智囊 / 詭道・孔鏞
阿溪者,貴州清平衛部苗也。桀驁多智,雄視諸苗。有養子曰「阿剌」,膂力絕倫,被甲三襲,運二丈矛,躍地而起,輒三、五丈。兩人謀勇相資,橫行夷落。近苗之弱者,歲分畜產,倍課其人;旅人經其境者,輒誘他苗劫之。官司探捕,必謁溪請計。溪則要我重賄。而捕遠苗之不可用者,誣為賊以應命,於是遠苗咸憚而投之,以為寨主。監軍、總帥,率有歲賂,益恣肆無忌。時訌官、苗,以收鷸蚌之利。弘治間,都御史孔公鏞巡撫貴州,廉得其狀,詢之監軍、總帥,皆為溪解,公知不可與共事,乃自往清平,訪部曲之良者,得指揮王通,厚禮之,扣以時事,通娓娓條答,獨不及溪。公曰:「聞此中事,唯阿溪為大,若何秘不言也?」通不對,固扣之,通曰:「言之而公事辦,則一方受福;不則公且損威,而吾族赤矣。」公笑曰:「第言之,何患弗辦?」通遂慷慨陳列始末,公曰:「為阿溪通賂上官者,誰也?」通曰:「指揮王曾,總旗陳瑞也,公必劫此兩人方可。」公曰:「諾。」
新字:阿渓者,貴州清平衛部苗也。桀驁多智,雄視諸苗。有養子曰「阿剌」,膂力絶倫,被甲三襲,運二丈矛,躍地而起,輒三、五丈。両人謀勇相資,横行夷落。近苗之弱者,歳分畜産,倍課其人;旅人経其境者,輒誘他苗劫之。官司探捕,必謁渓請計。渓則要我重賄。而捕遠苗之不可用者,誣為賊以応命,於是遠苗咸憚而投之,以為寨主。監軍、総帥,率有歳賂,益恣肆無忌。時訌官、苗,以収鷸蚌之利。弘治間,都御史孔公鏞巡撫貴州,廉得其状,詢之監軍、総帥,皆為渓解,公知不可与共事,乃自往清平,訪部曲之良者,得指揮王通,厚礼之,扣以時事,通娓娓条答,独不及渓。公曰:「聞此中事,唯阿渓為大,若何秘不言也?」通不対,固扣之,通曰:「言之而公事辦,則一方受福;不則公且損威,而吾族赤矣。」公笑曰:「第言之,何患弗辦?」通遂慷慨陳列始末,公曰:「為阿渓通賂上官者,誰也?」通曰:「指揮王曽,総旗陳瑞也,公必劫此両人方可。」公曰:「諾。」
書き下し
阿溪は、貴州清平衛の部苗なり。桀驁にして智多く、諸苗に雄視す。養子有り、「阿剌」と曰う。膂力は絶倫、甲を被ること三襲、二丈の矛を運び、地を躍りて起てば、輒ち三、五丈なり。両人謀勇相い資け、夷落に横行す。近苗の弱き者には、歳ごとに畜産を分かち、倍して其の人に課す。旅人の其の境を経る者は、輒ち他苗を誘いて之を劫かす。官司探り捕えんとすれば、必ず溪に謁して計を請う。溪は則ち我に重賄を要む。而して遠苗の用うべからざる者を捕え、誣いて賊と為して以て命に応ず。是に於いて遠苗は咸な憚れて之に投じ、以て寨主と為す。監軍・総帥は、率ね歳賂有り、益々恣肆にして忌む無し。時に官・苗を訌わせ、以て鷸蚌の利を収む。弘治の間、都御史孔公鏞、貴州に巡撫す。廉して其の状を得、之を監軍・総帥に詢うに、皆な溪の為に解く。公、与に事を共にすべからざるを知り、乃ち自ら清平に往き、部曲の良き者を訪ね、指揮王通を得て、厚く之を礼し、扣うに時事を以てす。通は娓娓として条答するも、独り溪に及ばず。公曰く、「聞く、此の中の事は唯だ阿溪を大と為すと。若、何ぞ秘して言わざる」と。通対えず。固く之を扣うに、通曰く、「之を言いて公事辦ずれば、則ち一方福を受く。然らずんば公は且つ威を損じ、而して吾が族は赤なり」と。公笑いて曰く、「第だ之を言え。何ぞ辦ぜざるを患えん」と。通遂に慷慨して始末を陳列す。公曰く、「阿溪の為に賂を上官に通ずる者は誰ぞ」と。通曰く、「指揮王曾、総旗陳瑞なり。公必ず此の両人を劫かして方に可なり」と。公曰く、「諾」と。
現代語訳
阿溪は、貴州清平衛の部族の苗人であった。荒々しく知恵があり、諸苗の中で威勢を誇った。養子に「阿剌」という者がいた。腕力は抜きんでており、鎧を三重に着て、二丈の矛を操り、地を蹴って跳ぶと三、五丈も跳び上がった。二人は知恵と武勇を補い合い、苗の集落で好き勝手に振る舞った。近くの弱い苗には、毎年家畜を割り当て、倍にして取り立てた。旅人がその領内を通ると、他の苗を誘って襲わせた。役所が探って捕らえようとすれば、必ず溪に会って計を請うた。溪は多額の賄賂を求め、遠くの苗の使えない者を捕らえ、賊だと偽って役所の命に応じた。こうして遠くの苗はみな溪を恐れて投じ、寨主とした。監軍や総帥は、おおむね毎年賄賂を受け、溪はいっそう放縦で憚るところがなかった。そのうえ官と苗を争わせ、漁夫の利を収めた。弘治年間、都御史の孔鏞が貴州を巡撫した。内偵してその状況を知り、監軍・総帥に尋ねると、みな溪のために弁解した。孔公はともに事を謀れないと知り、自ら清平に赴き、部下の優れた者を訪ねて、指揮の王通を得て、手厚く礼遇し、時事を尋ねた。王通は滔々と条を立てて答えたが、溪のことだけは触れなかった。公は言った。「聞くところでは、この地の事は阿溪が最大だという。おまえはなぜ秘して言わないのか。」王通は答えなかった。固く問うと、王通は言った。「申し上げてことが成れば、一帯が福を受けます。そうでなければ、公はご威光を損ない、わが一族は皆殺しになります。」公は笑って言った。「ただ言え。成らないことを心配することがあろうか。」王通はついに慷慨して始末を述べた。公は言った。「阿溪のために上官に賄賂を通じているのは誰だ。」王通は言った。「指揮の王曾と総旗の陳瑞です。公は必ずこの二人を押さえてこそ、事が成ります。」公は「よし」と言った。
解説
この章句が説くこと
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