智囊 / 制勝・劉錡
敵稍卻,即以步兵邀擊,溺河水死者無算。金兵移砦二十里。錡遣閻充募壯士五百人夜斲其營。是夕,天欲雨,電光四起,見辮發者輒殲之。金兵復退十五里。錡復募百人以往,命折竹為器,如市井兒以為戲者,人持一以為號,直犯金營,電一閃則奮擊,電止則匿不動。敵眾大亂,百人者聞吹聲而聚。兵至此神矣,金人益不能測。終夜自戰,積屍盈野,兀術在汴聞之,即索靴上馬,帥十萬眾來援。諸將謂:「宜乘方勝之勢,具舟全軍而歸。」錡曰:「敵營甚邇,而兀術又來,吾軍一動,彼躡其後,則前功俱廢矣!」錡募得曹成等二人,諭之曰:「遣汝作間,事捷重賞,第如吾言,敵必不殺汝,今置汝綽路騎中,汝遇敵,則佯墜馬,為敵所得。敵帥問我何如人,則曰:『平邊帥子,喜聲妓,朝廷以兩國講好,使守東京,圖逸樂耳。』
新字:敵稍却,即以歩兵邀撃,溺河水死者無算。金兵移砦二十里。錡遣閻充募壮士五百人夜斲其営。是夕,天欲雨,電光四起,見辮発者輒殲之。金兵復退十五里。錡復募百人以往,命折竹為器,如市井児以為戯者,人持一以為号,直犯金営,電一閃則奮撃,電止則匿不動。敵衆大乱,百人者聞吹声而聚。兵至此神矣,金人益不能測。終夜自戦,積屍盈野,兀術在汴聞之,即索靴上馬,帥十万衆来援。諸将謂:「宜乗方勝之勢,具舟全軍而帰。」錡曰:「敵営甚邇,而兀術又来,吾軍一動,彼躡其後,則前功倶廃矣!」錡募得曹成等二人,諭之曰:「遣汝作間,事捷重賞,第如吾言,敵必不殺汝,今置汝綽路騎中,汝遇敵,則佯墜馬,為敵所得。敵帥問我何如人,則曰:『平辺帥子,喜声妓,朝廷以両国講好,使守東京,図逸楽耳。』
書き下し
敵稍や卻くや、即ち歩兵を以て邀撃し、河水に溺れて死する者無算なり。金兵、砦を二十里に移す。錡、閻充を遣わして壮士五百人を募り、夜に其の営を斲たしむ。是の夕、天雨ふらんと欲し、電光四もに起こり、辮髪の者を見れば輒ち之を殲す。金兵復た退くこと十五里。錡復た百人を募りて以て往かしめ、折竹を命じて器と為す。市井の児が以て戯れと為すが如きもの、人ごとに一を持ちて以て号と為し、直ちに金営を犯す。電一たび閃けば則ち奮撃し、電止めば則ち匿れて動かず。敵衆大いに乱れ、百人の者は吹声を聞いて聚まる。兵此に至りて神なり。金人益々測る能わず。終夜自ら戦い、積屍野に盈つ。兀術は汴に在りて之を聞き、即ち靴を索め馬に上り、十万の衆を帥いて来り援く。諸将謂う、「宜しく方に勝つの勢いに乗じ、舟を具えて軍を全うして帰るべし」と。錡曰く、「敵営は甚だ邇く、而も兀術又来る。吾が軍一たび動かば、彼其の後を躡み、則ち前功は倶に廃せん」と。錡、曹成ら二人を募り得て、之に諭して曰く、「汝を遣わして間と作さしむ。事捷たば重く賞せん。第だ吾が言の如くせよ。敵は必ず汝を殺さじ。今、汝を綽路騎の中に置く。汝敵に遇わば、則ち佯りて馬より墜ち、敵の得る所と為れ。敵帥、我が何如なる人かと問わば、則ち曰え、『平辺帥の子にして、声妓を喜ぶ。朝廷、両国の講好を以て、東京を守らしめ、逸楽を図るのみ』と」。
現代語訳
敵が少し退くと、すぐに歩兵で迎え撃ち、川に溺れて死んだ者は数え切れませんでした。金軍は砦を二十里後ろに移しました。劉錡は閻充を遣わして壮士五百人を募り、夜にその陣営を襲わせました。この夕方は雨が降りそうで、稲妻があちこちで光り、辮髪の者を見れば斬り殺しました。金軍はさらに十五里退きました。劉錡はまた百人を募って行かせ、竹を折って道具にするよう命じました。町の子供が遊びに使うようなもので、一人ごとに一つ持たせて合図とし、まっすぐ金の陣営を襲いました。稲妻が一度光れば奮撃し、止めば隠れて動きません。敵は大いに乱れ、百人は吹き鳴らす音を聞いて集まりました。兵の働きがここまで来ると神業で、金人はますます測りかねました。一晩中同士討ちをして、屍が野に満ちました。兀術は汴京でそれを聞き、すぐに靴を求めて馬に乗り、十万の軍を率いて援けに来ました。諸将は言いました。「勝っている勢いに乗って、舟を用意し、軍を無事に保って帰るべきです」。劉錡は言いました。「敵の陣営はすぐ近くで、しかも兀術がまた来た。我が軍が一度動けば、彼らはその後ろを追い、これまでの功はすべて無駄になる」。劉錡は曹成ら二人を募り、言い聞かせました。「お前たちを間者として遣わす。事が成れば重く賞する。ただ私の言うとおりにせよ。敵は必ずお前たちを殺さない。今、お前たちを偵察騎兵の中に置く。敵に遭ったら、偽って馬から落ち、敵に捕まれ。敵の将が、私がどんな人物かと尋ねたら、こう答えよ。『辺境を平定した将軍の子で、歌や芸妓を好む。朝廷は両国の和平のために、東京を守らせたが、楽しみを求めているだけだ』と」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十七年 彗星と火災の予言九月、丁卯、晉の荀吳師を帥ゐて、棘津より涉り、祭史をして先づ牲を雒に用ゐしむ。陸渾の人知らず。師之に從ふ。庚午、遂に陸渾を滅ぼす。之を數むるに其の楚に貳するを以てす。陸渾子楚に奔り、其の衆甘鹿に奔る。周大いに獲たり。宣子、文公荀吳を攜へて之に陸渾を授くるを夢む。故に穆子をして師を帥ゐしめ、俘を文宮に獻ず。冬、星大辰に孛する有り、西のかた漢に及ぶ。申須曰く、「彗は舊を除き新を布く所以なり。天事は恆に象あり。今火に除く。火出づれば必ず布かん。諸侯其れ火災有らんか」と。梓慎曰く、「往年吾之を見る。是れ其の徵なり。火出でて見ゆ。今茲火出でて章かなり。必ず火入りて伏せん。其の火に居ること久し。其れ然らざらんや。火出づるは、夏に於いては三月為り、商に於いては四月為り、周に於いては五月為り。夏數天を得たり。若し火作らば、其れ四國之に當たらん。宋・衛・陳・鄭に在らんか。宋は大辰の虛なり。陳は大皞の虛なり。鄭は祝融の虛なり。皆火房なり。星孛して天漢に及ぶ。漢は水祥なり。衛は顓頊の虛なり、故に帝丘為り。其の星は大水為り。水は火の牡なり。其れ丙子若しくは壬午を以て作らんか。水火の合する所以なり。若し火入りて伏せば、必ず壬午を以てし、其の見ゆるの月を過ぎず」と。鄭の裨竈子產に言ひて曰く、「宋・衛・陳・鄭、將に同日に火あらんとす。若し我瓘斝玉瓚を用ゐば、鄭必ず火あらず」と。子產與へず。
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孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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孫子・行軍篇兵怒りて相迎え、久しくして合わず、又相去らざるは、必ず謹んでこれを察すべし。
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史記 秦本紀繆公聞き、怒りて曰く、「孤兵を発して子沮みて吾が軍を哭するは、何ぞや」と。二老曰く、「臣敢へて君の軍を沮むに非ず。軍行くに、臣の子与に往く。臣老いたり、遅く還らば相見ざらんことを恐る、故に哭するのみ」と。二老退きて、其の子に謂ひて曰く、「汝の軍即し敗れなば、必ず殽の阨に於てせん」と。三十三年春、秦の兵遂に東し、晋の地を更り、周の北門を過ぐ。周の王孫満曰く、「秦の師礼無し、敗れずして何をか待たん」と。兵滑に至る。鄭の販売の賈人弦高、十二牛を持ちて将に之を周に売らんとす。秦の兵を見て、死虜を恐れ、因りて其の牛を献じて、曰く、「大国将に鄭を誅せんとすと聞く。鄭君謹んで守御の備へを修め、臣をして牛十二を以て軍士を労はしむ」と。秦の三将軍相謂ひて曰く、「将に鄭を襲はんとす。鄭今已に之を覚る、往くも及ぶ無し」と。滑を滅ぼす。滑は、晋の辺邑なり。是の時に当たり、晋の文公の喪尚ほ未だ葬らず。太子襄公怒りて曰く、「秦我が孤を侮り、喪に因りて我が滑を破る」と。遂に衰絰を墨くし、
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 弦高、秦師を犒う三十三年春、秦の師周の北門を過ぐ。左右冑を免ぎて下り、超乘する者三百乘。王孫滿尚ほ幼し。之を觀て、王に言ひて曰く、「秦の師輕くして禮無し。必ず敗れん。輕ければ則ち謀寡く、禮無ければ則ち脫(だつ)す。險に入りて脫し、又謀る能はず、能く敗るること無からんや」と。滑に及び、鄭の商人弦高將に周に市せんとして、之に遇ふ。乘韋を以って先にし、牛十二もて師を犒ひて曰く、「寡君吾子の將に師を步ませて敝邑より出でんとするを聞き、敢へて從者を犒はしむ。不腆(ふてん)の敝邑、從者の淹(ひさ)しきが為に、居れば則ち一日の積を具へ、行けば則ち一夕の衛を備へん」と。且つ遽(きょ)をして鄭に告げしむ。鄭の穆公客館を視しむれば、則ち束載し、兵を厲(と)ぎ、馬に秣(まぐさか)へり。皇武子をして辭せしめて曰く、「吾子敝邑に淹久し、唯だ是れ脯資・餼牽竭きたり。吾子の將に行かんとするが為なり。鄭の原圃有るは、猶ほ秦の具囿有るがごときなり。吾子其の麋鹿を取りて、以って敝邑を閒(やす)んぜしめば、若何」と。杞子齊に奔り、逢孫・楊孫宋に奔る。孟明曰く、「鄭備へ有り、冀(こひねが)ふ可からず。之を攻むれども克たず、之を圍めども繼がず。吾其れ還らん」と。滑を滅ぼして還る。齊の國莊子來聘す。郊勞より贈賄に至るまで、禮成りて之に加ふるに敏を以ってす。臧文仲公に言ひて曰く、「國子政を為し、齊猶ほ禮有り。君其れ朝せよ。臣之を聞く、禮有るに服するは、社稷の衛なり」と。
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