令,略家口並尽,敏以不許上獲全,後俊臣誅,逐其党流嶺南,敏又獲免。
書き下し
則天の朝、太僕卿来俊臣の強盛なる、朝官は目を側む。上林令侯敏は偏えに之に事う。其の妻董氏諫めて曰く、「俊臣は国賊なり、勢い久しかるべからず。一朝事壊れば、奸党先ず遭わん。君は敬して之を遠ざくべし」と。敏稍稍にして退く。俊臣怒り、出して涪州武隆令と為す。敏官を棄てて帰らんと欲す。董氏曰く、「但だ去れ、住まらんことを求むる莫れ」と。遂に行き、州に至り、刺を投じて州将に参ず。錯って一張の紙に題す。州将尾後に字有るを看て、大いに怒りて曰く、「修名了らず、何を以て県令と為さん」と。上らしめず。敏憂悶已む無し。董氏曰く、「但だ住まれ、去らんことを求むる莫れ」と。停まること五十日、忠州の賊武隆を破り、旧県令を殺し、家口を略して並びに尽くす。敏は上るを許されざるを以て全きを獲たり。後に俊臣誅せられ、其の党を逐いて嶺南に流すも、敏も又た免るるを獲たり。
現代語訳
則天武后の時代、太僕卿の来俊臣が強勢を誇り、朝廷の官僚は皆目をそらした。上林令の侯敏はひたすら彼に仕えた。その妻の董氏が諫めて言った。「来俊臣は国賊です。勢いは長く続きません。ある日事が崩れれば、その仲間が真っ先にやられます。あなたは敬意を払いつつ遠ざけなさい」。敏は少しずつ距離を取った。俊臣は怒り、敏を涪州武隆の県令に左遷した。敏は官を捨てて帰ろうとした。董氏は言った。「ただ行きなさい、引き止められようとしてはいけません」。赴任して州に着き、名刺を投じて州将に会おうとした。誤って一枚の紙に書き間違えた。州将は末尾に字があるのを見て、大いに怒り、「名前の書き方も満足にできず、どうして県令が務まる」と言った。そして赴任させなかった。敏は憂え悶えて止まなかった。董氏は言った。「ただ留まりなさい、去ろうとしてはいけません」。五十日留まっていると、忠州の賊が武隆を破り、旧県令を殺し、その家族を捕らえ尽くした。敏は赴任を許されなかったおかげで無事だった。のちに来俊臣が誅殺され、その仲間を追って嶺南に流したが、敏もまた免れた。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』外篇・治道・枉尺直尋政を為すに私に徇ひ、謗を弭め、道に違ひ、譽を干むるを以て第一の恥と為す。人上たる者は自ら應に行ふべき道理有り。合へば則ち行ひ、合はざれば則ち去る。若し委曲遷就し、利を計り害を慮らば、身を奉じて退くに如かず。孟子の謂ふ枉尺直尋は、推し起こし來たる可からず。一寸を枉げて千尺を直くすと雖も、恐らくは亦た未だ可ならざるなり。或るひと曰く、「君親の際に處するに、恐らくは當に枉ぐべき處有らん」と。曰く、「當に枉ぐべくんば則ち之を枉ぐと謂ふを得ず。是れを權以て經を行ふと謂ふ。畢竟是れ直道にして行ふなり」と。
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『慎思録』巻之三君臣の間は、嫌疑生じ易く、愛憎常無し。故に寵遇深厚なりと雖も、恃むべからざるなり。其の賢光武の如く、其の智馬援の如きも、猶ほ其の終を保つ能はず。况んや他人をや。古来人臣の此の理を知らざる者は、一旦崇級に登れば、則ち寵を負み勢を恃み、進むを知りて退くを知らず。傾覆せざる者鮮し。
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『呻吟語』内篇・修身・身は道の輿なり身なる者は、道の輿なり。身は道を載せて以て行く。道は身を載せて以て行くに非ざるなり。故に君子は道行はるれば、則ち身之に從ひて以て進む。道行はれざれば、則ち身之に從ひて以て退く。道行はれずして進むを求めて已まざるは、之を譬ふれば大賈の百貨山積して售れざるに、載せて以て歸らずして、又た空輿を以て錢を僱ふがごとし。販夫も之を笑ふ。貪鄙孰れか甚だしからんや。
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『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
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言志四録・言志録 第八十七条 托孤の任托孤の任に当る者は、孤主の年長ずるに迨びて、則ち当に早く権を君に還して以て自ら退避すべし。乃ち能く君臣両つながら全し。伊尹曰く、「臣寵利を以て成功に居ること罔かれ」と。是れ阿衡実践の言にして、万世大臣の亀鑑なり。
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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