智囊 / 威克・宗澤
金寇犯闕,鑾輿南幸。賊退,以宗公汝霖尹開封。初至,而物價騰貴,至有十倍於前者。郡人病之,公謂參佐曰:「此易事,自都人率以飲食為先,當治其所先,緩者不憂於平也。」密使人問米麥之值,且市之。計其值,與前此太平時初無甚增,乃呼庖人取面,令作市肆籠餅大小為之,乃取糯米一斛,令監軍使臣如市酤醞酒,各估其值,而籠餅枚六錢,酒每觚七十足,出勘市價。則餅二十,酒二百也,公先呼作坊餅師至,諷之曰:「自我為舉子時來京師,今三十年矣,籠餅枚七錢,而今二十,何也,豈麥價高倍乎?」餅師曰:「自都城經亂以來,米麥起落,初無定價,因襲至此,某不能違眾獨減,使賤市也。」
新字:金寇犯闕,鑾輿南幸。賊退,以宗公汝霖尹開封。初至,而物価騰貴,至有十倍於前者。郡人病之,公謂参佐曰:「此易事,自都人率以飲食為先,当治其所先,緩者不憂於平也。」密使人問米麦之値,且市之。計其値,与前此太平時初無甚增,乃呼庖人取面,令作市肆籠餅大小為之,乃取糯米一斛,令監軍使臣如市酤醞酒,各估其値,而籠餅枚六銭,酒毎觚七十足,出勘市価。則餅二十,酒二百也,公先呼作坊餅師至,諷之曰:「自我為舉子時来京師,今三十年矣,籠餅枚七銭,而今二十,何也,豈麦価高倍乎?」餅師曰:「自都城経乱以来,米麦起落,初無定価,因襲至此,某不能違衆独減,使賤市也。」
書き下し
金寇闕を犯し、鑾輿南に幸す。賊退き、宗公汝霖を以て開封に尹たらしむ。初め至るや、物価騰貴し、前に十倍する者有るに至る。郡人は之を病む。公は参佐に謂いて曰く、「此れ易き事なり。都人は率ね飲食を以て先と為す。当に其の先とする所を治むべし。緩き者は平らかならざるを憂えず」と。密かに人をして米麦の値を問わしめ、且つ之を市わしむ。其の値を計るに、前の太平の時と初め甚だしき増無し。乃ち庖人を呼びて面を取らしめ、市肆の籠餅の大小の如く之を作らしめ、乃ち糯米一斛を取り、監軍使臣をして市の如く酤醞して酒を醸さしめ、各おの其の値を估る。而して籠餅は枚ごとに六銭、酒は每觚七十足。出でて市価を勘ずれば、則ち餅は二十、酒は二百なり。公は先ず作坊の餅師を呼び至らしめ、之を諷して曰く、「我、挙子たりし時、京師に来たりしより今三十年なり。籠餅は枚ごとに七銭なりしに、而して今二十とは何ぞや。豈に麦価の高きこと倍するか」と。餅師曰く、「都城は乱を経て自り以来、米麦の起落、初めより定価無く、因襲して此に至る。某は衆に違いて独り減じ、市を賤しくすること能わず」と。
現代語訳
金の賊が都を侵し、天子は南へ巡幸した。賊が退くと、宗沢(字は汝霖)を開封府の長官とした。着任したころ、物価が高騰し、以前の十倍になったものさえあった。都の人々はこれに苦しんでいた。公は属官たちに言った。「これは易しいことだ。都の人々はおおむね飲食を第一とする。まず第一とするところを整えるべきだ。緩やかなものは、整わないことを心配しなくてよい」。ひそかに人に米や麦の値段を調べさせ、それらを買わせた。値段を計算すると、以前の平和なころと比べてほとんど上がっていない。そこで料理人を呼んで小麦粉を取らせ、市中の店の籠餅と同じ大きさのものを作らせ、さらにもち米一斛を取って、監軍使臣に市中と同じ方法で酒を醸造させ、それぞれの原価を見積もった。すると籠餅は一個六銭、酒は一杯七十銭と計算できた。市価を調べに出ると、餅は二十銭、酒は二百銭であった。公はまず作業場の餅師を呼び出して、暗にこう言った。「私が科挙の受験生だったころ、都に来てから三十年になる。籠餅は一個七銭だったのに、今は二十銭とはどういうことか。麦の値が倍に上がったのか」。餅師は言った。「都は戦乱を経てから、米や麦の値の上下に決まった基準がなく、慣習のままここまで来ました。私は皆に逆らって、独り値を下げて市場を安くすることはできません」。
解説
この章句が説くこと
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