智囊 / 武案・宗澤・李存進・樊若水
宗澤以計敗卻金人,念敵眾十倍我,今一戰而退,勢必復來。使悉其鐵騎夜襲吾軍,則危矣。乃幕徙其軍,金人夜果至,得空營。大驚。自是憚澤不敢犯。晉副總管李存進造浮梁於德勝。舊制浮梁須竹笮、鐵牛、石囷。囷存進以葦笮維巨艦,係於王山巨木,逾月而成。浮梁之簡便,自存進始,唐池州人樊若水,舉進士不第,因謀歸宋。乃漁釣於彩石江上,乘小舟,載係繩維南岸,疾棹抵北岸,以度江之廣狹。因詣闕上書,請造浮梁以濟。議者謂江闊水深,古未有浮梁而濟者,帝不聽,擢若水右贊善大夫,遣石全振往荊湖,造黃黑龍船數千艘。又以大艦載巨竹絚,自荊渚而下,先試於石碑口。移置彩石,三日而成,不差寸尺。
新字:宗沢以計敗却金人,念敵衆十倍我,今一戦而退,勢必復来。使悉其鉄騎夜襲吾軍,則危矣。乃幕徙其軍,金人夜果至,得空営。大驚。自是憚沢不敢犯。晋副総管李存進造浮梁於徳勝。旧制浮梁須竹笮、鉄牛、石囷。囷存進以葦笮維巨艦,係於王山巨木,逾月而成。浮梁之簡便,自存進始,唐池州人樊若水,舉進士不第,因謀帰宋。乃漁釣於彩石江上,乗小舟,載係縄維南岸,疾棹抵北岸,以度江之広狭。因詣闕上書,請造浮梁以済。議者謂江闊水深,古未有浮梁而済者,帝不聴,擢若水右賛善大夫,遣石全振往荊湖,造黄黒竜船数千艘。又以大艦載巨竹絚,自荊渚而下,先試於石碑口。移置彩石,三日而成,不差寸尺。
書き下し
宗沢、計を以て金人を敗り卻く。敵の衆は我に十倍するを念い、今一戦して退くとも、勢い必ず復た来らん、若し悉く其の鉄騎を使いて夜に吾が軍を襲わしめば、則ち危うしと。乃ち幕を其の軍に徙す。金人夜に果たして至り、空営を得たり、大いに驚く。是れより澤を憚りて敢えて犯さず。晋の副総管の李存進、浮梁を徳勝に造る。旧制、浮梁は竹笮、鉄牛、石囷を須つ。存進は葦笮を以て巨艦を維ぎ、王山の巨木に係け、月を逾えて成る。浮梁の簡便は、存進に始まる。唐の池州の人、樊若水、進士に挙げられて第せず、因りて宋に帰せんと謀る。乃ち彩石江上に漁釣し、小舟に乗り、繩を載せて南岸に係け、疾く棹して北岸に抵り、以て江の広狭を度る。因りて闕に詣りて書を上り、浮梁を造りて以て済らんことを請う。議者は、江闊く水深く、古より浮梁して済る者有らずと謂う。帝聴かず、若水を右贊善大夫に擢でて、石全振を荊湖に遣わし、黄黒龍船数千艘を造らしむ。又た大艦を以て巨竹絚を載せ、荊渚より下り、先に石碑口に試み、彩石に移し置きて、三日にして成り、寸尺も差わず。
現代語訳
宗沢は計略によって金軍を打ち破って退けた。敵の兵は我が軍の十倍であり、今一度の戦いで退いても、必ずまた来るだろう。もし敵が精鋭の騎兵を全部使って夜に我が軍を襲ったら危ない、と宗沢は考えた。そこで陣幕を別の場所に移した。金軍は果たして夜に来て、もぬけの殻の陣を得て大いに驚いた。以後、宗沢を恐れて手を出さなくなった。晋の副総管の李存進は、徳勝に浮橋を造った。旧来の決まりでは、浮橋には竹の綱、鉄の牛、石の囲いが必要だった。存進は葦の綱で大きな船をつなぎ、王山の大木に結び、一か月余りで完成させた。浮橋が簡便になったのは存進に始まる。唐の池州の人、樊若水は進士に挙げられたが及第せず、宋に帰順しようと考えた。そこで彩石の江で釣りをし、小舟に乗り、縄を載せて南岸に結び付け、急いで漕いで北岸に着き、江の広さと深さを測った。そして朝廷に上書して、浮橋を造って渡ることを願い出た。議論する者は、江は広く水は深く、昔から浮橋で渡った者はないと言った。皇帝は聞き入れず、若水を右贊善大夫に抜擢し、石全振を荊湖に遣わして黄黒龍船を数千艘造らせた。また大船に大きな竹の綱を載せ、荊渚から下り、まず石碑口で試し、彩石に移して置くと、三日で完成し、寸分の狂いもなかった。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』應卒・李允則・太宗卒宋の真宗の時、李允則、滄州に知たり。虜、城を囲むに、城中に炮石無く、乃ち氷を鑿ちて炮と為し、虜解き去る。近時、陳規、安州を守るに、泥を以て炮と為し、城もまた終に下すべからず。太宗、北兵を以て淮を渡らんとするに、時に一葦の楫無し。人有り、嚢中より乾ける豬脬十余を取り、気をその中に内れ、腰間に環著し、水を泅ぎて南し、径ちに舟を奪いて以て済る。
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