智囊 / 詭道・李光弼
史思明有良馬千餘匹,每日出於河南渚浴之,循環不休。李光弼命索軍中牝馬,得五百匹,縶其駒而出之。思明馬見之,悉浮渡河,盡驅入城。思明怒,泛火船欲燒浮橋,光弼先貯百尺長竿,以巨木承其根,氈裹鐵叉,置其首,以迎火船而叉之,船不能進,須臾自焚盡。
新字:史思明有良馬千余匹,毎日出於河南渚浴之,循環不休。李光弼命索軍中牝馬,得五百匹,縶其駒而出之。思明馬見之,悉浮渡河,尽駆入城。思明怒,泛火船欲焼浮橋,光弼先貯百尺長竿,以巨木承其根,氈裹鉄叉,置其首,以迎火船而叉之,船不能進,須臾自焚尽。
書き下し
史思明に良馬千余匹有り。毎日河南の渚に出だして之を浴せしめ、循環して休まず。李光弼、軍中の牝馬を索めしめ、五百匹を得て、其の駒を縶ぎて出だす。思明の馬、之を見て、悉く浮かびて河を渡り、尽く駆りて城に入る。思明怒り、火船を泛かべて浮橋を焼かんと欲す。光弼、先に百尺の長竿を貯え、巨木を以て其の根を承け、氈もて鉄叉を裹み、其の首に置き、以て火船を迎えて之を叉す。船は進むこと能わず、須臾にして自ら焚け尽く。
現代語訳
史思明には良馬が千頭あまりいた。毎日、黄河の南の水辺に出して水浴びをさせ、繰り返して休まなかった。李光弼は軍中の牝馬を集めさせ、五百頭を得て、その子馬を繋いだまま出した。史思明の馬はこれを見て、みな泳いで河を渡り、すべて城内に連れ込まれた。史思明は怒り、火船を浮かべて浮橋を焼こうとした。光弼はあらかじめ百尺の長い竿を用意し、その根を巨木で支え、先端に毛氈でくるんだ鉄の叉を付け、火船を迎えて叉で突いた。船は進めず、しばらくすると自ら燃え尽きた。
解説
敵の最大の資産である良馬を、争わずに手に入れた鮮やかな例です。李光弼は、馬が牝馬に引かれる習性を使い、母馬に子馬を残したまま河辺に出して、敵の馬を寄せました。これは敵の戦力を削ぎ、自軍を強める二重の効果があります。後半の火船の対処も、あらかじめ長い竿と叉を用意して、火船を近づけさせない準備の周到さが光ります。経営でも、競合が持つ強みの源泉を直接奪い合うのではなく、その仕組みの性質を理解して、自然に自社に移る流れを作る発想が参考になります。また、予想できる攻撃には、事前の準備で被害を未然に防げます。
この章句が説くこと
牝馬縶其駒火船長竿判断危機管理
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