智囊 / 詭道・程昱
昱,東阿人,黃巾賊起,縣丞王度反應之。吏民皆負老幼,東奔渠丘山。度出城西五、六里止屯。昱因謂縣中大姓薛房曰:「度得城郭而不居,其志可知,此不過欲掠財物耳。何不相率還城而守之?」吏民不肯從,昱謂房等「愚民不可計事。」乃密遣數騎舉幡東山上,令房等望見,因大呼曰:「賊至矣!」便下山趣城,吏民奔走相隨,昱遂與之共守,度來攻。昱擊破之。
新字:昱,東阿人,黄巾賊起,県丞王度反応之。吏民皆負老幼,東奔渠丘山。度出城西五、六里止屯。昱因謂県中大姓薛房曰:「度得城郭而不居,其志可知,此不過欲掠財物耳。何不相率還城而守之?」吏民不肯従,昱謂房等「愚民不可計事。」乃密遣数騎舉幡東山上,令房等望見,因大呼曰:「賊至矣!」便下山趣城,吏民奔走相随,昱遂与之共守,度来攻。昱撃破之。
書き下し
昱は東阿の人なり。黄巾の賊起こるや、県丞王度、之に反応す。吏民皆な老幼を負いて、東のかた渠丘山に奔る。度は城を出で、西のかた五、六里に止屯す。昱、因りて県中の大姓薛房に謂いて曰く、「度、城郭を得て居らず、其の志知るべし。此れ財物を掠めんと欲するに過ぎず。何ぞ相い率いて城に還りて之を守らざる」と。吏民従うを肯ぜず。昱、房らに謂いて「愚民は与に事を計るべからず」と。乃ち密かに数騎を遣わし、東山の上に幡を挙げしめ、房らをして望み見て、因りて大いに呼びて曰く、「賊至れり」と。便ち山を下りて城に趣き、吏民は奔走して相い随う。昱遂に之と共に守る。度来り攻むるも、昱撃ちて之を破る。
現代語訳
程昱は東阿の人である。黄巾の賊が蜂起すると、県丞の王度がこれに呼応した。役人と民はみな老人と子どもを背負い、東の渠丘山に逃げた。王度は城を出て、西へ五、六里の所に駐屯した。程昱は県中の有力者の薛房に言った。「王度は城郭を手に入れながら、そこに居座らない。その志が知れる。財物を略奪したいだけだ。なぜ皆を連れて城に戻って守らないのか。」役人と民は従おうとしなかった。程昱は薛房らに言った。「愚かな民とは、ともに事を計れない。」そこでひそかに数騎を遣わして東の山の上に旗を揚げさせ、薛房らがそれを望み見て、大声で叫ぶようにした。「賊が来たぞ。」そこで山を下りて城に向かい、役人と民も走って後を追った。程昱はそこで皆と共に城を守った。王度が攻めてきたが、程昱が撃ち破った。
解説
この章句が説くこと
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