智囊 / 集哲・崔敬女・絡秀
唐冀州長史吉懋欲為男頊取南宮縣丞崔敬女,敬不許。因有故,脅以求親,敬懼而許之。擇日下函,並花車卒然至門,敬妻鄭氏初不知,抱女大哭曰:「我家門戶低,不曾有吉郎。」女堅臥不起,其小女白其母曰:「父有急難,殺身救解,設令為婢,尚不合辭,姓望之門,何足為恥,姊若不可,兒自當之!」遂登車而去,頊後貴至拜相。周顗母李氏,字絡秀,少在室,顗父濬時為安東將軍,因出獵遇雨,止秀家。會秀父兄出,乃獨與一婢為具數十人饌,甚精腆,寂不聞人聲。濬怪覘之,見秀甚美,因求為妾,父兄不許。秀曰:「門戶單寒,何惜一女,焉知非福?」已歸濬,生顗及嵩,謨,已三子並貴顯。秀謂曰:「我屈節為汝門妾,計門戶耳。汝不與吾家為親親者,吾亦何惜餘年?」顗等敬諾,自是李氏遂振。〔評〕絕無一毫巾幗氣。「生男勿喜女勿悲」,此詩正堪為二女詠耳。
新字:唐冀州長史吉懋欲為男頊取南宮県丞崔敬女,敬不許。因有故,脅以求親,敬懼而許之。択日下函,並花車卒然至門,敬妻鄭氏初不知,抱女大哭曰:「我家門戸低,不曽有吉郎。」女堅臥不起,其小女白其母曰:「父有急難,殺身救解,設令為婢,尚不合辞,姓望之門,何足為恥,姊若不可,児自当之!」遂登車而去,頊後貴至拝相。周顗母李氏,字絡秀,少在室,顗父濬時為安東将軍,因出猟遇雨,止秀家。会秀父兄出,乃独与一婢為具数十人饌,甚精腆,寂不聞人声。濬怪覘之,見秀甚美,因求為妾,父兄不許。秀曰:「門戸単寒,何惜一女,焉知非福?」已帰濬,生顗及嵩,謨,已三子並貴顕。秀謂曰:「我屈節為汝門妾,計門戸耳。汝不与吾家為親親者,吾亦何惜余年?」顗等敬諾,自是李氏遂振。〔評〕絶無一毫巾幗気。「生男勿喜女勿悲」,此詩正堪為二女詠耳。
書き下し
唐の冀州長史吉懋、男の頊の為に南宮県丞崔敬の女を取らんと欲するも、敬許さず。故有るに因りて、脅して以て親を求め、敬懼れて之を許す。日を択びて函を下し、並びに花車卒然として門に至る。敬の妻鄭氏は初め知らず、女を抱きて大いに哭きて曰く、「我が家は門戸低く、曾て吉郎有らず」と。女堅く臥して起きず。其の小女其の母に白して曰く、「父に急難有り、身を殺して救解するも、設令い婢と為るも、尚お辞するに合わず。姓望の門、何ぞ恥と為すに足らん。姉若し可ならずんば、児自ら之に当たらん」と。遂に車に登りて去る。頊は後に貴くして相に拝せらる。周顗の母李氏、字は絡秀、少くして室に在り。顗の父濬は時に安東将軍たり、出猟に因りて雨に遇い、秀の家に止まる。会々秀の父兄出で、乃ち独り一婢と数十人の饌を具え、甚だ精腆なるも、寂として人声を聞かず。濬怪しみて之を覘い、秀の甚だ美なるを見、因りて求めて妾と為さんとす。父兄許さず。秀曰く、「門戸単寒なり、何ぞ一女を惜しまん。焉んぞ福に非ざるを知らん」と。濬に帰して、顗及び嵩、謨を生み、三子已に並びに貴顕す。秀謂いて曰く、「我が屈節して汝が門の妾と為りしは、門戸を計るのみ。汝我が家と親しみを為さざれば、吾れ亦た何ぞ余年を惜しまん」と。顗ら敬諾し、是より李氏遂に振う。〔評〕絶えて一毫の巾幗の気無し。「男を生んで喜ぶ勿れ、女を生んで悲しむ勿れ」、此の詩正に二女の為に詠ずるに堪えたり。
現代語訳
唐の冀州長史の吉懋は、息子の頊のために、南宮県丞の崔敬の娘を妻に迎えようとしたが、崔敬は承知しなかった。ある事情を口実に脅して縁組を求め、崔敬は恐れて承知した。日を選んで結納の箱を送り、花飾りの車も突然門に着いた。崔敬の妻の鄭氏は初めて知らず、娘を抱いて大いに泣き、「うちは家柄が低く、吉家の婿などいたことがない」と言った。娘は固く臥して起きなかった。妹が母に言った。「父に急な難があり、身を殺してでも救わねばならず、たとえ婢となっても断るべきではありません。まして名家の家柄で何の恥でしょう。姉さまが嫌なら、私が自分で行きます」。そして車に乗って去った。頊はのちに出世して宰相に任じられた。周顗の母の李氏は、字を絡秀といい、若くして家にいた。顗の父の周浚は当時安東将軍で、狩りに出て雨に遭い、絡秀の家に泊まった。ちょうど絡秀の父兄が外出しており、彼女は一人の婢と数十人分の食事を整え、たいへん立派だったが、静かで人声も聞こえなかった。浚は怪しんでのぞき見し、絡秀がとても美しいのを見て、妾に求めた。父兄は許さなかった。絡秀は言った。「家柄は貧しく弱いのです。一人の娘を惜しんでどうなります。福にならないとも限りません」。浚のもとに嫁いで顗と嵩、謨を生み、三人とも身分が高くなった。絡秀は言った。「私が節を曲げてあなたたちの家の妾となったのは、家門のためを考えてのことです。あなたたちが我が家の親族と親しくしないなら、私は余生を惜しみません」。顗らは謹んで承知し、これより李氏は盛んになった。〔評〕少しも女らしい弱さの気がない。「男の子が生まれても喜ぶな、女の子が生まれても悲しむな」という詩は、この二人の女性を詠むのにふさわしい。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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