智囊 / 集哲・房景伯母
房景伯為清河太守。有民母訟子不孝,景伯母崔氏曰:「民未知禮,何足深責?」召其母,與之對榻共食,使其子侍立堂下,觀景伯供食。未旬日,悔過求還,崔曰:「此雖面慚,其心未也,且置之。」凡二旬餘,其子叩頭出血,母涕泣乞還,然後聽之,卒以孝聞。〔評〕此即張翼德示馬孟起以禮之智。
新字:房景伯為清河太守。有民母訟子不孝,景伯母崔氏曰:「民未知礼,何足深責?」召其母,与之対榻共食,使其子侍立堂下,観景伯供食。未旬日,悔過求還,崔曰:「此雖面慚,其心未也,且置之。」凡二旬余,其子叩頭出血,母涕泣乞還,然後聴之,卒以孝聞。〔評〕此即張翼徳示馬孟起以礼之智。
書き下し
房景伯清河の太守たり。民の母其の子の不孝を訟うる有り。景伯の母崔氏曰く、「民は未だ礼を知らず、何ぞ深く責むるに足らん」と。其の母を召し、之と榻を対して共に食し、其の子をして堂下に侍立せしめ、景伯の食を供するを観せしむ。未だ旬日ならずして、悔過して還らんことを求む。崔曰く、「此れ面は慚ずと雖も、其の心は未だし。且く之を置け」と。凡そ二旬余り、其の子叩頭して血を出だし、母は涕泣して還らんことを乞う。然る後に之を聴し、卒に孝を以て聞こゆ。〔評〕此れ即ち張翼徳の馬孟起に示すに礼を以てせし智なり。
現代語訳
房景伯は清河の太守であった。ある民の母が、息子の不孝を訴え出た。景伯の母の崔氏は言った。「民はまだ礼を知らないのですから、厳しく責めるには及びません」。そこで訴えた母を呼び、同じ寝台で向かい合って食事をし、その息子を堂下に立たせて、景伯が母に食事を供するのを見させた。十日もたたないうちに、息子は過ちを悔いて母を連れ帰りたいと願った。崔氏は言った。「これは顔で恥じているだけで、心はまだです。しばらくそのままにしておきなさい」。二十日余りして、その息子は叩頭して血を出し、母は涙を流して帰りたいと願った。そこで許し、ついに孝行で名が知られるようになった。〔評〕これはあの張飛が馬超に礼を示した智と同じである。
解説
この章句が説くこと
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