智囊 / 詭道・孔鏞
苗俗喜鬥牛,瑞乃覓好牛,牽置中道,伏壯士百人於牛旁叢薄間,乃入寨見溪。溪曰:「何久不來?」瑞曰:「都堂新到,故無暇。」溪問:「都堂何如?」曰:「懦夫,無能為也。」溪曰:「聞渠在廣東時殺賊有名,何謂無能?」瑞曰:「同姓者,非其人也!」溪曰:「賂之何如?」瑞曰:「姑徐徐,何以遽舍重貨?」溪遂酌瑞,縱談鬥牛事,瑞曰:「適見道中牛,恢然巨象也,未審比公家牛若何?」溪曰:「寧有是,我當買之。」瑞曰:「敗牛者似非土人,恐難強之入寨。」溪曰:「第往觀之。」顧阿剌同行,瑞曰:「須牽公家牛往鬥之,優劣可決也。」苗欲信鬼,動息必卜,溪以雞卜,不吉,又言:「夢大網披身,出恐不利。」瑞曰:「夢網得魚,牛必屬公矣!」
新字:苗俗喜鬥牛,瑞乃覓好牛,牽置中道,伏壮士百人於牛旁叢薄間,乃入寨見渓。渓曰:「何久不来?」瑞曰:「都堂新到,故無暇。」渓問:「都堂何如?」曰:「懦夫,無能為也。」渓曰:「聞渠在広東時殺賊有名,何謂無能?」瑞曰:「同姓者,非其人也!」渓曰:「賂之何如?」瑞曰:「姑徐徐,何以遽舎重貨?」渓遂酌瑞,縦談鬥牛事,瑞曰:「適見道中牛,恢然巨象也,未審比公家牛若何?」渓曰:「寧有是,我当買之。」瑞曰:「敗牛者似非土人,恐難強之入寨。」渓曰:「第往観之。」顧阿剌同行,瑞曰:「須牽公家牛往鬥之,優劣可決也。」苗欲信鬼,動息必卜,渓以鶏卜,不吉,又言:「夢大網披身,出恐不利。」瑞曰:「夢網得魚,牛必属公矣!」
書き下し
苗の俗は鬥牛を喜ぶ。瑞乃ち好牛を覓め、牽きて中道に置き、壮士百人を牛の旁らの叢薄の間に伏せ、乃ち寨に入りて溪に見ゆ。溪曰く、「何ぞ久しく来らざる」と。瑞曰く、「都堂は新たに到り、故に暇無し」と。溪問う、「都堂は何如」と。曰く、「懦夫なり、為す無き能わざるなり」と。溪曰く、「聞く、渠は広東に在りし時、賊を殺して名有りと。何ぞ能く無しと謂わん」と。瑞曰く、「姓を同じくする者も、其の人に非ず」と。溪曰く、「之に賂せば何如」と。瑞曰く、「姑く徐徐にせよ。何ぞ遽かに重貨を舎てん」と。溪遂に瑞に酌し、縦談して牛を鬥わすことに及ぶ。瑞曰く、「適々道中の牛を見るに、恢然として巨象なり。未だ審らかならず、公の家の牛に比ぶれば若何」と。溪曰く、「寧ぞ是れ有らんや。我当に之を買うべし」と。瑞曰く、「牛を敗る者は、土人に似ず。恐らくは強いて寨に入らしめ難し」と。溪曰く、「第だ往きて観ん」と。阿剌を顧みて同行せんとす。瑞曰く、「須らく公の家の牛を牽きて往き、之を鬥わしめて、優劣決すべし」と。苗は鬼を信ぜんと欲し、動息に必ず卜す。溪、鶏卜を以てするに吉ならず。又た言う、「夢に大網身に披せらる。出づれば恐らく利あらず」と。瑞曰く、「夢に網して魚を得。牛は必ず公に属せん」と。
現代語訳
苗族の風習では闘牛を好む。陳瑞はそこで良い牛を探し、引いて道の途中に置き、屈強な兵百人を牛のそばの草むらに伏せ、それから寨に入って阿溪に会った。溪は言った。「どうして長く来なかったのか。」瑞は言った。「都堂が着任したばかりで、暇がありませんでした。」溪は問うた。「都堂とはどんな人物だ。」瑞は答えた。「臆病者で、何もできません。」溪は言った。「聞くところでは、あの者は広東にいたとき、賊を殺して名があったという。どうして無能だと言えようか。」瑞は言った。「同姓の孔子と同じでも、その人物ではありませんよ。」溪は言った。「賄賂を贈ればどうか。」瑞は言った。「しばらくゆっくりやりましょう。なぜ急に大金を捨てることがありますか。」溪はそこで瑞に酒を注ぎ、思うままに話して闘牛のことに及んだ。瑞は言った。「ちょうど道中で牛を見ましたが、象のように巨大でした。あなたの家の牛と比べてどうでしょうか。」溪は言った。「そんなものがあるものか。私が買い取ろう。」瑞は言った。「牛を負かす者は土地の人ではないようです。おそらく無理に寨に入れさせることは難しいでしょう。」溪は言った。「ともかく行って見よう。」阿剌を顧みて同行しようとした。瑞は言った。「あなたの家の牛を引いていって闘わせれば、優劣が決まりましょう。」苗族は鬼神を信じ、動くたびに必ず占う。溪が鶏の占いをしたが吉でなかった。また言った。「夢で大きな網が身にかぶさった。出れば恐らく不利だ。」瑞は言った。「網の夢は魚を得る夢です。牛は必ずあなたのものになりますよ。」
解説
この章句が説くこと
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