智囊 / 詭道・狄青・朱景・傅永
狄青為延州指揮使,党項犯塞。時新募萬勝軍未習戰陣,遇寇多北。青一日盡將萬勝旗號付虎翼軍,使之出戰。虎望其旗,易之。全軍徑趨,為虎翼所破。梁之渡淮而南也,表其可涉之津。霍丘守將朱景浮表於木,徙置深淵。乃梁兵敗還,視表而涉,溺死大半。齊將魯康祚侵魏。齊、魏夾淮而陣,魏長史傅永曰:「南人好夜斲營,必於淮中置火,以記淺處。」乃夜分兵為二部,伏於營外,又以瓢貯火,密使人於深處置之,戒曰:「見火起,亦燃之。」是夜,康祚等果引兵斲營。永伏兵夾擊之,康祚等走趨淮。火既競起,不辨淺深處,溺死及斬首不知其數。
新字:狄青為延州指揮使,党項犯塞。時新募万勝軍未習戦陣,遇寇多北。青一日尽将万勝旗号付虎翼軍,使之出戦。虎望其旗,易之。全軍径趨,為虎翼所破。梁之渡淮而南也,表其可渉之津。霍丘守将朱景浮表於木,徙置深淵。乃梁兵敗還,視表而渉,溺死大半。斉将魯康祚侵魏。斉、魏夾淮而陣,魏長史傅永曰:「南人好夜斲営,必於淮中置火,以記浅処。」乃夜分兵為二部,伏於営外,又以瓢貯火,密使人於深処置之,戒曰:「見火起,亦燃之。」是夜,康祚等果引兵斲営。永伏兵夾撃之,康祚等走趨淮。火既競起,不弁浅深処,溺死及斬首不知其数。
書き下し
狄青、延州の指揮使と為る。党項、塞を犯す。時に新たに募れる万勝軍、未だ戦陣を習わず、寇に遇えば多く北ぐ。青、一日、万勝の旗号を尽く虎翼軍に付し、之をして出でて戦わしむ。虎翼は其の旗を望み、之を易んず。全軍径ちに趨き、虎翼の破る所と為る。梁の淮を渡りて南するや、其の渉るべき津を表す。霍丘の守将朱景、表を木に浮かべ、徙して深淵に置く。乃ち梁兵、敗れ還り、表を視て渉り、溺死する者大半なり。斉将魯康祚、魏を侵す。斉・魏、淮を夾みて陣す。魏の長史傅永曰く、「南人は夜に営を斲つを好む。必ず淮中に火を置き、以て浅き処を記さん」と。乃ち夜に兵を二部に分かち、営外に伏せ、又た瓢を以て火を貯え、密かに人をして深き処に之を置かしめ、戒めて曰く、「火の起こるを見ば、亦た之を燃せ」と。是の夜、康祚ら果たして兵を引いて営を斲つ。永の伏兵、夾み撃ち、康祚ら走りて淮に趨く。火既に競い起こり、浅深の処を弁ぜず、溺死及び斬首は数を知らず。
現代語訳
狄青が延州の指揮使であったとき、党項が国境を侵した。ちょうど新しく募集した万勝軍は戦陣に慣れておらず、敵に遭うとたいてい敗走した。ある日、狄青は万勝軍の旗をすべて虎翼軍に与え、虎翼軍に出撃させた。党項の兵は旗を見て、万勝軍だと思い、あなどった。全軍がまっすぐ駆け寄ったところを、虎翼軍に打ち破られた。梁の軍が淮水を渡って南へ進んだとき、渡れる浅瀬の目印を立てた。霍丘の守将の朱景は、その目印を木に浮かべて、深い淵に移し置いた。そこで梁の兵は敗れて引き返すとき、目印を見て渡ろうとし、溺れ死んだ者が大半であった。斉の将の魯康祚が魏を攻め、斉・魏は淮水を挟んで陣を敷いた。魏の長史の傅永は言った。「南の者は夜に営を襲うのが好きだ。必ず淮水の中に火を置いて浅い所の印にするだろう。」そこで夜に兵を二つに分けて営の外に伏せ、また瓢箪に火をためておいて、ひそかに人を遣わし、深い所に置かせた。そして命じた。「火が起こったら、同じようにそちらも燃やせ。」その夜、康祚らは果たして兵を率いて営を襲った。傅永の伏兵が挟み撃ちにし、康祚らは走って淮水に向かった。火が競うように燃え立ち、浅い所と深い所の区別がつかなくなり、溺れ死んだ者や斬られた者は数知れなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 韓長孺列伝安国病みて免ぜらるること数月、蹇愈ゆ。上復た安国を以て中尉と為す。歳余にして、徙りて衛尉と為る。車騎将軍衛青匈奴を撃ち、上谷より出で、胡を蘢城に破る。将軍李広匈奴の得る所と為り、復た之を失ふ。公孫敖大いに卒を亡ふ。皆斬に当たり、贖ひて庶人と為る。明年、匈奴大いに辺に入り、遼西の太守を殺し、及び鴈門に入り、殺略する所数千人。車騎将軍衛青之を撃ち、鴈門より出づ。衛尉安国材官将軍と為り、漁陽に屯す。安国生虜を捕へ、匈奴遠く去ると言ふ。即ち上書して言ふ、方に田作の時なり、請ふ且く軍屯を罷めんと。軍屯を罷むること月余、匈奴大いに上谷・漁陽に入る。安国の壁乃ち七百余人有り。出でて与に戦ふも、勝たず、復た壁に入る。匈奴千余人及び畜産を虜略して去る。天子之を聞きて、怒り、使をして安国を責譲せしむ。安国を徙して益々東にし、右北平に屯せしむ。是の時匈奴の虜言ふ、当に東方に入るべしと。
-
『甲陽軍鑑』品第十三又武略なうして不叶敵三所あり、先づ一番に大敵二番にみかたの大将より敵の大将覚ゑなうして大身なるに、武略然るべし、其子細はおほへの人が覚えなき人に対々にもすれば、前の覚ゑを無にして敵方へ名をとらする、まして負くれば勿体なし、此理をもつて武略尤もなり、三番に强敵は殊更みかたへ行て聞き度事なれば、是れによつての武略なり、武略には見たる斗りも首尾とこのはず、きいたばかりもあやうし、其品々に心つけること肝要なり、扨てこそ上杉家の本間·井又をは近国迄響きわたり、信玄公十六歳にて聞き給ひ、両人を絵にかきくも我内の者ともに拝せんと被仰ける由々、甘利備守度々雑談申され候、就中此次ぎからして能くよみわけ給へ、
-
『甲陽軍鑑』品第十三殊更此程我々両人小田原へよき者を指越し承候へば、北条家には何のさたもなく上杉則政公御旗を出されば、めつぽうに究まりたり、其意趣は氏縄が子氏康当年二十二歳に罷成るが、武辺のこと一円心がけず、たど歌斗りよみて罷在り、扨は男色二置するなにとのめばな立ちごと述定。男女のおいやけを大盛代々年では武辺仕さうなる侍なく候処に、当家の家老衆北条家をこともなのめにおぞみ給ふこと、一段聞へぬ儀なり、又本間江州·井又左近両人武略をよく仕たるとのこと、彼両人上杉家へ帰参申度とて皆偽りの作りごとゝ聞へ候縦へ能く仕ても武略は大敵にこそ用る者にて候へ、上杉家の被官よりはらいさき者に何の機遣にて武略なさるべき、当家の各おかしきことを申され候、
-
『鬼谷子』捭闔篇離合に守る有り、先ず其の志に從う。即ち之を捭かんと欲せば、周きを貴び、即ち之を闔じんと欲せば、密なるを貴ぶ。周密の貴きは㣲なり、而して道と相い追う。捭く者は、其の情を料るなり、闔ずる者は、其の誠を結ぶなり。皆な其の權𢖍の輕重を見て、乃ち之が度數を爲す。聖人因りて之が慮を爲す。其の權𢖍度數に中らざれば、聖人因りて自ら之が慮を爲す。
-
『智囊』通簡・王德元王子醇枢密、熙河に帥たりし日、西戎入寇せんと欲し、先ず人をして我が虚実を覘わしむ。邏者は之を得、其の衣縁の中を索むるに、一書を獲たり。乃ち熙河の人馬芻糧の数を尽く記せり。官属は皆な支解して以て徇えんと欲す。子醇は忽ち判じて背を杖つこと二十、大いに「番賊決訖放帰」の六字を剌し、之を縦つ。是の時、適々戎兵馬騎甚だ衆く、芻糧も亦た富めり。虜人は諜書を得て、備え有るを知り、其の謀は遂に寝む。
-
『鬼谷子』内揵篇往を言う者は、先ず辭に順うなり。來を說く者は、變を以て言うなり。善く變ずる者は審らかに地勢を知り、乃ち天に通じ、以て四時を化し、鬼神を使い、隂陽に合して、人民を牧す。其の謀事を見て、其の志意を知る。事に合わざる者有るは、未だ知らざる所有ればなり。合して結ばざる者は、陽に親しみて隂に疏んずればなり。事に合わざる者有らば、聖人は爲に謀らざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る