智囊 / 詭道・虞翻
呂蒙既誘糜芳出降,未入郡城,而召諸將高會作樂。翻曰:「今區區一心者,糜將軍也。城中之人,豈可盡信?何不急入城,持其管鑰乎?」蒙從之,翻曰:「未也,設城中有伏,吾與將軍休矣!」復將芳入城,而翻代芳教曰:「芳得間歸,願共死守,有能破吳軍者,吾當低首拜之。」於是謀伏兵者皆前,翻盡按誅之,蒙乃入。〔評〕有此謀伏輩,南郡自足死守。未虧而下,芳真奴才也!總是玄德不定都荊州之誤。
新字:呂蒙既誘糜芳出降,未入郡城,而召諸将高会作楽。翻曰:「今区区一心者,糜将軍也。城中之人,豈可尽信?何不急入城,持其管鑰乎?」蒙従之,翻曰:「未也,設城中有伏,吾与将軍休矣!」復将芳入城,而翻代芳教曰:「芳得間帰,願共死守,有能破呉軍者,吾当低首拝之。」於是謀伏兵者皆前,翻尽按誅之,蒙乃入。〔評〕有此謀伏輩,南郡自足死守。未虧而下,芳真奴才也!総是玄徳不定都荊州之誤。
書き下し
呂蒙、既に糜芳を誘いて出降せしむるも、未だ郡城に入らず、諸将を召して高会作楽す。翻曰く、「今、区区として一心なる者は、糜将軍なり。城中の人、豈に尽くは信ずべけんや。何ぞ急ぎ城に入りて其の管鑰を持たざる」と。蒙之に従う。翻曰く、「未だし。設し城中に伏有らば、吾と将軍とは休まん」と。復た芳を将いて城に入らしむ。而して翻、芳に代わりて教して曰く、「芳、間を得て帰る。願わくは共に死守せん。能く呉軍を破る者有らば、吾当に首を低れて之を拝すべし」と。是に於いて伏を謀る者皆な前み、翻、尽く之を按じて誅す。蒙乃ち入る。〔評〕此の謀伏の輩有らば、南郡は自ら死守するに足る。未だ虧けずして下る。芳は真に奴才なり。総て是れ玄徳の荊州に都を定めざるの誤りなり。
現代語訳
呂蒙は糜芳を誘って城から出て降伏させたが、まだ郡城には入らず、諸将を集めて盛大な宴を開き楽を奏していた。虞翻は言った。「今、ひたすら一心で従っているのは糜将軍だけです。城中の人々がすべて信じられるでしょうか。なぜ急いで城に入り、鍵を握らないのですか。」呂蒙はこれに従った。虞翻は言った。「まだです。もし城中に伏兵があれば、私とあなたはおしまいです。」そこでまた糜芳を連れて城に入らせた。そして虞翻は糜芳に代わって布告した。「芳は隙を得て帰ってきた。皆とともに死守したい。呉軍を破れる者があれば、私は頭を下げて拝もう。」そこで伏兵を企んでいた者たちがみな進み出て、虞翻はことごとく捕らえて誅殺した。呂蒙はそこで入城した。〔評〕こうして伏兵を謀る者がいたのだから、南郡は自分たちだけでも死守するのに足りたはずだ。まだ攻め崩されないうちに降った糜芳は、まことに奴才(臆病者)である。すべては劉備が荊州に都を定めなかったことの誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
-
孫子・行軍篇丘陵堤防には、必ず其の陽に処りて、之を右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。上に雨ふり、水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上故に心は静ならでは、思案は為しがたし。およそ事をなすに、ゆだんにならざる事は、緩の字を用ひて、みだりにいそがず、よく思案して、詳かに事の是非をわかちて行ふべし。古人これを待と云ふ。待とは事をいそかずして時をまち、詳かに思案して、道理を求め行ふことなり。ゆだんするにはあらず。みだりに早く決定すれば、必其事をしそんじ、後悔あるものなり。
-
『甲陽軍鑑』品第十一其上大唐にては二万二千五百の人数にて、五万の敵に勝ち、或は五万の勢にて億万をきつてとることも有り、吾朝にても北条氏康は、八千の人数にて管領公八万の人数を伐りくづす、是皆弓矢の取り様武略の故なり、惣じて軍は十の物九ツかつこと有るとも、それをばのけ一ツのあやうき方へ付、談合すれば全くかたん、
-
言志四録・言志後録 第三十九条 其れ難んじ其れ慎む其れ難んじ其れ慎めば、国家に不虞の患無し。惟れ和惟れ一なれば、朝廷に多事の擾無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る