智囊 / 武案・習馬練刀法
北虜馬生駒數日,則係騍馬於山半,駒在下盤旋,母子哀鳴相應,力爭而上,乃得乳。漸移係高處,駒亦漸登,故能陟峻如砥。今養馬宜就高山所在放牧,亦仿其法,馬自可用。又,倭國每生兒,親朋斂鐵相賀,即投於井中。歲取鍛鍊一度,至長成刀,利不可當。今勳衛之家,世武為業,而家無銳刃,愚意亦宜仿此,箕裘弓冶,不足為笑也。
新字:北虜馬生駒数日,則係騍馬於山半,駒在下盤旋,母子哀鳴相応,力争而上,乃得乳。漸移係高処,駒亦漸登,故能陟峻如砥。今養馬宜就高山所在放牧,亦仿其法,馬自可用。又,倭国毎生児,親朋斂鉄相賀,即投於井中。歳取鍛錬一度,至長成刀,利不可当。今勲衛之家,世武為業,而家無鋭刃,愚意亦宜仿此,箕裘弓冶,不足為笑也。
書き下し
北虜の馬は駒を生みて数日にして、則ち騍馬を山の半ばに係ぎ、駒は下に在りて盤旋し、母子哀鳴して相応じ、力争して上り、乃ち乳を得。漸く係ぐ処を高きに移せば、駒も亦た漸く登る。故に能く峻に陟ること砥の如し。今馬を養うには宜しく高山の在る所に就きて放牧すべし。亦た其の法に倣わば、馬は自ら用うべし。又た、倭国は児を生む毎に、親朋鉄を斂めて相賀し、即ち井中に投ず。歳ごとに取りて鍛錬すること一度、長じて刀と成るに至りては、利きこと当たるべからず。今勲衛の家は、世々武を業と為すに、家に鋭刃無し。愚意亦た宜しく此に倣うべし。箕裘弓冶、笑いと為すに足らざるなり。
現代語訳
北方の異民族では、馬が子を産んで数日たつと、母馬を山の中腹につなぎ、子馬は下でうろうろし、母子が悲しげに鳴き交わし、力を尽くして登ってやっと乳にありつける。少しずつつなぐ場所を高くすれば、子馬も少しずつ登るようになる。だから険しい山を平地のように登れる。今、馬を養うには高い山のあるところで放牧すべきで、この方法に倣えば、馬は自然に使いものになる。また、日本では子が生まれるたびに親類や友人が鉄を持ち寄って祝い、すぐ井戸の中に投げ入れる。毎年それを取り出して一度ずつ鍛え、子が成長するころには刀となり、その切れ味は比類がない。今、勲衛の家は代々武を業としているのに、家に鋭い刃がない。私の考えでは、これに倣うのがよい。父祖の業を受け継ぎ弓や皮を作り慣れることは、笑われることではない。
解説
この章句が説くこと
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