鬼谷子 / 反応篇
故善反聽者、乃變鬼神、以得其情。其變當也、而牧之審也。牧之不審、得情不明、得情不明、定基不審。變象比、必有反辭、以還聽之。
新字:故善反聴者、乃変鬼神、以得其情。其変当也、而牧之審也。牧之不審、得情不明、得情不明、定基不審。変象比、必有反辞、以還聴之。
書き下し
故に善く反りて聽く者は、乃ち鬼神をも變じ、以て其の情を得。其の變當たるや、而して之を牧すること審らかなり。之を牧すること審らかならざれば、情を得ること明らかならず。情を得ること明らかならざれば、基を定むること審らかならず。象比を變ずれば、必ず反辭有り、以て還りて之を聽く。
現代語訳
だから、よく振り返って聴く者は、鬼神さえも変え、それによって相手の実情をつかむ。その変化が的を射ていれば、導き方もはっきりする。導き方がはっきりしなければ、実情をつかむことも明らかにならない。実情をつかむことが明らかでなければ、土台を定めることもはっきりしない。かたどりとたぐいを変えれば、必ず返ってくる言葉がある。それをまた立ち返って聴く。
解説
「善く反りて聴く」——反聴という言葉が、この篇の核です。ただ聴くのではなく、聴いたことを自分に返してからまた聴く。そして三段の連鎖が示されます。導き方がはっきりしないと実情がつかめず、実情がつかめないと土台が定まらない。逆に言えば、土台が定まらないときの原因は、聴き方の側にあるということです。交渉が進まないとき、条件を動かす前に確かめるべきは、相手の実情を本当につかんでいるかどうか。つかめていない自覚がないまま条件だけ動かすと、動かした分だけ損をします。
この章句が説くこと
善く反りて聴く情を得ること明らかならず傾聴観察判断交渉
関連する章句
-
孫子・行軍篇令素より行われて以て其の民を教うれば、則ち民服す。令素より行われずして以て其の民を教うれば、則ち民服せず。令素より行わるる者は、衆と相得るなり。
-
史記 孟子荀卿列伝淳于髡(こん)は斉人なり。博聞彊記にして、学ぶに主とする所無し。その諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり、然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再びこれに見ゆるも、終に言無きなり。恵王これを怪しみ、以て客を譲めて曰く、「子の淳于先生を称するや、管・晏も及ばずと。寡人に見ゆるに及びて、寡人未だ得る有らず。豈に寡人は為に言ふに足らざるか。何の故ぞや」と。客以て髡に謂ふ。髡曰く、「固よりなり。吾前に王に見えしとき、王の志は駆逐に在り。後にまた王に見えしとき、王の志は音声に在り。吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず、王大いに駭きて、曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に淳于先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばずして、会々先生至る。後に先生の来たるや、人に謳ふ者を献ずる有り、未だ試みるに及ばずして、また会々先生来たる。寡人人を屏くと雖も、然れども私心は彼に在り、
-
人物志・八觀夫れ似たるを察して非なるを明らかにし、情の反を御するは、訟を理むるに似たる有り、其の実は別ち難きなり。
-
人物志・八觀此れ是に似て非なる者なり。亦た非に似て是なる者有り。大権は姦に似て功有り、
-
言志四録・言志録 第三十六条 人の言は容れて択ぶ人の言は、須らく容れて之を択ぶべし。拒む可からず。又惑ふ可からず。
-
『鬼谷子』反応篇人の言うは、動なり。己の黙するは、靜なり。其の言に因り、其の辭を聽く。言に合わざる者有らば、反りて之を求むれば、其の應必ず出づ。言に象有り、事に比有り。其の象比有るを、以て其の次を觀る。象とは、其の事に象るなり。比とは、其の辭に比するなり。無形を以て有聲を求む。其の釣語事に合えば、人の實を得るなり。其れ猶お罝網を張りて獸を取るがごときなり。多く其の會を張りて之を司り、道其の事に合えば、彼自ら之を出だす。此れ人を釣るの網なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る