智囊 / 詭道・劉鄩
劉鄩,安丘人,初事青州王師範。唐昭宗幸鳳翔,朱溫率師迎於岐下。師範欲乘虛據兗州,鄩先遣人詐為鬻油者,覘城內虛實及出入所。視羅城下一水竇,可引眾而入,遂志之。鄩乃告師範,請步兵五百,自水竇銜枚而入。一夕而定,軍城宴然,市民無憂。朱溫遣大將葛從周來攻城,良久外援俱絕,鄩料簡城中,凡不足當敵者,悉出之於外,與將士同甘苦。一日,副使王彥溫逾城走,守陴者從之,不可止,鄩即遣人從容告彥溫曰:「請少將人出,非素遣者,勿帶行。」又揚言於眾曰:「素遣從副使行者,即勿禁,其擅去者,族之。」外軍果疑彥溫,即戮於城下,於是守軍遂固,鄩後師範降梁。
新字:劉鄩,安丘人,初事青州王師範。唐昭宗幸鳳翔,朱温率師迎於岐下。師範欲乗虚拠兗州,鄩先遣人詐為鬻油者,覘城内虚実及出入所。視羅城下一水竇,可引衆而入,遂志之。鄩乃告師範,請歩兵五百,自水竇銜枚而入。一夕而定,軍城宴然,市民無憂。朱温遣大将葛従周来攻城,良久外援倶絶,鄩料簡城中,凡不足当敵者,悉出之於外,与将士同甘苦。一日,副使王彦温逾城走,守陴者従之,不可止,鄩即遣人従容告彦温曰:「請少将人出,非素遣者,勿帯行。」又揚言於衆曰:「素遣従副使行者,即勿禁,其擅去者,族之。」外軍果疑彦温,即戮於城下,於是守軍遂固,鄩後師範降梁。
書き下し
劉鄩は安丘の人なり。初め青州の王師範に事う。唐の昭宗、鳳翔に幸す。朱温、師を率いて岐下に迎う。師範、虚に乗じて兗州に拠らんと欲す。鄩、先ず人を遣わして詐りて油を鬻ぐ者と為し、城内の虚実及び出入の所を覘わしむ。羅城の下に一水竇有り、衆を引きて入るべきを視、遂にこれを志す。鄩乃ち師範に告げ、歩兵五百を請い、水竇より枚を銜みて入る。一夕にして定まり、軍城は宴然たり、市民も憂い無し。朱温、大将の葛従周を遣わして城を攻めしむ。良久しくして、外援俱に絶ゆ。鄩、城中を料簡し、凡そ敵に当たるに足らざる者は、悉くこれを外に出し、将士と甘苦を同じくす。一日、副使の王彦温、城を逾えて走る。陴を守る者これに従い、止むべからず。鄩、即ち人を遣わして従容として彦温に告げさせて曰く、「請う、少しの人を将いて出でよ。素より遣わされざる者は、帯び行く勿かれ」と。又、衆に揚言して曰く、「素より副使に従いて行く者は、即ち禁ずる勿かれ。其の擅に去る者は、これを族せん」と。外の軍、果たして彦温を疑い、即ち城下に戮す。是に於いて守軍遂に固し。鄩、後に師範に降りて梁に仕う。
現代語訳
劉鄩は安丘の人である。はじめ青州の王師範に仕えた。唐の昭宗が鳳翔に行幸した。朱温は軍を率いて岐下に迎えた。王師範はその隙に乗じて兗州に拠ろうとした。劉鄩はまず人を送って油売りのふりをさせ、城内の虚実や出入りの場所をうかがわせた。外城の下に水の通り道があり、人数を連れて入れることを見て、それを目印にした。劉鄩は王師範に告げ、歩兵五百を求め、水の通り道から声を出さないよう枚をくわえて入った。一晩で平定し、軍も城も静かで、市民も憂いがなかった。朱温は大将の葛従周を遣わして城を攻めさせた。しばらくして、外からの援軍はすべて絶えた。劉鄩は城中を調べ、敵に当たるのに足りない者は皆城の外に出し、将兵と苦楽を共にした。ある日、副使の王彦温が城壁を越えて逃げた。城壁を守る兵がこれに従い、止められなかった。劉鄩はすぐに人を送って落ち着いた様子で王彦温に告げた。「少しの人数だけ連れて出なさい。もともと派遣されていない者は連れて行ってはいけない」。また皆に「もともと副使に従って行った者は、禁じてはならない。勝手に去る者は、一族を処罰する」と声高に言った。外の軍は果たして王彦温を疑い、城下で殺した。こうして守備軍は固まった。劉鄩はのちに王師範に降って梁に仕えた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・季氏篇季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰く、「季氏、将に顓臾に事有らんとす。」孔子曰く、「求、乃ち爾是れ過てるに無からんや。夫れ顓臾は、昔者先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以て伐つことを為さん。」冉有曰く、「夫子之を欲す。吾二臣なる者は、皆欲せざるなり。」孔子曰く、「求、周任言えること有り、曰く、『力を陳べて列に就き、能わざれば止む』と。危うくして持せず、顛れて扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言過てり。虎兕柙より出で、亀玉櫝中に毀るるは、是れ誰の過ちぞや。」冉有曰く、「今夫の顓臾は、固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。」孔子曰く、「求、君子は夫の之を欲すと曰うを舍きて、必ず之が辞を為すを疾む。丘や、聞く、国を有ち家を有つ者は、寡なきを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う、と。蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くの如し。故に遠人服せざれば、則ち文徳を修めて以て之を来す。既に之を来せば、則ち之を安んず。今由と求とは、夫子を相けて、遠人服せずして来すこと能わず、邦分崩離析して守ること能わず、而して干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾恐る、季孫の憂いは、顓臾に在らずして、蕭牆の内に在らんことを。」
-
老子・第72章民、威を畏れざれば、則ち大威至る。其の居る所を狎れしむること無く、其の生くる所を厭わしむること無かれ。夫れ唯だ厭わず、是を以て厭われず。是を以て聖人は自ら知りて自ら見わさず、自ら愛して自ら貴ばず。故に彼を去りて此を取る。
-
言志四録・言志録 第五十二条 鎮定と応機社稷の臣の執る所は二つ。曰く鎮定、曰く応機。
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
-
『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
-
史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る