智囊 / 不戰・岳忠武
表授欽武義大夫,禮遇甚厚,乃復遣歸湖中。兩日,欽說全琮、劉銳等降,飛詭罵曰:「賊不盡降,何來也?」杖之,復令入湖。是夜掩敵營,降其眾數萬。么負固不服,方浮舟湖中,以輪激水,其行如飛;旁置撞竿,官舟迎之,輒碎。飛伐君山木為巨筏,塞諸港汊,又以腐木亂草,浮上流而下。擇水淺處,遣善罵者挑之,且行且罵。賊怒來追,則草壅積,舟輪礙不行,飛亟遣兵擊之,賊奔港中,為筏所拒,官軍乘筏,張牛革以蔽矢石,舉巨木撞其舟,盡壞,么投水中,牛臯擒斬。飛入賊壘,餘酋驚曰:「何神也?」俱降,飛親行諸砦慰撫之,縱老弱歸籍,少壯為軍,果八日而賊平。濬歎曰:「岳侯神算也!」
新字:表授欽武義大夫,礼遇甚厚,乃復遣帰湖中。両日,欽説全琮、劉鋭等降,飛詭罵曰:「賊不尽降,何来也?」杖之,復令入湖。是夜掩敵営,降其衆数万。么負固不服,方浮舟湖中,以輪激水,其行如飛;旁置撞竿,官舟迎之,輒砕。飛伐君山木為巨筏,塞諸港汊,又以腐木乱草,浮上流而下。択水浅処,遣善罵者挑之,且行且罵。賊怒来追,則草壅積,舟輪礙不行,飛亟遣兵撃之,賊奔港中,為筏所拒,官軍乗筏,張牛革以蔽矢石,舉巨木撞其舟,尽壊,么投水中,牛皋擒斬。飛入賊塁,余酋驚曰:「何神也?」倶降,飛親行諸砦慰撫之,縦老弱帰籍,少壮為軍,果八日而賊平。濬嘆曰:「岳侯神算也!」
書き下し
表して欽に武義大夫を授け、礼遇甚だ厚くして、乃ち復た遣わして湖中に帰らしむ。両日にして、欽は全琮、劉鋭らを説きて降らしむ。飛は詭りて罵りて曰く、「賊尽くは降らざるに、何ぞ来たるや。」と。これを杖うち、復た湖に入らしむ。この夜敵営を掩い、その衆数万を降す。么は固きに負いて服せず、方に舟を湖中に浮かべ、輪を以て水を激し、その行くこと飛ぶが如し。旁らに撞竿を置き、官舟これを迎うれば、輒ち砕く。飛は君山の木を伐りて巨筏を為り、諸もろの港汊を塞ぎ、また腐木乱草を以て、上流に浮かべて下す。水の浅き処を擇び、善く罵る者を遣わしてこれを挑ましめ、且つ行き且つ罵る。賊怒りて追えば、則ち草は壅ぎ積み、舟の輪は礙げられて行かず。飛は亟かに兵を遣わしてこれを撃つ。賊は港中に奔るも、筏に拒がる。官軍は筏に乗り、牛革を張りて以て矢石を蔽い、巨木を挙げてその舟を撞き、尽く壊る。么は水中に投ず。牛臯が擒え斬る。飛は賊の塁に入る。余の酋は驚きて曰く、「何ぞ神なるや。」と。俱に降る。飛は親ら諸砦を行きて慰撫し、老弱を縦して籍に帰し、少壮を軍と為す。果たして八日にして賊平らぐ。浚は歎じて曰く、「岳侯の神算なり。」と。
現代語訳
岳飛は上表して楊欽に武義大夫の位を授け、厚く礼遇した上で、また湖の中へ帰らせた。二日して、楊欽は全琮、劉鋭らを説得して降らせた。岳飛はわざと罵って言った。「賊が全部降ったわけでもないのに、なぜ来たのだ。」そして杖で打ち、また湖に戻らせた。その夜、敵の陣営を襲って、その兵数万を降した。楊么は地の利に頼って服さず、舟を湖に浮かべ、外輪で水をかいて、飛ぶように進んだ。舟の脇には撞竿を置き、官軍の舟が迎え撃てば、すぐ砕いてしまった。岳飛は君山の木を伐って大きな筏を作り、あちこちの港や入り江をふさぎ、また腐った木や乱れた草を上流から浮かべて流した。水の浅い所を選び、罵るのが得意な者を遣わして挑発させ、進みながら罵らせた。賊が怒って追ってくると、草が詰まって積み重なり、舟の外輪がさえぎられて進まなくなった。岳飛はすぐに兵を遣わして撃たせた。賊は港の中へ逃げたが、筏にふさがれた。官軍は筏に乗り、牛の皮を張って矢や石を防ぎ、大木を持ち上げて敵の舟に突き当て、すべて壊した。楊么は水に飛び込んだが、牛臯が捕らえて斬った。岳飛は賊の砦に入った。残る首領たちは驚いて言った。「なんという神技か。」と言い、皆降った。岳飛は自ら砦をめぐって慰め、老人や弱い者は帰して戸籍に戻し、若く壮健な者は軍に編入した。果たして八日で賊は平定された。張浚は嘆息して言った。「岳侯の神算だ。」
解説
この章句が説くこと
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