智囊 / 詭道・孔鏞
翌日,將佐庭參,公曰:「欲得一巡官,若等來前,吾自選之。」乃指曾曰:「庶幾可者。」眾既出,公私詰曾曰:「若何與賊通?」曾驚辯不已,公曰:「阿溪歲賂上官,汝為居間,辯而不服,吾且斬汝矣!」曾叩頭不敢言,公曰:「勿懼,汝能為我取阿溪乎?」曾因阿溪,剌謀勇狀,且曰:「更得一官同事乃可。」公令自舉,乃曰:「無如陳總旗也。」公曰:「可與偕來。」少選,瑞入,公訊之如訊曾者。瑞屢顧曾,曾曰:「勿諱也,吾等事公已悉知,第當盡力以報公耳。」瑞亦言難狀,公曰:「汝第誘彼出寨,吾自能取之。」瑞諾而出。
新字:翌日,将佐庭参,公曰:「欲得一巡官,若等来前,吾自選之。」乃指曽曰:「庶幾可者。」衆既出,公私詰曽曰:「若何与賊通?」曽驚弁不已,公曰:「阿渓歳賂上官,汝為居間,弁而不服,吾且斬汝矣!」曽叩頭不敢言,公曰:「勿懼,汝能為我取阿渓乎?」曽因阿渓,剌謀勇状,且曰:「更得一官同事乃可。」公令自舉,乃曰:「無如陳総旗也。」公曰:「可与偕来。」少選,瑞入,公訊之如訊曽者。瑞屡顧曽,曽曰:「勿諱也,吾等事公已悉知,第当尽力以報公耳。」瑞亦言難状,公曰:「汝第誘彼出寨,吾自能取之。」瑞諾而出。
書き下し
翌日、将佐庭参す。公曰く、「一人の巡官を得んと欲す。若ら来前せよ。吾自ら之を選ばん」と。乃ち曽を指して曰く、「庶幾わくは可なる者なり」と。衆既に出で、公、私かに曽を詰りて曰く、「若、何ぞ賊と通ずるや」と。曽、驚き辯ずること已まず。公曰く、「阿溪、歳ごとに上官に賂し、汝、居間を為す。辯じて服せずんば、吾且に汝を斬らんとす」と。曽、叩頭して敢えて言わず。公曰く、「懼るる勿れ。汝、能く我が為に阿溪を取らんや」と。曽、阿溪・阿剌の謀勇の状に因り、且つ曰く、「更に一官を得て同に事とすれば乃ち可なり」と。公、自ら挙げしむれば、乃ち曰く、「陳総旗に如くは無し」と。公曰く、「与に偕に来るべし」と。少選して、瑞入る。公、之を訊うこと曽を訊うが如し。瑞、屢々曽を顧みる。曽曰く、「諱む勿れ。吾ら公に事うる、悉く知らる。第だ当に力を尽くして以て公に報ゆべきのみ」と。瑞も亦た言うこと状し難きも、公曰く、「汝、第だ彼を誘いて寨を出でしめよ。吾自ら能く之を取らん」と。瑞諾して出づ。
現代語訳
翌日、将佐たちが公の庁に参上した。公は言った。「巡官を一人選びたい。おまえたち、前へ出よ。私が自ら選ぶ。」そこで王曽を指して言った。「この者ならよさそうだ。」皆が退出した後、公はひそかに王曽を問いただした。「おまえはなぜ賊と通じているのか。」王曽は驚いて弁解を続けた。公は言った。「阿溪は毎年上官に賄賂を贈り、おまえはその仲介をしている。弁解して服さなければ、おまえを斬るぞ。」王曽は叩頭して何も言えなかった。公は言った。「恐れるな。おまえは私のために阿溪を捕らえられるか。」王曽は阿溪・阿剌の知恵と武勇の様子を述べ、「もう一人の官を得て共に当たれば成ります」と言った。公が自分で挙げさせると、「陳総旗に及ぶ者はありません」と言った。公は言った。「共に連れて来い。」しばらくして陳瑞が入った。公は王曽を問うのと同じように尋ねた。陳瑞はたびたび王曽の方を見た。王曽は言った。「隠すな。われらの事は公がすべて知っておられる。ただ力を尽くして公に報いるだけだ。」陳瑞も言いにくそうだったが、公は言った。「おまえはただ彼を誘って寨を出させよ。私が自ら取る。」陳瑞は承知して退出した。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』識斷・王素初め、原州の蒋偕、議を建てて大虫巉堡を築かんとし、宣撫使の王素これを聴く。役未だ具わざるに、敵、間を伺いて要撃し、成すを得ず。偕懼れ、来りて死に帰す。王素曰く、「若し偕を罪せば、乃ち是れ敵の計に堕つるなり」と。偕を責めて力を畢くして自ら効さしむ。総管の狄青曰く、「偕往かば益ます敗れん。遣わすべからず」と。素曰く、「偕敗れば、則ち総管行け。総管敗れば、素即ち行かん」と。青敢えて復た言わず、偕、卒に城きて還る。
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『智囊』小慧・竇義扶風の竇義は年十五、諸姑は累朝の国戚、其の伯は工部尚書にして、嘉令坊に廟院有り。張敬立は安州に任じて帰り、安州の土は絲履を出だす、敬立は十数緉を齎し、諸の甥姪に散ず。咸な競いて之を取るも、義は独り取らず。俄にして剰す所の一緉は又た稍や大なり、義は再拝して受け、遂に市に於いて之を鬻ぎ、銭半斤を得て密かに之を貯う。
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『智囊』小慧・孫綽王文度坦之の弟の阿智は悪しきこと乃ち翅ならず、当に年長くして人の与に婚する無し。孫興公綽に女の阿恒有り、亦た僻錯にして、復た嫁娶の理無し。孫は因りて文度に詣り、阿智に見えんことを求め、既に見えて、便ち佯り言う、「此れ定めて可なり、殊に人の伝うる所の如からず、那ぞ今に至るまで未だ婚する処有らざるを得ん。我に一女有り、乃ち悪しからず、但だ吾は寒士にして、卿と計るに宜しからず、阿智をして之を娶らしめんと欲す」と。文度は欣然として藍田に啓して云う、「興公は吾が家の阿智に婚せんと欲す」と。藍田は驚喜し、既に婚を成すに、女の頑囂は殆ど阿智に過ぐ、方に興公の詐を知る。〔評〕阿恒は夫を得、阿智は妻を得たり。一人智有れば、両家を方便にす。
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史記 呉王濞列伝司馬と為るを得、独り周丘のみ用ひらるるを得ず。周丘は、下邳の人なり。呉に亡命し、酒を酤りて行ひ無し。呉王濞之を薄んじ、任ぜず。周丘上謁し、王に説きて曰く、「臣無能を以て、罪を行間に待つを得ず。臣敢へて将ゐる所有るを求むるに非ず。願はくは王の一漢節を得ば、必ず以て王に報ゆる有らん」と。王乃ち之に予ふ。周丘節を得て、夜馳せて下邳に入る。下邳時に呉の反するを聞き、皆城守す。伝舎に至り、令を召す。令戸に入るや、従者をして罪を以て令を斬らしむ。遂に昆弟の善くする所の豪吏を召して告げて曰く、「呉の反兵且に至らんとす。至らば、下邳を屠ること食頃に過ぎざらん。今先に下らば、家室必ず完からん。能ある者は侯に封ぜられん」と。出でて乃ち相告げ、下邳皆下る。周丘一夜にして三万人を得、人をして呉王に報ぜしめ、遂に其の兵を将ゐて北のかた城邑を略す。城陽に至る比、兵十余万、城陽の中尉の軍を破る。呉王の敗走するを聞き、自ら度るに与に功を成す無しと、即ち兵を引きて下邳に帰る。未だ至らずして、疽背に発して死す。二月中、呉王の兵既に破れ、敗走す。是に於て天子将軍に制詔して曰く、「蓋し聞く、善を為す者は天之に報ゆるに福を以てし、非を為す者は天之に報ゆるに殃を以てすと。高皇帝親ら功徳を表し、諸侯を建立す。幽王・悼恵王は絶えて後無し。孝文皇帝哀憐して恵を加へ、幽王の子遂・悼恵王の子卬等を王とし、其の先王の宗廟を奉ぜしめ、漢の藩国と為す。徳は天地に配し、明は日月に并ぶ。呉王濞は徳に倍き義に反し、天下の亡命の罪人を誘ひ受け、天下の幣を乱し、病と称して朝せざること二十余年。有司数々濞の罪を請ふも、孝文皇帝之を寛し、其の行ひを改めて善を為さんことを欲す。
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『春秋左氏伝』文公三年 秦、西戎に覇たり春、莊叔諸侯の師に會して沈を伐つ、其の楚に服するを以ってなり。沈潰ゆ。凡そ民、其の上を逃るるを潰と曰ひ、上に在るを逃と曰ふ。衛侯陳に如く、晉の成を拜するなり。夏四月、乙亥、王叔文公卒す。來りて赴ぐ。弔すること同盟の如くす、禮なり。秦伯晉を伐つ。河を濟りて舟を焚き、王官及び郊を取る。晉人出でず。遂に茅津より濟り、殽の尸を封じて還る。遂に西戎に霸たり、孟明を用ゐればなり。君子是を以って知る、秦の穆公の君為るや、人を舉ぐることの周きなり、人に與することの壹なるなり。孟明の臣為るや、其の解(おこた)らざるなり、能く懼れて思ふなり。子桑の忠なるや、其の人を知るなり、能く善を舉ぐるなり。《詩》に曰く、「于(ここ)に以って蘩を采る、沼に于てし沚に于てす。于に以って之を用ゐる、公侯の事なり」と。秦の穆之れ有り。「夙夜解らず、以って一人に事ふ」と。孟明之れ有り。「厥の孫謀を詒(のこ)し、以って子を燕翼す」と。子桑之れ有り。秋、宋に螽雨る、隊ちて死するなり。楚の師江を圍む。晉の先僕楚を伐ちて以って江を救ふ。冬、晉江の故を以って周に告ぐ。王叔桓公・晉の陽處父、楚を伐ちて、以って江を救ふ。方城に門し、息の公子朱に遇ひて還る。
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史記 項羽本紀項梁嘗て櫟陽(やくよう)の逮有り、乃ち蘄(き)の獄掾(ごくえん)曹咎に請ひて書もて櫟陽の獄掾司馬欣に抵(いた)さしめ、故を以て事已むを得たり。項梁人を殺し、籍と仇を呉中に避く。呉中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知る。秦の始皇帝会稽に游び、浙江を渡る、梁と籍と倶に観る。籍曰く、「彼取りて代はるべきなり。」と。梁其の口を掩ひて、曰く、「妄言する毋かれ、族せられん。」と。梁此を以て籍を奇とす。籍は長八尺余、力は能く鼎を扛(あ)げ、才気人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を憚る。秦の二世元年七月、陳渉等大沢中に起こる。其の九月、会稽の守通、梁に謂ひて曰く、「江西皆反す、此れ亦天の秦を亡ぼすの時なり。吾聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為ると。吾兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す。」と。是の時桓楚亡げて沢中に在り。梁曰く、「桓楚亡げ、人其の処を知る莫し、独り籍のみ之を知るのみ。」と。梁乃ち出で、籍を誡めて剣を持して外に居りて待たしむ。梁復た入り、守と坐して、曰く、「請ふ籍を召し、命を受けて桓楚を召さしめん。」と。守曰く、「諾。」と。梁籍を召して入らしむ。須臾にして、梁籍に眴(めくば)せして曰く、「行ふべし。」と。是に於て籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。項梁守の頭を持ち、其の印綬を佩ぶ。門下大いに驚き、擾乱す、籍の撃殺する所数十百人。一府中皆慴伏し、敢へて起つ莫し。梁乃ち故より知る所の豪吏を召し、諭すに起こす所の大事を以てし、遂に呉中の兵を挙ぐ。人をして下県を収めしめ、精兵八千人を得たり。梁呉中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と為す。一人の用ゐらるるを得ざる有り、自ら梁に言ふ。梁曰く、「前時某の喪に公をして某の事を主らしむるも、辦ずる能はず、此を以て公を任用せず。」と。衆乃ち皆伏す。是に於て梁は会稽の守と為り、籍は裨将と為りて、下県を徇ふ。
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