墨子 / 貴義
子墨子曰:凡言、凡動,利於天鬼百姓者為之;凡言、凡動,害於天鬼百姓者舍之。凡言、凡動,合於三代聖王堯舜禹湯文武者為之;凡言、凡動,合於三代暴王桀紂幽厲者舍之。
新字:子墨子曰:凡言、凡動,利於天鬼百姓者為之;凡言、凡動,害於天鬼百姓者舎之。凡言、凡動,合於三代聖王堯舜禹湯文武者為之;凡言、凡動,合於三代暴王桀紂幽厲者舎之。
書き下し
子墨子曰く、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に利ある者は之を為し、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に害ある者は之を舍く。凡そ言、凡そ動、三代の聖王堯・舜・禹・湯・文・武に合う者は之を為し、凡そ言、凡そ動、三代の暴王桀・紂・幽・厲に合う者は之を舍く。
現代語訳
墨子が言った。すべての言葉、すべての行いのうち、天と鬼神と人民に利があるものは行い、害があるものは捨てる。すべての言葉、すべての行いのうち、三代の聖王である堯・舜・禹・湯・文王・武王に適うものは行い、三代の暴王である桀・紂・幽王・厲王に適うものは捨てる。
解説
墨家の行動基準を二行にまとめたものです。一つは利害で測る基準、もう一つは先例に照らす基準。どちらも、その場の気分や好みを排して、外から確かめられる形になっています。判断に迷ったとき、この二つを順に当てれば答えが出る。判断基準を明文で持つということの、古い実例です。
この章句が説くこと
基準利害先例判断行動
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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『墨子』非儒下夫れ一に道術學業とは、仁義なり。昔、大にしては以て人を治め、小にしては以て官に任じ、逺くしては施し、用いては偏く、近くしては以て身を循む。不義には處らず、非理には行わず。務めて天下の利を興し、曲直周旋、利あれば則ち止まる。此れ君子の道なり。聞く所の孔丘の行いを以てすれば、則ち本より此と相い反謬するなり。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。