智囊 / 集哲・孫太學妻
嘉靖間,婁東有孫太學者,與妓某善,誓相嫁娶,為之傾貲。無何孫喪婦,家益貧落,親友因唆使訟妓。妓聞之,以計致孫飲食之,與申前約,以身委焉。孫故不善治產,妓所攜簪珥,不久復費盡,妓日夜勤辟纑以奉之,饘粥而已。如是十餘年,孫益老成悔過,選期已及。自傷無貲,中夜泣,妓審其誠,於日坐辟績處,使孫穴地得千金,皆妓所陰埋也,孫以此其選縣尉,遷按察司經歷。宦橐稍潤,妓遂勸孫乞休歸,享小康終其身。〔評〕既成就孫,而身亦得所歸,可謂兩利;所難者,十餘年堅忍耳。
新字:嘉靖間,婁東有孫太学者,与妓某善,誓相嫁娶,為之傾貲。無何孫喪婦,家益貧落,親友因唆使訟妓。妓聞之,以計致孫飲食之,与申前約,以身委焉。孫故不善治産,妓所攜簪珥,不久復費尽,妓日夜勤辟纑以奉之,饘粥而已。如是十余年,孫益老成悔過,選期已及。自傷無貲,中夜泣,妓審其誠,於日坐辟績処,使孫穴地得千金,皆妓所陰埋也,孫以此其選県尉,遷按察司経歴。宦橐稍潤,妓遂勧孫乞休帰,享小康終其身。〔評〕既成就孫,而身亦得所帰,可謂両利;所難者,十余年堅忍耳。
書き下し
嘉靖の間、婁東に孫太学なる者有り。妓某と善く、誓いて相嫁娶せんとし、之が為に貲を傾く。無何くして孫は婦を喪い、家益ます貧落す。親友因りて妓を訟えしむるを唆す。妓之を聞き、計を以て孫を致して之に飲食せしめ、前約を申べ、身を以て委ぬ。孫は故より産を治むるに善からず、妓の携えし簪珥も、久しからずして復た費やし尽くす。妓は日夜勤めて纑を辟ぎ以て之に奉じ、饘粥のみ。是の如きこと十余年、孫益ます老成し過ちを悔ゆ。選期已に及ぶも、自ら貲無きを傷み、中夜泣く。妓其の誠を審らかにし、日々坐して辟績する処に於いて、孫をして地を穴ち千金を得せしむ。皆な妓の陰かに埋めし所なり。孫此を以て其の選に県尉となり、按察司経歴に遷る。宦橐稍や潤い、妓遂に孫に勧めて休を乞いて帰り、小康を享けて身を終えしむ。〔評〕既に孫を成就し、身も亦た所を得たり。両利と謂うべし。難き所の者は、十余年の堅忍のみ。
現代語訳
嘉靖の頃、婁東に孫という太学の学生がいた。ある妓女と親しく、結婚を誓い、彼女のために財産を使い尽くした。まもなく孫は妻を亡くし、家はますます貧しくなった。親友たちは妓女を訴えるようそそのかした。妓女はこれを聞き、策を使って孫を呼び寄せ、飲食をもてなして、前の約束を述べ、身を委ねた。孫はもともと家計を治めるのが下手で、妓女が持ってきた簪や耳飾りも、いくらもたたないうちに使い果たした。妓女は昼夜勤めて麻糸を績んで孫に尽くし、粥をすするだけの暮らしであった。そのようなことが十年余り続き、孫はますます老成して過ちを悔やんだ。選任の時期が迫っていたが、費用がないことを嘆き、夜中に泣いた。妓女はその誠を確かめ、毎日坐して績んでいる場所で、孫に地面を掘らせて千金を得させた。これはすべて妓女がひそかに埋めておいたものだった。孫はこれによって選任され県尉となり、按察司経歴に昇った。官の財布が少し潤うと、妓女は孫に辞職を勧めて帰郷させ、ささやかな安らかさを享受して生涯を終えさせた。〔評〕孫を成就させ、自分もふさわしい居場所を得た。両方に利があったといえる。難しいのは、十余年の堅い辛抱だけである。
解説
この章句が説くこと
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