茶の本 / 第七章 茶の宗匠・暴君の友誼は危険な光栄
利休と太閤秀吉との友誼は長いものであって、この偉大な武人が茶の宗匠を尊重したことも非常なものであった。しかし暴君の友誼はいつも危険な光栄である。その時代は不信にみちた時代であって、人は近親の者さえも信頼しなかった。利休は媚びへつらう佞人ではなかったから、恐ろしい彼の後援者と議論して、しばしば意見を異にするをもはばからなかった。太閤と利休の間にしばらく冷ややかな感情のあったのを幸いに、利休を憎む者どもは利休がその暴君を毒害しようとする一味の連累であると言った。宗匠のたてる一碗の緑色飲料とともに、命にかかわる毒薬が盛られることになっているということが、ひそかに秀吉の耳にはいった。秀吉においては、嫌疑があるというだけでも即時死刑にする充分な理由であった、そしてその怒れる支配者の意に従うよりほかに哀訴の道もなかったのである。死刑囚にただ一つの特権が許された、すなわち自害するという光栄である。
書き下し
利休と太閤秀吉との友誼は長いものであって、この偉大な武人が茶の宗匠を尊重したことも非常なものであった。しかし暴君の友誼はいつも危険な光栄である。その時代は不信にみちた時代であって、人は近親の者さえも信頼しなかった。利休は媚びへつらう佞人ではなかったから、恐ろしい彼の後援者と議論して、しばしば意見を異にするをもはばからなかった。太閤と利休の間にしばらく冷ややかな感情のあったのを幸いに、利休を憎む者どもは、利休がその暴君を毒害しようとする一味の連累であると言った。宗匠のたてる一碗の緑色飲料とともに、命にかかわる毒薬が盛られることになっているということが、ひそかに秀吉の耳にはいった。秀吉においては、嫌疑があるというだけでも即時死刑にする充分な理由であった。そして、その怒れる支配者の意に従うよりほかに哀訴の道もなかったのである。死刑囚にただ一つの特権が許された、すなわち自害するという光栄である。
現代語訳
利休と太閤秀吉の交わりは長いもので、この偉大な武人が茶の宗匠を尊重したことも非常なものでした。しかし暴君との交わりは、いつも危険な光栄です。その時代は不信に満ちた時代で、人は近親の者さえ信じませんでした。利休は媚びへつらう小人ではなかったので、恐ろしい後援者と議論して、しばしば意見を異にすることも恐れませんでした。太閤と利休の間にしばらく冷たい感情があったのを幸いに、利休を憎む者たちは、利休が暴君を毒殺しようとする一味に連なっていると言いました。宗匠がたてる一碗の緑の飲み物に、命に関わる毒薬が盛られることになっていると、ひそかに秀吉の耳に入りました。秀吉にとっては、疑いがあるというだけでも即時に死刑にする十分な理由でした。そしてその怒れる支配者の意に従うほか、訴える道もなかったのです。死刑囚にただ一つの特権が許されました。すなわち自害するという光栄です。
解説

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『墨子』兼愛下昔者、越王句踐は勇を好む。其の士臣を教うること三年、其の知を以て未だ以て之を知るに足らずと為すなり。舟を焚き火を失し、鼔して之を進ましむ。其の士、前列に偃し、水火に伏して死する者、勝げて數う可からざるなり。此の時に當たりて、鼔せずして退かしむるも、越國の士は顫うと謂う可し。故に身を焚くは其の為し難きを為すなり。然る後に為して越王、之を説ぶ。世を踰えずして民、移す可きなり。即ち以て其の上に鄉かんことを求むればなり。
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説苑・尊賢斉の将軍田瞶出でて将たらんとす。張生郊に送りて曰く、「昔者堯許由に天下を譲るに、耳を洗いて受けず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「伯夷叔斉諸侯の位を辞して為さず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「於陵の仲子三公の位を辞して傭われて人の為に園に灌ぐ、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「智過君の第を去り、姓名を変じ、免れて庶人と為る、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「孫叔敖三たび相を去りて悔いず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「此の五大夫は、名は之を辞すれども実は之を羞ずるなり。今将軍方に一国の権を吞み、鼓を提げ旗を擁し、堅を被り鋭を執り、十万の師を旋回し、斧鉞の誅を擅にす、慎みて士の羞ずる所の者を以て士に驕る勿かれ」と。田瞶曰く、「今日諸君皆瞶が為に祖道して酒脯を具うるに、先生独り之に教うるに聖人の大道を以てす、謹んで命を聞けり」と。
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