智囊 / 武案・韋孝寬
魏韋孝寬鎮玉壁。高歡傾山東之眾來攻,連營數十,直至玉壁城下。城南起土山,欲乘之以入城。城上先有兩樓,直對土山,孝寬更縛木接之,令極高。歡遂於城南鑿地道,又於城北起土山,攻具晝夜不息。孝寬掘長塹,簡戰士屯塹,每穿至塹,戰士輒擒殺之,又於塹外積柴貯火,敵人有在地道者,便於柴火,以皮排吹之,火氣一衝,咸即灼爛。城外又造攻車,車之所及,莫不摧毀。雖有排楯,亦莫能抗。孝寬令縫布為幔,隨其所向,布懸空中,車不能壞。城外又縛鬆於竿,灌油加火,欲以燒布焚樓。孝寬使作長鉤利刃,火竿一來,鉤刃遙割之。城外又四面穿地,作二十一道,分為四路,於其中各施梁柱,以油灌柱,放火燒之,柱折,城並崩陷。孝寬隨其崩處,豎木柵以捍之,敵終不得入。歡智勇俱困,因發疾遁去,遂死。
新字:魏韋孝寛鎮玉壁。高歓傾山東之衆来攻,連営数十,直至玉壁城下。城南起土山,欲乗之以入城。城上先有両楼,直対土山,孝寛更縛木接之,令極高。歓遂於城南鑿地道,又於城北起土山,攻具昼夜不息。孝寛掘長塹,簡戦士屯塹,毎穿至塹,戦士輒擒殺之,又於塹外積柴貯火,敵人有在地道者,便於柴火,以皮排吹之,火気一衝,咸即灼爛。城外又造攻車,車之所及,莫不摧毀。雖有排楯,亦莫能抗。孝寛令縫布為幔,随其所向,布懸空中,車不能壊。城外又縛鬆於竿,灌油加火,欲以焼布焚楼。孝寛使作長鉤利刃,火竿一来,鉤刃遥割之。城外又四面穿地,作二十一道,分為四路,於其中各施梁柱,以油灌柱,放火焼之,柱折,城並崩陥。孝寛随其崩処,豎木柵以捍之,敵終不得入。歓智勇倶困,因発疾遁去,遂死。
書き下し
魏の韋孝寛、玉壁に鎮す。高歓、山東の衆を傾けて来攻し、営を連ぬること数十、直ちに玉壁城下に至る。城南に土山を起こし、之に乗じて城に入らんと欲す。城上に先に両楼有り、土山に直対す。孝寛、更に木を縛りて之に接ぎ、極めて高からしむ。歓遂に城南に於いて地道を鑿ち、又た城北に土山を起こし、攻具は昼夜息まず。孝寛、長塹を掘り、戦士を簡びて塹に屯せしめ、穿ちて塹に至る毎に、戦士輒ち之を擒殺す。又た塹外に柴を積み火を貯え、敵人の地道に在る者有らば、便ち柴火に於いて、皮排を以て之を吹く。火気一たび衝けば、咸な即ち灼爛す。城外又た攻車を造り、車の及ぶ所、摧毀せざる莫し。排楯有りと雖も、亦た能く抗する莫し。孝寛、布を縫いて幔と為し、其の向かう所に随い、布を空中に懸けしむ。車壊すこと能わず。城外又た松を竿に縛り、油を灌ぎ火を加え、以て布を燒き楼を焚かんと欲す。孝寛、長鉤利刃を作らしめ、火竿一たび来たらば、鉤刃遙かに之を割く。城外又た四面に地を穿ち、二十一道を作り、分かちて四路と為し、其の中に各おの梁柱を施し、油を以て柱に灌ぎ、火を放ちて之を燒く。柱折れ、城並びに崩陥す。孝寛、其の崩るる処に随いて、木柵を豎てて以て之を捍ぐ。敵終に入るを得ず。歓の智勇倶に困しみ、因りて疾を発して遁去し、遂に死す。
現代語訳
魏の韋孝寛は玉壁に駐屯していた。高歓は山東の全軍を傾けて攻めてきて、陣営を数十も連ね、まっすぐ玉壁城の下に至った。城の南に土山を築き、それに乗じて城内に入ろうとした。城上にはもともと二つの楼があり、土山に向き合っていた。孝寛は、さらに木を縛り付けて楼を継ぎ足し、非常に高くした。高歓はそこで城の南に地下道を掘り、さらに城の北にも土山を築き、攻城の道具は昼夜休まず動いた。孝寛は長い塹壕を掘り、戦士を選んで塹壕に駐屯させ、敵の地下道が塹壕に達するたびに、戦士がこれを捕らえて殺した。また塹壕の外に柴を積んで火を貯え、敵の兵が地下道にいれば、その柴に火をつけ、皮の吹子で風を送った。火気が一度噴けば、みな焼けただれた。城外はまた攻城車を造り、車の届くところは、すべて砕かれた。盾を並べても防げなかった。孝寛は布を縫い合わせて幕とし、敵の車が向かうところに合わせて、空中に布を垂らした。車はこれを壊せなかった。城外ではさらに松を竿に縛り、油を注いで火をつけ、布を焼いて楼を焚こうとした。孝寛は、長い鉤と鋭い刃を作らせ、火のついた竿が来れば、鉤と刃で遠くから切り落とした。城外ではさらに四方に地を掘り、二十一本の坑道を作り、四つの道筋に分け、その中にそれぞれ梁と柱を組み、油を柱に注いで火を放って焼いた。柱が折れ、城壁がいっせいに崩れた。孝寛は崩れた場所に合わせて、木の柵を立てて防いだ。敵はついに入れなかった。高歓は智も勇も尽きて、病を発して退却し、まもなく死んだ。
解説
この章句が説くこと
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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