言志四録 / 言志録 第五十二条 鎮定と応機
社稷之臣所執二。曰鎭定。曰應機。
新字:社稷之臣所執二。曰鎮定。曰応機。
書き下し
社稷の臣の執る所は二つ。曰く鎮定、曰く応機。
現代語訳
国家の安危を担う重臣がしっかり執り守るべきものは二つある。一つは鎮定、すなわち人心と事態を落ち着かせ安定させること。もう一つは応機、すなわち時機に応じて臨機に対処することである。
解説
「社稷の臣」は、社(土地の神)と稷(穀物の神)、つまり国家そのものの存亡を担う重臣のことで、論語や孟子にも見える語です。一斎はその要諦を二語に絞ります。「鎮定」は、騒ぎや動揺をしずめ、人々を落ち着かせる重み。「応機」は、機を見て素早く手を打つ柔軟さです。一方は動かないこと、他方は動くことで、正反対にも見えますが、前条の「大綱を統べ、紛更しない」と「言い難きを言い、処し難きを処す」がちょうどこれに対応しています。平時は腰を据えて周りを落ち着かせ、ここぞという時には迷わず動く。危機のときに組織を預かる人が、自分はどちらに偏りがちかを見直す手がかりになるでしょう。
この章句が説くこと
鎮定応機リーダーシップ危機管理重臣
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