智囊 / 詭道・侯淵
魏爾朱榮使大都督侯淵討韓樓,配卒甚少,或以為言。榮曰:「侯淵臨機設變,是其所長,若總大眾,未必能用。」淵遂廣張軍聲,多設攻具,帥數百騎深入。去薊百餘里,值賊。淵潛伏以乘其背,大破之,虜五千人。皆還其馬杖縱使入城,左右皆諫,淵曰:「我兵少,不可力戰,為奇計以間之,乃可克也。」度其已入,帥騎夜進,昧旦,叩其城門樓,果疑降卒為內應,遂走,追擒之。
新字:魏爾朱栄使大都督侯淵討韓楼,配卒甚少,或以為言。栄曰:「侯淵臨機設変,是其所長,若総大衆,未必能用。」淵遂広張軍声,多設攻具,帥数百騎深入。去薊百余里,値賊。淵潜伏以乗其背,大破之,虜五千人。皆還其馬杖縦使入城,左右皆諫,淵曰:「我兵少,不可力戦,為奇計以間之,乃可克也。」度其已入,帥騎夜進,昧旦,叩其城門楼,果疑降卒為内応,遂走,追擒之。
書き下し
魏の爾朱栄、大都督の侯淵をして韓楼を討たしむ。配する卒甚だ少なし。或るひと以て言を為す。栄曰く、「侯淵は機に臨みて変を設くるは、是れ其の長ずる所なり。若し大衆を総ぶれば、未だ必ずしも能く用いず」と。淵遂に軍声を広張し、多く攻具を設け、数百騎を帥いて深く入る。薊を去ること百余里にして、賊に値う。淵、潜伏して以て其の背に乗じ、大いにこれを破り、五千人を虜にす。皆其の馬杖を還して縦ちて城に入らしむ。左右皆諫む。淵曰く、「我が兵少なく、力戦すべからず。奇計を為して以てこれを間し、乃ち克つべきなり」と。其の已に入りたるを度り、騎を帥いて夜に進み、昧旦に、其の城門の楼を叩く。果たして降卒を疑いて内応と為し、遂に走る。追いて之を擒にす。
現代語訳
魏の爾朱栄は、大都督の侯淵に韓楼を討たせた。配属した兵は非常に少なかった。ある者がそれを問題にした。爾朱栄は「侯淵は機に臨んで臨機応変に策を立てることが得意だ。もし大軍を総べさせたら、必ずしもうまく使えない」と言った。侯淵はそこで軍の声望を大きく見せ、攻城の道具をたくさん並べ、数百騎を率いて深く入った。薊から百里余りのところで、賊に出会った。侯淵はひそかに伏せて背後から襲い、大いにこれを破り、五千人を捕虜にした。皆その馬と武器を返して解き放ち、城に入らせた。側近は皆諫めた。侯淵は「わが兵は少なく、力で戦ってはいけない。奇計を用いて敵の間を裂いてこそ、勝てるのだ」と言った。捕虜が城に入ったころを見計らって、騎兵を率いて夜に進み、明け方に、その城門の楼を叩いた。果たして敵は解放した降伏兵を内応者と疑い、そのまま逃げ出した。追撃して捕らえた。
解説
この章句が説くこと
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史記 五帝本紀是に於て舜乃ち文祖に至り、四嶽に謀り、四門を辟き、四方の耳目を明通し、十二牧に命じて帝徳を論ぜしめ、厚徳を行ひ、佞人を遠ざくれば、則ち蛮夷率ゐ服す。舜四嶽に謂ひて曰く、「能く庸を奮ひて堯の事を美くする者有らば、官に居りて事を相けしめん」と。皆曰く、「伯禹司空と為らば、帝の功を美くす可し」と。舜曰く、「嗟、然り。禹、汝水土を平らげよ、維れ是れ勉めよ」と。禹拝稽首して、稷・契と皋陶とに譲る。舜曰く、「然り、往け」と。舜曰く、「棄、黎民始めて飢う。汝后稷となり、時に百穀を播け」と。舜曰く、「契、百姓親しまず、五品馴れず。汝司徒と為りて、敬みて五教を敷け、寛に在れ」と。舜曰く、「皋陶、蛮夷夏を猾し、寇賊姦軌す。汝士と作れ。五刑に服有り、五服に三就あり。五流に度有り、五度に三居あり。維れ明らかなれば能く信ぜられん」と。舜曰く、「誰か能く予が工を馴めん」と。皆曰く垂可なりと。是に於て垂を以て共工と為す。舜曰く、「誰か能く予が上下の草木鳥獣を馴めん」と。皆曰く益可なりと。是に於て益を以て朕が虞と為す。益拝稽首して、諸臣朱虎・熊羆に譲る。舜曰く、「往け、汝諧へり」と。遂に朱虎・熊羆を以て佐と為す。舜曰く、「嗟、四嶽、能く朕が三礼を典る有るか」と。皆曰く伯夷可なりと。舜曰く、「嗟、伯夷、汝を以て秩宗と為す。夙夜維れ敬み、直にして維れ静絜なれ」と。伯夷夔・龍に譲る。舜曰く、「然り。夔を以て典楽と為し、稺子に教へしむ。直にして温、寛にして栗、剛にして虐なる毋く、簡にして傲なる毋からしめよ。詩は意を言ひ、歌は言を長くし、声は永に依り、律は声を和す。八音能く諧ひ、相倫を奪ふ毋くんば、神人以て和せん」と。夔曰く、「於、予石を撃ち石を拊てば、百獣率ゐ舞ふ」と。舜曰く、「龍、朕讒説の殄偽にして、朕が衆を振驚するを畏忌す。汝に命じて納言と為す。夙夜朕が命を出入し、惟れ信あれ」と。舜曰く、「嗟、女二十有二人、敬めよや、惟れ時に天事を相けよ」と。三歳に一たび功を考へ、三たび考へて絀陟す。遠近の衆功咸興る。三苗を分北す。
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『長短経』任長管仲曰く「昇降揖譲、進退閑習なるは、臣は隰朋に如かず。請う、立てて以て大行と為せ。土を闢き粟を聚め、地の利を尽くすは、臣は甯戚に如かず。請う、立てて以て司田と為せ。平原広牧、車は轍を結ばず、士は踵を旋らさず、之を鼓して三軍の士、死を視ること帰するが如きは、臣は王子城父に如かず。請う、立てて以て大司馬と為せ。獄を決し中を折り、不辜を殺さず、不罪を誣いざるは、臣は賓胥無に如かず。請う、立てて以て大理と為せ。君の顔色を犯し、諫を進めて必ず忠、死亡を避けず、富貴に撓まざるは、臣は東郭牙に如かず。請う、立てて以て大諫と為せ。君若し国を治め兵を強くせんと欲せば、則ち五子なる者存す。若し覇王たらんと欲せば、則ち夷吾此に在り」と。
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『春秋左氏伝』文公十八年 八愷・八元昔高陽氏に才子八人有り、蒼舒・隤敳(たいがい)・檮戭(たういん)・大臨・尨降(ばうかう)・庭堅・仲容・叔達、齊聖廣淵、明允篤誠なり。天下の民、之を八愷と謂ふ。高辛氏に才子八人有り、伯奮・仲堪・叔獻・季仲・伯虎・仲熊・叔豹・季貍、忠肅共懿、宣慈惠和なり。天下の民、之を八元と謂ふ。此れ十六族なり。世々其の美を濟(な)し、其の名を隕(おと)さず、以って堯に至る。堯舉ぐること能はず。舜堯に臣たりて、八愷を舉げ、后土を主(つかさど)らしめ、以って百事を揆(はか)らしむ。時に序せざる莫く、地平らかに天成る。八元を舉げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は共、子は孝、內平らかに、外成る。
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『春秋左氏伝』成公十八年 悼公、百官を命ず二月、乙酉、朔、晉侯悼公、朝に位に即く。始めて百官に命ず。施舍して責(さい)を已め、鰥寡に逮(およ)ぼし、廢滯を振(すく)ひ、乏困を匡(ただ)し、災患を救ひ、淫慝を禁じ、賦斂を薄くし、罪戾を宥(ゆる)し、器用を節し、時に民を用ゐ、欲して時を犯すこと無し。魏相・士魴・魏頡・趙武をして卿と爲らしむ。荀家・荀會・欒黶・韓無忌を公族大夫と爲し、卿の子弟を訓へて、共儉孝弟ならしむ。士渥濁をして大傅と爲し、范武子の法を脩めしむ。右行辛を司空と爲し、士蒍の法を脩めしむ。弁糾、戎に御し、校正焉に屬す。諸御を訓へて義を知らしむ。荀賓を右と爲し、司士焉に屬す。勇力の士を訓へて時に使はしむ。卿、共御すること無く、軍尉を立てて以て之を攝せしむ。祁奚を中軍尉と爲し、羊舌職之を佐く。魏絳を司馬と爲し、張老を候奄と爲す。鐸遏寇を上軍尉と爲し、籍偃之が司馬と爲り、卒乘を訓へて、親しみて以て命を聽かしむ。程鄭を乘馬御と爲し、六騶焉に屬す。群騶を訓へて禮を知らしむ。凡そ六官の長、皆民の譽(ほま)れなり。舉げて職を失はず、官は方を易へず、爵は德を踰えず、師は正を陵(しの)がず、旅は師に偪らず、民に謗言無し。霸を復する所以なり。公、晉に如く。嗣君に朝するなり。
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史記 田叔列伝趙禹曰く、「吾之を聞く、将門の下には必ず将の類有り。伝に曰く、『其の君を知らずんば其の使ふ所を視よ。其の子を知らずんば其の友とする所を視よ』と。今詔有りて将軍の舎人を挙ぐるは、以て将軍の能く賢者文武の士を得るかを観んと欲するなり。今徒に盎人の子を取りて之を上るも、又智略無し。木偶人の之に綺繡を衣するが如きのみ。将に之を奈何せんとす」と。是に於て趙禹悉く衛将軍の舎人百余人を召し、次を以て之に問ひ、田仁・任安を得て、曰く、「独り此の両人可なるのみ。余は用ふべき者無し」と。衛将軍此の両人の貧しきを見て、意平らかならず。趙禹去り、両人に謂ひて曰く、「各々自ら樾象絳衣を具へよ」と。両人対へて曰く、「家貧しくして用て具ふる無きなり」と。将軍怒りて曰く、「今両君家自ら貧しと為す。何為れぞ此の言を出だす。鞅鞅として我に徳を移す有る者の如きは、何ぞや」と。将軍已むを得ず、籍を上りて以て聞す。詔有りて衛将軍の舎人を召見す。此の二人前みて見ゆ。詔して能略を問ひて相推第せしむ。田仁対へて曰く、「桴鼓を提げて軍門に立ち、士大夫をして死を楽しみて戦闘せしむるは、仁任安に及ばず」と。任安対へて曰く、「夫れ嫌疑を決し、是非を定め、治官を弁じ、百姓をして怨心無からしむるは、安仁に及ばざるなり」と。武帝大いに笑ひて曰く、「善し」と。任安をして北軍を護らしめ、田仁をして辺の田穀を河上に護らしむ。此の両人名を天下に立つ。其の後任安を用ひて益州の刺史と為し、田仁を以て丞相長史と為す。田仁上書して言ふ、「天下の郡の太守多く姦利を為し、三河尤も甚だし。臣請ふ、先づ三河を刺挙せん。三河の太守皆内は中貴人に倚り、三公と親属有り、畏憚する所無し。宜しく先づ三河を正して以て天下の姦吏を警むべし」と。是の時河南・河内の太守は皆御史大夫杜の父兄子弟なり。河東の太守は石丞相の子孫なり。
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『長短経』任長〔議に曰く、魏の桓範云う「帝王の人を用うるは、世を度りて才を授く。争奪の時は書策を先と為し、分定の後は忠義を首と為す。故に晋文は舅犯の計を行いて雍季の言を賞し、高祖は陳平の智を用いて後を周勃に託す」と。古語に云う「守文の代は徳高き者位尊く、倉卒の時は功多き者賞厚し」と。諸葛亮曰く「老子は性を養うに長ず、以て危難に臨む可からず。商鞅は法を理むるに長ず、以て教化に従う可からず。蘇・張は辞を馳するに長ず、以て盟誓を結ぶ可からず。白起は攻取に長ず、以て衆を広くす可からず。子胥は敵を図るに長ず、以て身を謀る可からず。尾生は信を守るに長ず、以て変に応ず可からず。王嘉は明君に遇うに長ず、以て暗主に事う可からず。許子将は臧否を明らかにするに長ず、以て人物を養う可からず」と。此れ長に任ずるの術なり。〕
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