智囊 / 集哲・李邦彥母・唐肅宗公主
李太宰邦彥父曾為銀工。或以為誚,邦彥羞之,歸告其母。母曰:「宰相家出銀工,乃可羞耳;銀工家出宰相,此美事,何羞焉?」〔評〕狄武襄不肯祖梁公,我聖祖不肯祖文公,皆此義。肅宗宴於宮中,女優弄假戲,有綠衣秉簡為參軍者。天寶末,番將阿布思伏法,其妻配掖庭,善為優,因隸樂工,遂令為參軍之戲。公主諫曰:「禁中妓女不少,何須此人?使阿布思真逆人耶,其妻亦同刑人,不合近至尊之座;若果冤橫,又豈忍使其妻與群優雜處,為笑謔之具哉?妾雖至愚,深以為不可。」上亦憫惻,遂罷戲而免阿布思之妻,由是咸重公主。公主,即柳晟母也。
新字:李太宰邦彦父曽為銀工。或以為誚,邦彦羞之,帰告其母。母曰:「宰相家出銀工,乃可羞耳;銀工家出宰相,此美事,何羞焉?」〔評〕狄武襄不肯祖梁公,我聖祖不肯祖文公,皆此義。粛宗宴於宮中,女優弄仮戯,有緑衣秉簡為参軍者。天宝末,番将阿布思伏法,其妻配掖庭,善為優,因隸楽工,遂令為参軍之戯。公主諫曰:「禁中妓女不少,何須此人?使阿布思真逆人耶,其妻亦同刑人,不合近至尊之座;若果冤横,又豈忍使其妻与群優雑処,為笑謔之具哉?妾雖至愚,深以為不可。」上亦憫惻,遂罷戯而免阿布思之妻,由是咸重公主。公主,即柳晟母也。
書き下し
李太宰邦彦の父は曾て銀工たり。或いは以て誚りと為す。邦彦之を羞じ、帰りて其の母に告ぐ。母曰く、「宰相の家より銀工を出だすは、乃ち羞ずべきのみ。銀工の家より宰相を出だすは、此れ美事なり、何ぞ羞じんや」と。〔評〕狄武襄は梁公を祖とするを肯んぜず、我が聖祖は文公を祖とするを肯んぜず、皆な此の義なり。粛宗宮中に宴す。女優仮戯を弄し、緑衣簡を秉りて参軍と為る者有り。天宝の末、番将阿布思法に伏し、其の妻は掖庭に配せられ、善く優を為し、因りて楽工に隷し、遂に参軍の戯を為さしむ。公主諫めて曰く、「禁中に妓女少なからず、何ぞ此の人を須いん。阿布思をして真に逆人ならしめば、其の妻も亦た刑人に同じ、至尊の座に近づくに合わず。若し果たして冤横ならば、又た豈に忍びて其の妻を群優と雑処せしめ、笑謔の具と為さんや。妾至愚なりと雖も、深く以て不可と為す」と。上も亦た憫惻し、遂に戯を罷め阿布思の妻を免ず。是に由りて咸な公主を重んず。公主は、即ち柳晟の母なり。
現代語訳
宰相の李邦彦の父は、かつて銀細工師だった。それをそしる者がいた。邦彦は恥じて、帰って母に話した。母は言った。「宰相の家から銀細工師が出たのなら恥ずべきです。銀細工師の家から宰相が出たのは、立派なことです。なぜ恥じるのですか」。〔評〕狄青が梁公を祖先と称することを承知せず、我が太祖が朱文公を祖先と称することを承知しなかったのも、みなこの道理である。粛宗が宮中で宴を開いた。女優が芝居をし、緑の衣に笏を持って参軍に扮する者がいた。天宝の末、蕃将の阿布思が処刑され、その妻は後宮に配されて、芸が上手だったため楽工に属し、参軍の芝居を演じさせられていた。公主が諫めて言った。「宮中に芸妓は少なくないのに、なぜこの人を用いるのですか。阿布思が本当に逆賊だったとしても、その妻も刑を受けた者と同じで、至尊のお座に近づけるべきではありません。もし無実の罪なら、どうしてその妻を芸人たちの中に置いて笑いの種にできましょう。私は至って愚かですが、これは不可だと思います」。皇帝も気の毒に思い、芝居をやめさせて阿布思の妻を放免した。これにより人々は公主を重んじた。公主は柳晟の母である。
解説
この章句が説くこと
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