智囊 / 詭道・韓信
李復亂,宣撫使檄韓世忠追擊,所部不滿千人。乃分為四隊,布鐵蒺藜,自塞歸路,令曰:「進則勝,退則死,走者命後隊剿殺。」於是莫敢反顧,皆死戰,大敗之。斬復。此皆背水陣之故智也。沈存中曰:「韓信襲趙,先使萬人背水陣。乃建大將旗鼓,出井陘口,與趙人大戰。佯敗,棄旗鼓走水上軍。背水而陣,已是危道,又棄旗鼓而趨之,此必敗勢也。而信用之者,陳餘老將,不以必敗之勢邀之,不能致也。信自知才過餘,乃敢用此策。設使餘少黠於信,信豈得不敗?此所謂知己知彼,量敵為計。後之人不量敵勢,襲信之跡,決敗無疑。
新字:李復乱,宣撫使檄韓世忠追撃,所部不満千人。乃分為四隊,布鉄蒺藜,自塞帰路,令曰:「進則勝,退則死,走者命後隊剿殺。」於是莫敢反顧,皆死戦,大敗之。斬復。此皆背水陣之故智也。沈存中曰:「韓信襲趙,先使万人背水陣。乃建大将旗鼓,出井陘口,与趙人大戦。佯敗,棄旗鼓走水上軍。背水而陣,已是危道,又棄旗鼓而趨之,此必敗勢也。而信用之者,陳余老将,不以必敗之勢邀之,不能致也。信自知才過余,乃敢用此策。設使余少黠於信,信豈得不敗?此所謂知己知彼,量敵為計。後之人不量敵勢,襲信之跡,決敗無疑。
書き下し
李復、乱す。宣撫使、韓世忠に檄して追撃せしむ。部する所は千に満たず。乃ち分かちて四隊と為し、鉄蒺藜を布き、自ら帰路を塞ぎ、令して曰く、「進めば則ち勝ち、退けば則ち死す。走る者は後隊に命じて剿殺せしむ」と。是に於いて敢えて反顧する莫く、皆死戦し、大いにこれを敗る。復を斬る。此れ皆背水の陣の故智なり。沈存中曰く、「韓信、趙を襲うに、先ず万人をして水を背にして陣せしむ。乃ち大将の旗鼓を建て、井陘口を出でて趙人と大いに戦い、佯り敗れて、旗鼓を棄てて水上の軍に走る。水を背にして陣するは、已に危道なり。又旗鼓を棄てて之に趨くは、此れ必敗の勢いなり。而るに信のこれを用いたるは、陳餘は老将にして、必敗の勢いを以て之を邀えずんば、致す能わざればなり。信は自ら才の餘に過ぐるを知り、乃ち敢えて此の策を用いたり。設し餘をして少しく信より黠からしめば、信豈に敗れざるを得んや。此れ所謂己を知り彼を知り、敵を量りて計を為すなり。後の人、敵の勢いを量らず、信の跡を襲えば、決して敗れること疑い無し。
現代語訳
李復が乱を起こした。宣撫使は韓世忠に檄を飛ばして追撃させた。率いる兵は千に満たなかった。そこで四つの隊に分け、鉄のまきびしを撒いて、自ら帰り道をふさぎ、「進めば勝ち、退けば死ぬ。逃げる者は後ろの隊に命じて斬り殺させる」と命じた。そこで誰も振り返らず、皆死にものぐるいで戦い、大いにこれを破った。李復を斬った。これは皆、背水の陣の古い知恵である。沈存中(沈括)は言う。「韓信が趙を襲った時、まず一万人に川を背にして陣を張らせた。それから大将の旗と太鼓を立て、井陘口を出て趙人と大いに戦い、いつわって敗れ、旗と太鼓を捨てて川のほとりの軍に走った。川を背にして陣を張るのは、すでに危険な道である。さらに旗と太鼓を捨てて走るのは、必ず敗れる態勢だ。それでも韓信がこれを用いたのは、陳餘が老練な将であり、必敗の態勢でなければ、誘い出せなかったからだ。韓信は自分の才が陳餘を上回ることを知っていたので、あえてこの策を用いた。もし陳餘が韓信より少しでも賢かったなら、韓信が敗れずにいられただろうか。これがいわゆる己を知り彼を知り、敵を量って計を立てるということである。後の人が敵の勢いを量らず、韓信の跡をなぞれば、必ず敗れることは疑いない。
解説
この章句が説くこと
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