智囊 / 武案・桓崇祖
魏師二十萬攻豫州,刺史桓崇祖欲治外城,堰淝水以自固。眾恐勞而無益,且眾寡不敵。崇祖曰:「若棄外城,虜必據之,外修樓櫓,內築長圍,則坐成擒矣。」乃於城西北堰淝水,堰北築小城,周為深塹,使數千人守之,曰:「虜見城小,以為一舉可取,必悉力攻之。以謀破堰,吾臨水沖之,皆為流屍矣。」魏果攻小城,崇祖著白紗帽,肩輿上城,決堰下水,魏人溺死千數,遂退走。
新字:魏師二十万攻予州,刺史桓崇祖欲治外城,堰淝水以自固。衆恐労而無益,且衆寡不敵。崇祖曰:「若棄外城,虜必拠之,外修楼櫓,内築長囲,則坐成擒矣。」乃於城西北堰淝水,堰北築小城,周為深塹,使数千人守之,曰:「虜見城小,以為一舉可取,必悉力攻之。以謀破堰,吾臨水沖之,皆為流屍矣。」魏果攻小城,崇祖著白紗帽,肩輿上城,決堰下水,魏人溺死千数,遂退走。
書き下し
魏師二十万、豫州を攻む。刺史の桓崇祖、外城を治め、淝水を堰して以て自ら固めんと欲す。衆は労して益無く、且つ衆寡敵せざるを恐る。崇祖曰く、「若し外城を棄てば、虜は必ず之に拠り、外に楼櫓を修め、内に長囲を築かん。則ち坐して擒と成らん」と。乃ち城の西北に於いて淝水を堰き、堰の北に小城を築き、周りに深塹を為り、数千人をして之を守らしめて曰く、「虜は城の小なるを見て、以て一挙に取るべしと為し、必ず力を悉くして之を攻めん。以て堰を破るを謀らんとせば、吾は水に臨みて之を沖がん。皆な流屍と為らん」と。魏果たして小城を攻む。崇祖、白紗帽を著け、肩輿して城に上り、堰を決して水を下す。魏人の溺死する者千を数え、遂に退き走る。
現代語訳
魏軍二十万が豫州を攻めた。刺史の桓崇祖は、外城を整備し、淝水をせき止めて守りを固めようとした。人々は、苦労するばかりで益がなく、しかも兵力の差も大きすぎると心配した。崇祖は言った。「もし外城を捨てれば、敵は必ずそこに拠り、外に櫓を築き、内に長い囲いを築くだろう。そうなれば我々は座したまま捕らわれるだけだ」。そこで城の西北で淝水をせき止め、堰の北に小城を築き、周囲に深い堀を作り、数千人に守らせて言った。「敵は城が小さいのを見て、一撃で奪えると考え、必ず全力で攻めてくる。堰を壊そうとすれば、私は水に臨んで放流する。皆、流された屍となろう」。魏軍は案の定、小城を攻めた。崇祖は白い紗の帽子をかぶり、輿に乗って城に上り、堰を切って水を流した。魏軍は千人も溺死し、ついに退却した。
解説
この章句が説くこと
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