智囊 / 武案・錢傳
吳越王遣其子傳擊吳。吳人拒之,戰於狼山。吳船乘風而進,傳引舟避之。既過,自後隨之。吳回船與戰,傳使順風揚灰,吳人不能開目,及船舷相接,傳使散沙於己船,而散豆於吳船,豆為戰血所漬,吳人踐之皆僵仆。因縱火焚吳船,吳兵大敗。
新字:呉越王遣其子伝撃呉。呉人拒之,戦於狼山。呉船乗風而進,伝引舟避之。既過,自後随之。呉回船与戦,伝使順風揚灰,呉人不能開目,及船舷相接,伝使散沙於己船,而散豆於呉船,豆為戦血所漬,呉人践之皆僵仆。因縦火焚呉船,呉兵大敗。
書き下し
呉越王、其の子の伝を遣わして呉を撃たしむ。呉人之を拒ぎ、狼山に戦う。呉船は風に乗じて進む。伝、舟を引きて之を避く。既に過ぎて、後より之に随う。呉、船を回らして与に戦う。伝、風に順いて灰を揚げしむ。呉人目を開く能わず。船舷の相接するに及び、伝、沙を己が船に散ぜしめて、豆を呉船に散ぜしむ。豆は戦血に漬さるる所と為り、呉人之を践めば皆な僵仆す。因りて火を縦ちて呉船を焚く。呉兵大いに敗る。
現代語訳
呉越王は、その子の銭伝を遣わして呉を撃たせた。呉の人はこれを防ぎ、狼山で戦った。呉の船は風に乗って進んだ。伝は舟を引いてこれを避けた。通り過ぎてから、後ろからついていった。呉は船を回して戦いに応じた。伝は風に乗せて灰を撒かせた。呉の人は目を開けられなかった。船の縁が接するほど近づくと、伝は砂を自分の船に撒かせ、豆を呉の船に撒かせた。豆は血で濡れて滑り、呉の人はこれを踏んで皆、倒れた。そこで火を放って呉の船を焼いた。呉の兵は大敗した。
解説
銭伝は、まず風に乗る敵と正面衝突を避け、通り過ぎた後に風上を取って灰を撒き、視界を奪いました。接近戦では、自船に砂、敵船に豆を撒き、足場の差で優位を作ります。いずれも風向きと足場という自然条件を、あらかじめ計算に入れた設計です。真っ向からの力勝負を避け、時機を待つことで、条件を整えた上で戦う点が特徴です。現代の仕事でも、勢いのある相手とは正面から当たらず、一度やり過ごして風向きが変わるのを待つ判断が、損失を抑えます。競争は、自分に有利な条件を整える工夫の勝負でもあります。
この章句が説くこと
狼山風に順う揚灰豆足場時機
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