智囊 / 武案・李綱
李綱云,古者自五、兩、卒、旅,積而至於二千五百人為師,又積而萬二千五百人為軍,其將、帥、正、長皆素具。故平居恩威,足以相服;行陣節制,足以相使。若身運臂,臂使指,無不可者,所以能禦敵而成功。今宜法古,五人為伍,中擇一人為伍長;五伍為甲,別選一人為甲正;四甲為隊,有隊將正副二人;五隊為一部,有部將正副二人;五部為軍,有正副統制官;節制統制官有都統,節制都統有大帥。皆平時選定,閒居則閱習,有故則出戰,非特兵將有以相識,而恩威亦有以相服。又置賞功司,凡士卒有功,即時推賞,後有不實,坐所保將帥;其敗將逃卒必誅,臨陣死敵者,寬主帥之罰,使必以實告而優恤之。又納級計功之法,有可議者,如選鋒精騎,陷陣卻敵。神臂弓、強弩勁弓射賊於數百步外,豈可責以斬首級哉?若此類,宜令將帥保明,全軍推賞。〔評〕其法本於《管子》,但彼寄軍令於內政,猶是「井田」遺意,此則訓練長征,尤今日治兵第一務。
新字:李綱云,古者自五、両、卒、旅,積而至於二千五百人為師,又積而万二千五百人為軍,其将、帥、正、長皆素具。故平居恩威,足以相服;行陣節制,足以相使。若身運臂,臂使指,無不可者,所以能禦敵而成功。今宜法古,五人為伍,中択一人為伍長;五伍為甲,別選一人為甲正;四甲為隊,有隊将正副二人;五隊為一部,有部将正副二人;五部為軍,有正副統制官;節制統制官有都統,節制都統有大帥。皆平時選定,閒居則閲習,有故則出戦,非特兵将有以相識,而恩威亦有以相服。又置賞功司,凡士卒有功,即時推賞,後有不実,坐所保将帥;其敗将逃卒必誅,臨陣死敵者,寛主帥之罰,使必以実告而優恤之。又納級計功之法,有可議者,如選鋒精騎,陥陣却敵。神臂弓、強弩勁弓射賊於数百歩外,豈可責以斬首級哉?若此類,宜令将帥保明,全軍推賞。〔評〕其法本於《管子》,但彼寄軍令於内政,猶是「井田」遺意,此則訓練長征,尤今日治兵第一務。
書き下し
李綱云う、古は五・両・卒・旅より、積みて二千五百人に至りて師と為し、又た積みて一万二千五百人に至りて軍と為す。其の将・帥・正・長は皆な素より具わる。故に平居の恩威は以て相い服するに足り、行陣の節制は以て相い使うに足る。身の臂を運らし、臂の指を使うが若く、可ならざる無し。能く敵を禦ぎて功を成す所以なり。今宜しく古に法るべし。五人を伍と為し、中に一人を択びて伍長と為す。五伍を甲と為し、別に一人を選びて甲正と為す。四甲を隊と為し、隊将の正副二人有り。五隊を一部と為し、部将の正副二人有り。五部を軍と為し、正副の統制官有り。統制官を節制する都統有り、都統を節制する大帥有り。皆な平時に選定し、閑居には則ち閲習し、故有れば則ち出でて戦う。特だ兵将の以て相い識る有るのみならず、恩威も亦た以て相い服する有り。又た賞功司を置き、凡そ士卒に功有れば、即時に推賞す。後に不実有れば、保する所の将帥に坐す。其の敗将・逃卒は必ず誅し、陣に臨みて敵に死する者は、主帥の罰を寛にし、必ず実を以て告げしめて之を優恤す。又た首級を納めて功を計るの法、議すべき者有り。選鋒精騎の如き、陣を陥れ敵を卻く。神臂弓・強弩勁弓の賊を数百歩の外より射る、豈に首級を斬るを以て責むべけんや。此の類は、宜しく将帥をして保明せしめ、全軍にて推賞すべし。〔評〕其の法は《管子》に本づく。但だ彼は軍令を内政に寄す。猶お是れ「井田」の遺意なり。此れは則ち長征を訓練するもの、尤も今日の治兵第一の務めなり。
現代語訳
李綱は言う。古代には、五人の「伍」、さらに「両」「卒」「旅」と積み上げて、二千五百人で「師」とし、さらに積んで一万二千五百人で「軍」とした。その将・帥・正・長は、すべて平時からそろっていた。そのため日ごろの恩と威で互いに服従するに足り、陣中の統制でも互いに使い合うのに足りた。体が腕を動かし、腕が指を動かすように、できないことがなかった。これが敵を防いで功を成し得た理由である。今は古に倣うべきだ。五人を「伍」とし、その中から一人を選んで伍長とする。五伍を「甲」とし、別に一人を選んで甲正とする。四甲を「隊」とし、隊将の正副二人を置く。五隊を一「部」とし、部将の正副二人を置く。五部を「軍」とし、正副の統制官を置く。統制官を統べる都統を置き、都統を統べる大帥を置く。すべて平時に選定し、ふだんは訓練し、事あれば出て戦う。ただ兵と将が互いに顔を知るだけでなく、恩と威でも服従し合える。さらに賞功司を置き、士卒に功があれば即座に賞する。後に偽りがあれば、保証した将帥の責任とする。敗れた将や逃げた兵は必ず誅殺し、陣で敵に死んだ者は、主帥の罰を軽くし、必ず真実を報告させて手厚く遺族をいたわる。また、首級を納めて功を計る法には議すべき点がある。たとえば先鋒の精騎が陣を陥れて敵を退けたり、神臂弓・強弩・強弓が数百歩の外から賊を射たりするのは、どうして首級を斬ったかどうかで責められようか。この類は、将帥に保証させ、全軍で賞するのがよい。〔評〕その法は『管子』に基づく。ただ『管子』は軍令を内政に寄せるもので、なお「井田」の遺意がある。李綱のこれは長征を訓練するもので、今日の兵を治める第一の務めである。
解説
この章句が説くこと
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