智囊 / 識斷・王素
初,原州蔣偕建議築大蟲巉堡,宣撫使王素聽之。役未具,敵伺間要擊,不得成。偕懼,來歸死。王素曰:「若罪偕,乃是墮敵計。」責偕使畢力自效。總管狄青曰:「偕往益敗,不可遣。」素曰:「偕敗,則總管行;總管敗,素即行矣。」青不敢復言,偕卒城而還。
新字:初,原州蒋偕建議築大虫巉堡,宣撫使王素聴之。役未具,敵伺間要撃,不得成。偕懼,来帰死。王素曰:「若罪偕,乃是堕敵計。」責偕使畢力自効。総管狄青曰:「偕往益敗,不可遣。」素曰:「偕敗,則総管行;総管敗,素即行矣。」青不敢復言,偕卒城而還。
書き下し
初め、原州の蒋偕、議を建てて大虫巉堡を築かんとし、宣撫使の王素これを聴く。役未だ具わざるに、敵、間を伺いて要撃し、成すを得ず。偕懼れ、来りて死に帰す。王素曰く、「若し偕を罪せば、乃ち是れ敵の計に堕つるなり」と。偕を責めて力を畢くして自ら効さしむ。総管の狄青曰く、「偕往かば益ます敗れん。遣わすべからず」と。素曰く、「偕敗れば、則ち総管行け。総管敗れば、素即ち行かん」と。青敢えて復た言わず、偕、卒に城きて還る。
現代語訳
はじめ、原州の蔣偕が、大虫巉堡という砦を築くことを提案し、宣撫使の王素がこれを聞き入れました。工事がまだ整わないうちに、敵がすきをうかがって襲撃し、完成できませんでした。蔣偕はおそれ、自分から出向いて死罪を受けようとしました。王素は言いました。「もしあなたを罰すれば、それこそ敵の計略にはまることになる。」蔣偕を叱責して、力を尽くして自ら償わせました。総管の狄青は言いました。「蔣偕がまた行けば、いっそう敗れます。やらせてはいけません。」王素は言いました。「蔣偕が敗れたなら、総管のあなたが行きなさい。総管が敗れたなら、私が行こう。」狄青はそれ以上言えず、蔣偕はとうとう砦を築いて帰ってきました。
解説
この章句が説くこと
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