智囊 / 武案・岳飛・劉錡
兀術有勁兵,皆重鎧,貫以韋索,三人為聯,名「拐子馬」,又號「長勝軍」。每於戰酣時,用以攻堅,官軍不能當。郾城之役,以萬五千騎來,岳飛戒兵率以麻紮刀入陣,勿仰視,但斲馬足,拐子馬相連,一馬僕,二馬不能行,官軍奮擊,大敗之。〔述評〕慕容紹宗引兵十萬擊侯景。旗甲耀日,鳴鼓長驅而進。景命戰士皆被甲,執短刀,入東魏陣。但低視,斲人脛馬足。飛不學古法,豈暗合乎?兀術有牙兵,皆重鎧甲,戴鐵兜牟,周匝綴長簷,三人為伍,貫以韋索,號「鐵浮圖」。順昌之役,方大戰時,兀術被白袍,乘甲馬,以三千人來。劉錡令壯士以槍摽去其兜牟,大斧斷其臂,碎其首。
新字:兀術有勁兵,皆重鎧,貫以韋索,三人為聯,名「拐子馬」,又号「長勝軍」。毎於戦酣時,用以攻堅,官軍不能当。郾城之役,以万五千騎来,岳飛戒兵率以麻紮刀入陣,勿仰視,但斲馬足,拐子馬相連,一馬僕,二馬不能行,官軍奮撃,大敗之。〔述評〕慕容紹宗引兵十万撃侯景。旗甲耀日,鳴鼓長駆而進。景命戦士皆被甲,執短刀,入東魏陣。但低視,斲人脛馬足。飛不学古法,豈暗合乎?兀術有牙兵,皆重鎧甲,戴鉄兜牟,周匝綴長簷,三人為伍,貫以韋索,号「鉄浮図」。順昌之役,方大戦時,兀術被白袍,乗甲馬,以三千人来。劉錡令壮士以槍摽去其兜牟,大斧断其臂,砕其首。
書き下し
兀朮に勁兵有り、皆な重鎧にして、貫くに韋索を以てし、三人を聯と為し、名づけて拐子馬と曰い、又た長勝軍と号す。戦酣なる時に於いて、毎に用いて以て堅を攻め、官軍当たる能わず。郾城の役、万五千騎を以て来る。岳飛、兵に戒め、麻紮刀を率いて陣に入り、仰ぎ視ること勿く、但だ馬足を斲らしむ。拐子馬は相連なり、一馬僕るれば二馬行く能わず、官軍奮撃して、大いに之を敗る。〔述評〕慕容紹宗、兵十万を引きて侯景を撃つ。旗甲は日に耀き、鼓を鳴らして長駆して進む。景、戦士に命じ皆な甲を被り、短刀を執り、東魏の陣に入らしむ。但だ低く視て、人の脛と馬の足を斲らしむ。飛は古法を学ばざれども、豈に暗に合せんや。兀朮に牙兵有り、皆な重鎧甲にして、鉄兜牟を戴き、周匝に長簷を綴り、三人を伍と為し、貫くに韋索を以てし、鉄浮図と号す。順昌の役、方に大いに戦う時、兀朮は白袍を被り、甲馬に乗り、三千人を以て来る。劉錡、壮士をして槍標を以て其の兜牟を去らしめ、大斧もて其の臂を断ち、其の首を砕く。
現代語訳
兀朮には強兵がおり、みな重い鎧を着て、革の綱で三人を一組につなぎ、拐子馬と名づけ、また長勝軍とも呼んだ。戦いが盛り上がったとき、いつもこれで堅い守りを攻め、官軍は抵抗できなかった。郾城の戦いで、一万五千騎で来た。岳飛は兵に命じ、麻で巻いた刀を持って陣に入り、上を見ず、ただ馬の足を斬らせた。拐子馬は互いにつながれているので、一頭が倒れると二頭が動けなくなり、官軍は奮い立って撃ち、大いに破った。〔述評〕慕容紹宗は兵十万を率いて侯景を撃った。旗と鎧は日に輝き、鼓を鳴らしながら進んだ。侯景は戦士に命じて、みな鎧を着け、短刀を持って東魏の陣に入らせた。ただ低く見て、人の脛や馬の足を斬らせた。岳飛は古法を学んでいないのに、暗に合致したのだろうか。兀朮には親衛兵がおり、みな重い鎧を着て鉄の兜をかぶり、周りに長い庇を付け、三人を一組にして革の綱でつなぎ、鉄浮図と呼んだ。順昌の戦いで、激しく戦っているとき、兀朮は白い袍を着て、馬鎧の馬に乗り、三千人で来た。劉錡は壮士に槍の先で兜を落とさせ、大斧でその腕を断ち、首を砕かせた。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』不戰・岳忠武楊么、寇を為す。岳飛の部する所は皆西北の人にして、水戦を習わず。飛曰く、「兵に何ぞ常あらん、ただこれを用うること何如なるかを顧みるのみ。」と。先ず使いを遣わしてこれを招諭す。賊党の黄佐曰く、「岳節使の号令は山の如し。もしこれと敵せば、万に生理なし。往きて降るに如かず、必ず善く我を遇せん。」と。遂に降る。飛は単騎にてその部を按じ、佐の背を拊ちて曰く、「子は逆順を知る者なり。果たして功を立つれば、封侯も豈に道うに足らんや。また子を遣わして湖中に至らしめ、その乗ずべき者を視て擒え、勧むべき者は招かんと欲す。如何。」と。佐は感泣し、死を以て報いんことを誓う。時に張浚、都督軍事を以て潭に至る。参政席益、浚と語り、飛の寇を玩ぶを疑う。浚曰く、「岳侯は忠孝の人なり。兵に深機あり、何ぞ易く言うべけんや。」と。益は慚じて止む。黄佐は周倫の砦を襲い、倫を殺し、その統制陳貴らを擒う。たまたま浚を召して秋の防ぎに還らしむ。飛は袖より小図を出して浚に示す。浚は来年を待ちてこれを議せんと欲す。飛曰く、「王四廂は王師を以て水寇を攻むれば則ち難く、飛は水寇を以て水寇を攻むれば則ち易し。水戦は我が短、彼の長なり。短を以て長を攻むるは、難き所以なり。もし敵将に因り敵兵を用い、その手足の助けを奪い、その腹心の托を離し、孤立せしめて、而る後に王師を以て乗ぜば、八日の内に当に諸酋を俘とすべし。」と。浚はこれを許す。飛は遂に鼎州に如く。黄佐は楊欽を招いて来降せしむ。飛は喜びて曰く、「楊欽は驍悍なり、既に降れば、賊の腹心潰えたり。」と。
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『智囊』不戰・岳忠武表して欽に武義大夫を授け、礼遇甚だ厚くして、乃ち復た遣わして湖中に帰らしむ。両日にして、欽は全琮、劉鋭らを説きて降らしむ。飛は詭りて罵りて曰く、「賊尽くは降らざるに、何ぞ来たるや。」と。これを杖うち、復た湖に入らしむ。この夜敵営を掩い、その衆数万を降す。么は固きに負いて服せず、方に舟を湖中に浮かべ、輪を以て水を激し、その行くこと飛ぶが如し。旁らに撞竿を置き、官舟これを迎うれば、輒ち砕く。飛は君山の木を伐りて巨筏を為り、諸もろの港汊を塞ぎ、また腐木乱草を以て、上流に浮かべて下す。水の浅き処を擇び、善く罵る者を遣わしてこれを挑ましめ、且つ行き且つ罵る。賊怒りて追えば、則ち草は壅ぎ積み、舟の輪は礙げられて行かず。飛は亟かに兵を遣わしてこれを撃つ。賊は港中に奔るも、筏に拒がる。官軍は筏に乗り、牛革を張りて以て矢石を蔽い、巨木を挙げてその舟を撞き、尽く壊る。么は水中に投ず。牛臯が擒え斬る。飛は賊の塁に入る。余の酋は驚きて曰く、「何ぞ神なるや。」と。俱に降る。飛は親ら諸砦を行きて慰撫し、老弱を縦して籍に帰し、少壮を軍と為す。果たして八日にして賊平らぐ。浚は歎じて曰く、「岳侯の神算なり。」と。
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『智囊』制勝・劉錡敵稍や卻くや、即ち歩兵を以て邀撃し、河水に溺れて死する者無算なり。金兵、砦を二十里に移す。錡、閻充を遣わして壮士五百人を募り、夜に其の営を斲たしむ。是の夕、天雨ふらんと欲し、電光四もに起こり、辮髪の者を見れば輒ち之を殲す。金兵復た退くこと十五里。錡復た百人を募りて以て往かしめ、折竹を命じて器と為す。市井の児が以て戯れと為すが如きもの、人ごとに一を持ちて以て号と為し、直ちに金営を犯す。電一たび閃けば則ち奮撃し、電止めば則ち匿れて動かず。敵衆大いに乱れ、百人の者は吹声を聞いて聚まる。兵此に至りて神なり。金人益々測る能わず。終夜自ら戦い、積屍野に盈つ。兀術は汴に在りて之を聞き、即ち靴を索め馬に上り、十万の衆を帥いて来り援く。諸将謂う、「宜しく方に勝つの勢いに乗じ、舟を具えて軍を全うして帰るべし」と。錡曰く、「敵営は甚だ邇く、而も兀術又来る。吾が軍一たび動かば、彼其の後を躡み、則ち前功は倶に廃せん」と。錡、曹成ら二人を募り得て、之に諭して曰く、「汝を遣わして間と作さしむ。事捷たば重く賞せん。第だ吾が言の如くせよ。敵は必ず汝を殺さじ。今、汝を綽路騎の中に置く。汝敵に遇わば、則ち佯りて馬より墜ち、敵の得る所と為れ。敵帥、我が何如なる人かと問わば、則ち曰え、『平辺帥の子にして、声妓を喜ぶ。朝廷、両国の講好を以て、東京を守らしめ、逸楽を図るのみ』と」。
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『智囊』制勝・劉錡已にして二人は果たして其の言の如くす。兀術大いに喜び、即ち鵝車・炮具を置いて用いず。翌日、錡城に登り、二人の来るを望み見て、縋りて之を上らしむ。乃ち敵、成らに械して来り帰すなり。文書一巻を以て械の上に係く。錡、軍を惑わすを懼れ、立ちどころに之を焚く。兀術城下に至り、諸将を譴責す。諸将皆曰く、「南朝の用兵は昔に非ず。元帥臨みて城を自ら見よ」と。適々錡、耿訓を遣わして戦いを請わしむ。兀術怒って曰く、「劉錡何ぞ敢えて吾と戦わんや。吾が力を以て爾の城を破るは、直ちに靴尖を用いて趯倒するのみ」と。訓曰く、「太尉は但だ太子と戦わんことを請うのみならず、且つ太子は必ず敢えて河を済らずと謂う。願わくは浮橋五所を献じ、済りて大いに戦わん」と。遅明、錡果たして浮橋五を河上に為り、敵用いて以て済る。錡、人を遣わして潁の上流及び草中に毒せしめ、軍士に戒めて、渇死すと雖も河に飲む毋かれ、飲む者は其の族を夷せんとす。時に大暑にして、敵は遠く来りて、昼夜甲を解かず。錡の軍は番休して羊馬垣の下に更々食らう。而して敵の人馬は飢渇し、飲食水草する者は輒ち病む。方に晨気清涼なるも、錡は兵を按じて動かず。未申の間に逮び、敵の気已に索く。忽ち数百人を遣わして西門より出で接戦せしむ。俄かに数千人を以て南門より出で、戒めて喊ぶ勿からしめ、但だ鋭斧を以て之を犯さしむ。敵大いに敗れ、兀術遂に営を抜きて北へ去る。是の役や、錡の兵は二万に盈たず、出戦するは僅かに五千。金兵は数十万、営は西北にあり、亙ること十五里、暮ごとに鼓声谷を震わせ、営中喧嘩して終夜声有り。而して我が城中は粛然として鶏犬を聞かず。唯だ能く逸を以て労を待ち、是を以て大勝す。
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