智囊 / 集哲・嚴延年母
嚴延年守河南,酷烈好殺,號曰「屠伯」。其母從東海來,適見報囚,大驚,便止都亭,不肯入府。因責延年曰:「天道神明,人不可獨殺,我不意當老見壯子被刑戮也,行矣,去汝東歸,掃除墓地。」遂去歸郡。後歲餘,果敗誅。東海莫不賢智其母。
新字:厳延年守河南,酷烈好殺,号曰「屠伯」。其母従東海来,適見報囚,大驚,便止都亭,不肯入府。因責延年曰:「天道神明,人不可独殺,我不意当老見壮子被刑戮也,行矣,去汝東帰,掃除墓地。」遂去帰郡。後歳余,果敗誅。東海莫不賢智其母。
書き下し
厳延年河南に守たり。酷烈にして殺を好み、号して「屠伯」と曰う。其の母東海より来たり、適たま報囚を見て大いに驚き、便ち都亭に止まり、府に入るを肯んぜず。因りて延年を責めて曰く、「天道は神明なり、人は独り殺すべからず。我れ意わず老いに当たりて壮子の刑戮せらるるを見んとは。行け、汝を去りて東に帰り、墓地を掃除せん」と。遂に去りて郡に帰る。後歳余にして、果たして敗れ誅せらる。東海は其の母を賢智とせざる莫し。
現代語訳
厳延年は河南の太守であった。冷酷で殺すことを好み、「屠殺の親分」と呼ばれた。その母が東海から訪ねて来て、ちょうど死刑囚の処刑の報告を見て大いに驚き、都亭にとどまって、役所に入ろうとしなかった。そして延年を責めて言った。「天の道は神のように明らかです。人を独りで殺してはなりません。老いて、壮年の子が刑に処されるのを見ようとは思いもしませんでした。さあ、あなたと別れて東に帰り、墓の掃除をしましょう」。そして去って郡に帰った。一年余り後、果たして延年は敗れて誅殺された。東海の人々は皆その母を賢く聡明だと称えた。
解説
この話は、権力を持つ人の過剰な厳しさが、やがて自らを滅ぼすことを、母が先に見抜いた例です。母は、息子の処刑の多さを見て、官邸に入ることを拒むという行動で、強い警告を示しました。言葉だけでなく、態度で一線を引いたことで、息子には逃げ場のない現実が突きつけられています。ただ、延年は聞き入れず、一年余りで失脚しました。組織でも、成果のために厳罰で人を押さえつけるやり方は、短期では機能しても、必ず反発を招きます。指導者は、周囲が距離を置き始めたときの信号を見逃さず、身近な人の諫めに耳を傾ける必要があります。
この章句が説くこと
屠伯人不可独殺天道神明諫言権力危機管理
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