智囊 / 敏悟・黃懷信
宋初,兩浙獻龍船,長二十餘丈,上為宮室層樓,設御榻,以備遊幸。歲久腹敗,欲修治而水中不可施工。熙寧中,宦官黃懷信獻計,於金明池北鑿大澳,可容龍船,其下置柱,以大木梁其上,乃決汴水入澳,引船當樑上,即車入澳中水。完補訖,復以水浮船,撤去梁柱,以大屋蒙之,遂為藏船之室,永無暴露之患。〔述評〕蘇郡葑門外有滅渡橋。相傳水勢湍急,工屢不就。有人獻策,度地於田中,築基建之。既成,濬為河道,導水由橋下,而塞其故處,人遂通行,故曰「滅渡」。此橋鉅麗堅久,至今偉觀。或云魯般現身也。事與修船相似。
新字:宋初,両浙献竜船,長二十余丈,上為宮室層楼,設御榻,以備遊幸。歳久腹敗,欲修治而水中不可施工。熙寧中,宦官黄懐信献計,於金明池北鑿大澳,可容竜船,其下置柱,以大木梁其上,乃決汴水入澳,引船当梁上,即車入澳中水。完補訖,復以水浮船,撤去梁柱,以大屋蒙之,遂為蔵船之室,永無暴露之患。〔述評〕蘇郡葑門外有滅渡橋。相伝水勢湍急,工屡不就。有人献策,度地於田中,築基建之。既成,濬為河道,導水由橋下,而塞其故処,人遂通行,故曰「滅渡」。此橋鉅麗堅久,至今偉観。或云魯般現身也。事与修船相似。
書き下し
宋の初め、両浙、龍船を献ず。長さ二十余丈、上は宮室層楼を為し、御榻を設け、以て遊幸に備う。歳久しく腹敗れ、修治せんと欲するも水中に施工すべからず。熙寧中、宦官黄懐信、計を献じ、金明池の北に大澳を鑿ち、龍船を容るべくし、その下に柱を置き、大木を以てその上に梁し、乃ち汴水を決して澳に入れ、船を引きて梁の上に当たらしめ、即ち車して澳中の水を入る。完補し訖りて、復た水を以て船を浮かべ、梁柱を撤去し、大屋を以てこれを蒙い、遂に蔵船の室と為し、永く暴露の患無し。〔述評〕蘇郡の葑門外に滅渡橋有り。相い伝う、水勢湍急にして、工しばしば就らず。人有り策を献じ、地を田中に度り、基を築きてこれを建つ。既に成りて、浚いて河道と為し、水を導きて橋下より由らしめ、而してその故処を塞ぐ。人遂に通行す。故に「滅渡」と曰う。この橋は鉅麗堅久にして、今に至るまで偉観たり。或ひと云う、魯般の身を現すなりと。事は修船と相似たり。
現代語訳
宋の初め、両浙が龍船を献上した。長さは二十丈余り、上には宮殿のような層楼を作り、天子の寝台を設け、行幸に備えていた。年月がたって船の底が傷み、修理しようとしたが、水の上では作業ができなかった。熙寧年間、宦官の黄懐信が計略を献じ、金明池の北に大きな入り江を掘って龍船が入る広さとし、その底に柱を並べ、大木を渡して上に梁を作り、そこで汴河の水を切って入り江へ引き込み、船を梁の上に引き入れ、水車で入り江の水を汲み出した。修理が終わると、再び水で船を浮かべ、梁と柱を取り除き、大きな屋根でそれを覆って、船を収める倉庫にし、永遠に雨ざらしの心配をなくした。〔述評〕蘇州の葑門の外に滅渡橋がある。言い伝えによると、水の流れが急で、工事がなかなか成就しなかった。ある人が策を献じ、田の中の土地を測って土台を築いて橋を建てた。完成してから、掘り下げて河道とし、水を橋の下に導き、元の場所をふさいだ。人々はやっと通行できた。だから「滅渡」という。この橋は大きく立派で堅固であり、今も壮観である。ある人は魯般(名工)が姿を現したのだと言う。この話は船の修理と似ている。
解説
この章句が説くこと
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