智囊 / 通簡・蒲宗孟・吳育
賊依梁山濼,縣官有用長梯窺蒲葦間者。蒲恭敏知鄆州,下令禁「毋得乘小舟出入濼中」。賊既絕食,遂散去。吳正肅公知蔡州。蔡故多盜,公按令為民立伍保,而簡其法,民便安之,盜賊為息。京師有告妖賊聚确山者,上遣中貴人馳至蔡,以名捕者十人。使者欲得兵往取,公曰:「使者欲借兵立威耶,抑取妖人以還報也?」使者曰:「欲得妖人耳。」公曰:「吾在此,雖不敏,然聚千人於境內,安得不知?今以兵往,是趣其為亂也。此不過鄉人相聚為佛事,以利錢財耳。手召之即可致。」乃館使者,日與之飲酒,而密遣人召十人,皆至,送京師鞫實,告者以誣得罪。
新字:賊依梁山濼,県官有用長梯窺蒲葦間者。蒲恭敏知鄆州,下令禁「毋得乗小舟出入濼中」。賊既絶食,遂散去。呉正粛公知蔡州。蔡故多盗,公按令為民立伍保,而簡其法,民便安之,盗賊為息。京師有告妖賊聚确山者,上遣中貴人馳至蔡,以名捕者十人。使者欲得兵往取,公曰:「使者欲借兵立威耶,抑取妖人以還報也?」使者曰:「欲得妖人耳。」公曰:「吾在此,雖不敏,然聚千人於境内,安得不知?今以兵往,是趣其為乱也。此不過郷人相聚為仏事,以利銭財耳。手召之即可致。」乃館使者,日与之飲酒,而密遣人召十人,皆至,送京師鞫実,告者以誣得罪。
書き下し
賊は梁山濼に依り、県官に長梯を用いて蒲葦の間を窺う者有り。蒲恭敏は鄆州に知たり、令を下して禁ず、「小舟に乗りて濼中に出入りするを得る毋れ」と。賊は既に食を絶たれ、遂に散じ去る。呉正粛公は蔡州に知たり。蔡は故より盗多し。公は令に按じて民の為に伍保を立て、其の法を簡にす。民は之を便安とし、盗賊は為に息む。京師に妖賊の确山に聚まると告ぐる者有り、上は中貴人を遣わして馳せて蔡に至らしめ、名を以て捕らうる者十人あり。使者は兵を得て往きて取らんと欲す。公曰く、「使者は兵を借りて威を立てんと欲するか、抑も妖人を取りて以て還報せんとするか」と。使者曰く、「妖人を得んと欲するのみ」と。公曰く、「吾れ此に在り、不敏と雖も、然れども千人を境内に聚むるを、安んぞ知らざるを得ん。今、兵を以て往かば、是れ其の乱を為すを趣かすなり。此れ郷人の相い聚まりて仏事を為し、以て銭財を利するに過ぎず。手ずから召せば即ち致すべし」と。乃ち使者を館し、日々与に酒を飲み、密かに人を遣わして十人を召せば、皆な至る。京師に送りて鞫実し、告ぐる者は誣を以て罪を得たり。
現代語訳
賊は梁山の沼沢地に拠っており、県の役人の中には長い梯子を使って蒲や葦の間をうかがう者がいた。蒲恭敏は鄆州の知事として、命令を出して禁じた。「小舟に乗って沼沢地に出入りしてはならない」。賊は食糧の供給を絶たれ、ついに散り散りになって去った。呉正粛公は蔡州の知事であった。蔡州にはもともと盗賊が多かった。公は法令に従って民のために伍保の制を立て、その決まりを簡略にした。民は便利で安心だとし、盗賊はそのために息をひそめた。都で、妖賊が确山に集まっていると告げる者がおり、帝は宦官を遣わして急ぎ蔡州に至らせ、名前を挙げて逮捕すべき者十人を示した。使者は兵を借りて取りに行こうとした。公は言った。「使者殿は兵を借りて威勢を示したいのか、それとも妖人を捕らえて復命したいのか」。使者は、「妖人を得たいだけだ」と答えた。公は言った。「私がここにいる以上、不敏ではあるが、千人を領内に集められて知らぬはずがない。いま兵を差し向ければ、乱を起こさせることになる。これは郷里の人が集まって仏事を行い、金銭の利を得ているに過ぎない。私が自ら呼べば、すぐに来させられる」。そこで使者を宿館に留め、毎日酒を飲み交わし、ひそかに人を遣わして十人を呼ぶと、みな来た。都に送って取り調べたところ、告発した者は虚偽の罪で処罰された。
解説
この章句が説くこと
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史記 酈生陸賈列伝是に於て酈生乃ち夜陳留の令に見え、之に説きて曰く、「夫れ秦は無道を為して天下之に畔く。今足下天下と従はば則ち以て大功を成すべし。今独り亡秦の為に城を嬰(めぐ)らして堅守す、臣窃かに足下の為に之を危ぶむ」と。陳留の令曰く、「秦の法は至って重きなり、以て妄言すべからず、妄言する者は類無し。吾以て応ずべからず。先生の臣に教ふる所以の者は、臣の意に非ざるなり。願はくは復た道ふ勿かれ」と。酈生留まりて宿臥し、夜半の時陳留の令の首を斬り、城を踰えて下りて沛公に報ず。沛公兵を引きて城を攻め、令の首を長竿に県けて以て城上の人に示して曰く、「趣(すみ)やかに下れ。而(なんぢ)の令の頭已に断たれたり。今より後に下る者は必ず先づ之を斬らん」と。是に於て陳留の人令の已に死するを見て、遂に相率ゐて沛公に下る。沛公陳留の南城門の上に舎り、其の庫兵に因り、積粟を食み、留まりて出入すること三月、従兵万を以て数へ、遂に入りて秦を破る。
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『甲陽軍鑑』品第四十三右之三人談合して、西は美濃岩村·同かんの大寺·三河野田足助·関東相摸·武蔵境·新田足利境·越後境·飛弾·越中·椎名が居舘迄通り筋に、ぬかわら出し置き、是れは御分国にて百貫の高に付、糠二十俵·藁二十把出させ、是れを置きて道通り町人·百姓に十分一をくれて、やすくうらする故、度々の陣にも諸侍糠·藁にことかく事なし、殊に糠·藁うつたる代物をば本の百姓へ返へすなり、上意なれ共如件、おしばかるは是れ以て信玄公御自利能人を召つかひ給ふ故なり一信虎公の御代には、
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史記 項羽本紀漢の軍皆走り、相随ひて穀・泗水に入り、漢の卒十余万人を殺す。漢の卒皆南のかた山に走る、楚又追撃して霊壁の東睢水の上に至る。漢の軍卻き、楚の擠す所と為り、多く殺さる、漢の卒十余万人皆睢水に入り、睢水之が為に流れず。漢王を囲むこと三匝。是に於て大風西北より起こり、木を折り屋を発し、沙石を揚げ、窈冥にして昼晦く、楚の軍に逢迎す。楚の軍大いに乱れ、壊散す、而して漢王乃ち数十騎と遁れ去るを得たり、沛を過ぎ、家室を収めて西せんと欲す。楚も亦人をして之を沛に追はしめ、漢王の家を取らんとす。家皆亡げ、漢王と相見えず。漢王道に孝恵・魯元に逢ひ得て、乃ち載せて行く。楚の騎漢王を追ふ、漢王急にして、孝恵・魯元を車下に推し墮す、滕公常に下りて収めて之を載す。是くの如き者三たび。曰く、「急なりと雖も以て駆るべからず、柰何ぞ之を棄てん。」と。是に於て遂に脱するを得たり。太公・呂后を求むるも相遇はず。審食其太公・呂后に従ひて間行し、漢王を求む、反りて楚の軍に遇ふ。楚の軍遂に与に帰り、項王に報ず、項王常に軍中に置く。是の時呂后の兄周呂侯漢の為に兵を将ゐて下邑に居る、漢王間かに往きて之に従ひ、稍稍其の士卒を収む。滎陽に至り、諸々の敗軍皆会す、蕭何も亦関中の老弱の未だ傅せざる者を発して悉く滎陽に詣らしめ、復た大いに振るふ。楚彭城より起こり、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ひ、漢と滎陽の南京・索の間に戦ふ、漢楚を敗る、楚故を以て滎陽を過ぎて西する能はず。項王の彭城を救ひ、漢王を追ひて滎陽に至る、田横も亦斉を収むるを得て、田栄の子広を立てて斉王と為す。漢王の彭城に敗るるや、諸侯皆復た楚に与して漢に背く。漢滎陽に軍し、甬道を築きて之を河に属し、以て敖倉の粟を取る。漢の三年、項王数(しばしば)漢の甬道を侵奪す、漢王食乏しく、恐れ、和を請ひ、滎陽以西を割きて漢と為さんとす。
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史記 酈生陸賈列伝之に謝す。酈生因りて六国従横の時を言ふ。沛公喜び、酈生に食を賜ひ、問ひて曰く、「計将に安くにか出でん」と。酈生曰く、「足下糾合の衆を起こし、散乱の兵を収むるも、万人に満たず。以て径ちに彊秦に入らんと欲す、此れ所謂虎口を探る者なり。夫れ陳留は天下の衝、四通五達の郊なり。今其の城又多く粟を積む。臣其の令に善し、請ふ之に使ひして、足下に下らしめん。即し聴かずんば、足下兵を挙げて之を攻めよ、臣内応と為らん」と。是に於て酈生を遣はして行かしめ、沛公兵を引きて之に随ひ、遂に陳留を下す。酈食其を号して広野君と為す。酈生其の弟酈商を言ひ、数千人を将ゐて沛公に従ひ西南に地を略せしむ。酈生常に説客と為り、諸侯に馳使す。漢の三年秋、項羽漢を撃ち、滎陽を抜く。漢兵遁れて鞏・洛を保つ。楚人淮陰侯の趙を破り、彭越の数(しばしば)梁の地に反するを聞き、則ち兵を分かちて之を救ふ。淮陰方に東して斉を撃ち、漢王数滎陽・成皋に困しみ、成皋以東を捐てて、鞏・洛に屯して以て楚を拒がんと計欲す。酈生因りて曰く、
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