智囊 / 武案・孟珙
孟珙攻蔡。蔡人恃柴潭為固,外即汝河。潭高於河五六丈,城上金字號樓伏巨弩,相傳下有龍,人不敢近。將士疑畏,珙召麾下飲酒,再行,謂曰:「此潭樓非天造地設,伏弩能及遠,而不可射近,彼所恃,此水耳。決而注之,涸可立待。」遣人鑿其兩翼,潭果決,實以薪葦,遂濟師,攻城克之。
新字:孟珙攻蔡。蔡人恃柴潭為固,外即汝河。潭高於河五六丈,城上金字号楼伏巨弩,相伝下有竜,人不敢近。将士疑畏,珙召麾下飲酒,再行,謂曰:「此潭楼非天造地設,伏弩能及遠,而不可射近,彼所恃,此水耳。決而注之,涸可立待。」遣人鑿其両翼,潭果決,実以薪葦,遂済師,攻城克之。
書き下し
孟珙、蔡を攻む。蔡人、柴潭を恃みて固めと為す。外は即ち汝河なり。潭は河より高きこと五六丈、城上の金字号の楼に巨弩を伏す。相い伝う、下に龍有りと。人敢えて近づかず。将士疑畏す。珙、麾下を召して酒を飲み、再行して、謂いて曰く、「此の潭楼は天造地設に非ず。伏弩は遠きに及ぶべく、而れども近きを射るべからず。彼の恃む所は、此の水のみ。決して之に注げば、涸れること立ちどころに待つべし」と。人を遣わして其の両翼を鑿たしむ。潭果たして決し、薪葦を以て実たし、遂に師を済し、城を攻めて之に克つ。
現代語訳
孟珙は蔡州を攻めた。蔡の人々は柴潭を頼りに守りを固めていた。その外は汝河である。潭は河より五、六丈高く、城上の金字の号を掲げた楼に大きな弩が仕掛けられていた。言い伝えでは、潭の下に龍がいるとされ、人は近づこうとしなかった。将兵は疑い、恐れた。孟珙は部下を集めて酒を飲み、二巡したところで言った。「この潭と楼は、天地が造った自然のものではない。伏せた弩は遠くまで届くが、近くは射られない。彼らが頼むのは、この水だけだ。堰を切って水を流せば、干上がるのはすぐだ」。人を遣わして潭の両側を掘らせた。潭は果たして決壊し、薪や葦で埋め、軍を渡らせ、城を攻めて勝った。
解説
この章句が説くこと
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