智囊 / 集哲・柳仲郢婢
唐僕射柳仲郢鎮郪城,有婢失意,於成都鬻之。刺史蓋巨源,西川大將,累典支郡,居苦竹溪。女儈以婢導至,巨源賞其技巧。他日巨源窗窺通衢,有鬻綾羅者,召之就宅,於束縑內選擇,邊幅舒捲,第其厚薄,酬酢可否。時婢侍左,失聲而僕,似中風。命扶之去,都無言語,但令還女儈家。翌日而瘳,詰其所苦,青衣曰:「某雖賤人,曾為僕射婢,死則死矣,安能事賣綾絹牙郎乎?」蜀都聞之,皆嗟歎。〔評議〕此婢胸中志氣殆不可測,愧殺王濬衝一輩人。
新字:唐僕射柳仲郢鎮郪城,有婢失意,於成都鬻之。刺史蓋巨源,西川大将,累典支郡,居苦竹渓。女儈以婢導至,巨源賞其技巧。他日巨源窗窺通衢,有鬻綾羅者,召之就宅,於束縑内選択,辺幅舒捲,第其厚薄,酬酢可否。時婢侍左,失声而僕,似中風。命扶之去,都無言語,但令還女儈家。翌日而瘳,詰其所苦,青衣曰:「某雖賤人,曽為僕射婢,死則死矣,安能事売綾絹牙郎乎?」蜀都聞之,皆嗟嘆。〔評議〕此婢胸中志気殆不可測,愧殺王濬衝一輩人。
書き下し
唐の僕射柳仲郢郪城に鎮するとき、婢の意を失う者有り、成都に之を鬻ぐ。刺史蓋巨源は、西川の大将にして、累しば支郡を典り、苦竹渓に居る。女儈婢を以て導き至り、巨源其の技巧を賞す。他日巨源窓より通衢を窺うに、綾羅を鬻ぐ者有り、召して宅に就かしめ、束縑の内より選択し、辺幅を舒捲し、其の厚薄を第し、可否を酬酢す。時に婢左に侍し、声を失いて僕れ、中風に似たり。命じて之を扶け去らしめ、都て言語無く、但だ女儈の家に還らしむ。翌日にして瘳え、其の苦しむ所を詰るに、青衣曰く、「某は賤人なりと雖も、曾て僕射の婢たり。死せば則ち死せんのみ、安んぞ能く綾絹を売る牙郎に事えんや」と。蜀都之を聞き、皆な嗟歎す。〔評議〕此の婢の胸中の志気は殆ど測るべからず。王済衝の一輩の人を愧殺せしむ。
現代語訳
唐の僕射の柳仲郢が郪城を治めていたとき、気に入られなくなった婢がいて、成都で売られた。刺史の蓋巨源は西川の大将で、たびたび支郡を治め、苦竹渓に住んでいた。人身売買の仲介の女が婢を連れてきて、巨源は彼女の技芸を気に入った。後日、巨源が窓から大通りをのぞくと、綾絹を売る者がいたので、呼んで屋敷に入れ、束ねた絹から選び、端を広げたり巻いたりして厚さを見比べ、取引の可否を話していた。そのとき婢は左に控えていたが、声を失って倒れ、中風のようになった。命じて助け出させたが、一言も話さず、そのまま仲介の女の家に戻らせた。翌日に回復し、苦しんだわけを問いただされると、婢は言った。「私は卑しい身ですが、かつて僕射の婢でした。死ぬなら死にます。どうして綾絹を売る商人に仕えられましょう」。蜀の都でこれを聞いた人は皆嘆息した。〔評議〕この婢の胸中の志気は、ほとんど測りきれない。王済衝のような連中を恥じ入らせる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る