智囊 / 詭道・度尚
桓帝延熹中,長沙、零陵賊反,交趾守臣望風逃潰。帝詔度尚為荊州刺史。尚至,設方略擊破之,窮追入南海。軍士大獲珍寶。然賊帥卜陽、潘鴻遁入山谷,聚黨猶盛,尚擬盡殲之。而士卒驕富,莫有鬥志。尚乃宣言:「陽、鴻作賊十年,習於戰守,我兵甚寡,未易輕進,當須諸郡悉至,並力攻之。軍中且恣聽射獵。」兵士大喜,皆空營出獵為樂。尚乃密遣所親,潛焚諸營,珍寶一時略盡。獵者還,無不涕泣。尚乃親出慰勞,深自引咎,因曰:「陽、鴻等財寶山積,諸卿但並力一戰,利當十倍,些些何足介也。」眾且憤且躍,尚遂敕秣馬蓐食。明旦,出不意赴賊屯,賊不及拒,一鼓盡殲之。
新字:桓帝延熹中,長沙、零陵賊反,交趾守臣望風逃潰。帝詔度尚為荊州刺史。尚至,設方略撃破之,窮追入南海。軍士大獲珍宝。然賊帥卜陽、潘鴻遁入山谷,聚党猶盛,尚擬尽殲之。而士卒驕富,莫有鬥志。尚乃宣言:「陽、鴻作賊十年,習於戦守,我兵甚寡,未易軽進,当須諸郡悉至,並力攻之。軍中且恣聴射猟。」兵士大喜,皆空営出猟為楽。尚乃密遣所親,潜焚諸営,珍宝一時略尽。猟者還,無不涕泣。尚乃親出慰労,深自引咎,因曰:「陽、鴻等財宝山積,諸卿但並力一戦,利当十倍,些些何足介也。」衆且憤且躍,尚遂勅秣馬蓐食。明旦,出不意赴賊屯,賊不及拒,一鼓尽殲之。
書き下し
桓帝延熹中、長沙・零陵の賊反し、交趾の守臣は風を望みて逃げ潰ゆ。帝、度尚に詔して荊州刺史と為す。尚至り、方略を設けて擊ち之を破り、窮追して南海に入る。軍士大いに珍宝を獲たり。然れども賊帥卜陽・潘鴻、山谷に遁れ、党を聚むること猶お盛んなり。尚、尽く殲さんと擬す。而るに士卒は驕りて富み、闘志有る莫し。尚乃ち宣言して曰く、「陽・鴻は賊と作ること十年、戦守に習う。我が兵は甚だ寡く、未だ軽がるしく進み易からず。当に諸郡の悉く至るを須ち、力を並せて之を攻むべし。軍中は且く恣に射猟するを聴す」と。兵士大いに喜び、皆な営を空しくして出で猟して楽しみと為す。尚乃ち密かに親しき所を遣わし、潜かに諸営を焚かしめ、珍宝は一時に略ぼ尽く。猟する者還り、涕泣せざる無し。尚乃ち親ら出でて慰労し、深く自ら咎を引き、因りて曰く、「陽・鴻らの財宝は山の如く積まれたり。諸卿、但だ力を並せて一戦せば、利は当に十倍すべし。些々、何ぞ介するに足らん」と。衆は且つ憤り且つ躍り、尚は遂に馬に秣し蓐食せしむ。明旦、不意に出でて賊屯に赴き、賊は拒ぐに及ばず、一鼓に尽く之を殲す。
現代語訳
桓帝の延熹年間、長沙・零陵の賊が反乱を起こし、交趾の守臣は風聞を聞いて逃げ崩れた。帝は度尚に詔して荊州刺史とした。尚は着任すると、計略をめぐらして賊を撃破し、追撃して南海にまで入った。兵士は多くの珍宝を得た。しかし賊の頭目の卜陽と潘鴻は山谷に逃れ、徒党をなお盛んに集めていた。尚は残らず滅ぼそうと考えた。ところが兵士たちは驕り、富んでいて、闘志がなかった。尚はそこで言いふらした。「卜陽・潘鴻は賊となって十年、戦いと守りに慣れている。わが兵はたいへん少なく、軽々しく進むのは難しい。諸郡の軍がすべて来るのを待って、力を合わせて攻めるべきだ。軍中ではしばらく、思うままに狩りをしてよい。」兵士たちは大いに喜び、みな営を空にして出かけ、狩りを楽しんだ。尚はそこで腹心の者をひそかに遣わし、諸営を焼かせたので、珍宝はあっという間にほぼ尽きた。狩りから戻った者たちは、涙を流さない者がなかった。尚は自ら出て慰労し、深く自分の責任を認めて言った。「卜陽・潘鴻らの財宝は山のように積まれている。諸君がただ力を合わせて一戦すれば、得る利益は十倍にもなる。この程度の損失は気にするに足りない。」兵たちは憤り、かつ奮い立ち、尚はそこで馬に飼い葉をやり、寝床で朝食をとらせて出撃の準備をした。翌朝、不意に賊の陣に向かい、賊は防げず、ひと太鼓で殲滅した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
李衛公問対・卷下故に用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
-
言志四録・言志晩録 第百十五条 士気を振起するは率先に在り士気振はざれば、則ち防禦固からず。防禦固からざれば、則ち民心も亦固き能はず。然して其の士気を振起するは、人主の自ら奮ひて以て率先を為すに在り。復た別法の設くべき無し。
-
史記 高祖本紀約に負き、更めて沛公を立てて漢王と為し、巴・蜀・漢中に王とし、南鄭に都せしむ。関中を三分し、秦の三将を立つ。章邯を雍王と為し、廃丘に都せしむ。司馬欣を塞王と為し、櫟陽に都せしむ。董翳を翟王と為し、高奴に都せしむ。楚の将瑕丘の申陽を河南王と為し、洛陽に都せしむ。趙の将司馬卬を殷王と為し、朝歌に都せしむ。趙王歇徙りて代に王たり。趙の相張耳を常山王と為し、襄国に都せしむ。当陽君黥布を九江王と為し、六に都せしむ。懐王の柱国共敖を臨江王と為し、江陵に都せしむ。番君呉芮を衡山王と為し、邾に都せしむ。燕の将臧荼を燕王と為し、薊に都せしむ。故の燕王韓広徙りて遼東に王たり。広聴かず、臧荼攻めて之を無終に殺す。成安君陳余を河間の三県に封じ、南皮に居らしむ。梅鋗を十万戸に封ず。四月、兵戯下に罷み、諸侯各々国に就く。漢王国に之く、項王卒三万人をして従はしむ、楚と諸侯の慕ひて従ふ者数万人、杜の南より蝕中に入る。去れば輒ち棧道を焼き絶ち、以て諸侯の盗兵の之を襲ふに備へ、亦項羽に東する意無きを示す。南鄭に至る、諸将及び士卒多く道に亡げ帰る、士卒皆歌ひて東帰を思ふ。韓信漢王に説きて曰く、「項羽諸将の功有る者を王とし、而して王独り南鄭に居る、是れ遷なり。軍吏士卒は皆山東の人なり、日夜跂ちて帰らんことを望む、其の鋒に及びて之を用ゐば、以て大功有るべし。天下已に定まらば、人皆自ら寧んじ、復た用ゐるべからず。策を決して東に郷ひ、天下に権を争ふに如かず。」と。項羽関を出で、人をして義帝を徙さしむ。曰く、「古の帝者は地方千里、必ず上游に居る。」と。乃ち使をして義帝を長沙の郴県に徙さしめ、義帝の行を趣す、群臣稍々之に倍叛す、乃ち陰かに衡山王・臨江王をして之を撃たしめ、義帝を江南に殺す。項羽田栄を怨み、斉の将田都を立てて斉王と為す。
-
孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
-
『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。
-
『文武訓』武訓上一忠臣義士の、身を捨てて君をいさめ節に死し、取るまじき財禄を捨て、朋友の過を切切に正す。かやうに忠直にして柔弱ならざるを、士気といひ又気節といふ。是君子のことなり。一朝のいかりに、人とあらそひて其身を亡ぼすは士気にあらず、客気といひ浮気ともいふ。是小人のことなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る