智囊 / 應卒・李允則・太宗卒
宋真宗時,李允則知滄州。虜圍城,城中無炮石,乃鑿冰為炮,虜解去。近時陳規守安州,以泥為炮,城亦終不可下。太宗以北兵渡淮,時無一葦之楫。有人於囊中取乾豬脬十餘,內氣其中,環著腰間,泅水而南,徑奪舟以濟。
新字:宋真宗時,李允則知滄州。虜囲城,城中無炮石,乃鑿冰為炮,虜解去。近時陳規守安州,以泥為炮,城亦終不可下。太宗以北兵渡淮,時無一葦之楫。有人於嚢中取乾豬脬十余,内気其中,環著腰間,泅水而南,径奪舟以済。
書き下し
宋の真宗の時、李允則、滄州に知たり。虜、城を囲むに、城中に炮石無く、乃ち氷を鑿ちて炮と為し、虜解き去る。近時、陳規、安州を守るに、泥を以て炮と為し、城もまた終に下すべからず。太宗、北兵を以て淮を渡らんとするに、時に一葦の楫無し。人有り、嚢中より乾ける豬脬十余を取り、気をその中に内れ、腰間に環著し、水を泅ぎて南し、径ちに舟を奪いて以て済る。
現代語訳
宋の真宗のとき、李允則は滄州の長官であった。敵が城を囲んだが、城中には投石用の石がなく、氷を割って石の代わりにしたので、敵は包囲を解いて去った。近ごろ陳規が安州を守ったときは、泥で石の代わりを作り、城は最後まで落ちなかった。太宗が北の兵を率いて淮水を渡ろうとしたとき、一艘の小舟すらなかった。ある者が袋の中から乾かした豚の膀胱十個余りを取り出し、空気を入れて腰のまわりに巻き付け、水を泳いで南へ渡り、すぐに舟を奪って皆を渡した。
解説
氷、泥、豚の膀胱という、およそ武器や船に見えない物を、目的に合わせて見立て直した三つの例です。炮石の代わりに氷や泥を使い、舟のない川では浮き袋を腰に付けて泳ぎ、敵の舟を奪って皆を渡しています。物の用途を固定せず、機能から逆算して材料を探す視点が共通しています。現代の管理職も、予算や設備の不足を理由に諦める前に、手元にあるものを本来の用途以外で使えないか考えてみる価値があります。ただし原文は簡略で、氷の炮の効果や太宗の渡河の細部は確かでない部分もあり、教訓として読むのが妥当です。
この章句が説くこと
鑿氷為炮以泥為炮豬脬泅水見立て機能思考
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