智囊 / 經務・孟珙
淳祐中,孟珙鎮江陵。初至,登城周覽,歎曰:「江陵所恃三海,不知沮洳有變為桑田者。今自城以東,古嶺先鋒,直至三汊,無所限隔,敵一嗚鞭,不即至城外乎?」乃修復內隘十有一,而別作十隘於外,沮、漳之水舊自城西入江,則障而東之,俾繞城北入於漢,而三海遂通為一。隨其高下,為匱蓄泄,三百里間,渺然巨浸,土木之工百七十萬,而民不知役。
新字:淳祐中,孟珙鎮江陵。初至,登城周覧,嘆曰:「江陵所恃三海,不知沮洳有変為桑田者。今自城以東,古嶺先鋒,直至三汊,無所限隔,敵一嗚鞭,不即至城外乎?」乃修復内隘十有一,而別作十隘於外,沮、漳之水旧自城西入江,則障而東之,俾繞城北入於漢,而三海遂通為一。随其高下,為匱蓄泄,三百里間,渺然巨浸,土木之工百七十万,而民不知役。
書き下し
淳祐中、孟珙は江陵に鎮す。初めて至り、城に登りて周覧し、歎じて曰く、「江陵の恃む所は三海なるも、沮洳の変じて桑田と為れる者有るを知らず。今、城より以東、古嶺先鋒より、直ちに三汊に至るまで、限隔する所無し。敵の一たび鞭を鳴らさば、即ち城外に至らざらんや」と。乃ち内隘十有一を修復し、別に十隘を外に作り、沮、漳の水は旧は城西より江に入るも、則ち障りて之を東にし、城北を繞りて漢に入らしめ、而して三海は遂に通じて一と為る。其の高下に随いて、匱を為りて蓄泄し、三百里の間、渺然として巨浸たり。土木の工は百七十万にして、民は役を知らず。
現代語訳
淳祐年間、孟珙は江陵に鎮守した。着任してすぐ、城に登って見渡し、嘆いて言った。「江陵が頼りとするのは三つの海(湖沼)だが、湿地が変じて桑畑になっている所があるのを知らなかった。いま、城から東は、古嶺の先鋒から三汊に至るまで、さえぎるものがない。敵が一度鞭を鳴らせば、すぐ城外に到達するではないか。」そこで内側の要害十一か所を修復し、別に外側に十の要害を新設し、沮水と漳水はもとは城の西から長江に入っていたが、それをせき止めて東へ向け、城の北をめぐって漢水に入るようにし、三つの海はこうして通じて一つになった。高低に応じて堰を作って水を貯めたり流したりし、三百里の間は、見渡すかぎり大きな水面となった。土木の工事は百七十万の工数にのぼったが、民は労役の負担を知らなかった。
解説
この章句が説くこと
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