智囊 / 詭道・李光弼・李希烈
李光弼募軍中,有少技皆取之,人盡其用。有錢工三者,善穿地道。史思明寇太原,光弼遣人詐為約降,而穿地道周賊營中,楮之以木。至期,遣裨將將數千人出,如降狀,咸皆屬目,俄而營中地忽陷,死者千餘人。賊眾驚亂,官軍鼓噪乘之,俘斬萬計。李元平至汝州,募工徒葺理郛郭。李希烈陰使勇士應募,執役版築,凡入數百人,元平不之覺。希烈遣將以數百騎突至其城,執役者應於內,縛元平馳去。〔述評〕嘉靖四十一年,倭入寇,圍興化府。都督劉顯奉敕赴援,去府城三十里,隔一江,逗留不進。久之,懼罪,遣五卒齎文詣府,約欲率兵越城禦敵。賊獲五卒,殺之。周其職銜,偽為顯文,約「某日夜某時率兵潛入應援,城中勿舉火作聲,恐賊驚覺。」擇奸細五人,詐充劉卒,齎入。城中信之,至期,賊冒劉兵入城,遂陷之。夫中國所以能制夷狄者,智也,今智反在夷狄,可不為寒心哉?
新字:李光弼募軍中,有少技皆取之,人尽其用。有銭工三者,善穿地道。史思明寇太原,光弼遣人詐為約降,而穿地道周賊営中,楮之以木。至期,遣裨将将数千人出,如降状,咸皆属目,俄而営中地忽陥,死者千余人。賊衆驚乱,官軍鼓噪乗之,俘斬万計。李元平至汝州,募工徒葺理郛郭。李希烈陰使勇士応募,執役版築,凡入数百人,元平不之覚。希烈遣将以数百騎突至其城,執役者応於内,縛元平馳去。〔述評〕嘉靖四十一年,倭入寇,囲興化府。都督劉顕奉勅赴援,去府城三十里,隔一江,逗留不進。久之,懼罪,遣五卒齎文詣府,約欲率兵越城禦敵。賊獲五卒,殺之。周其職銜,偽為顕文,約「某日夜某時率兵潜入応援,城中勿舉火作声,恐賊驚覚。」択奸細五人,詐充劉卒,齎入。城中信之,至期,賊冒劉兵入城,遂陥之。夫中国所以能制夷狄者,智也,今智反在夷狄,可不為寒心哉?
書き下し
李光弼、軍中に募り、少技有る者は皆これを取り、人其の用を尽くさしむ。銭工三なる者有り、善く地道を穿つ。史思明、太原に寇す。光弼、人を遣わして詐りて降を約せしめ、而して地道を穿ちて賊の営の中に周らせ、これを木を以て楮う。期に至り、裨将に数千人を将いて出で、降るの状の如くせしむ。咸な皆目を属す。俄かにして営中の地忽ち陥り、死する者千余人。賊衆驚き乱る。官軍、鼓噪してこれに乗じ、俘斬すること万を以て計う。李元平、汝州に至り、工徒を募りて郛郭を葺理せしむ。李希烈、陰かに勇士をして募に応じ、版築に執役せしむ。凡そ入ること数百人、元平これを覚らず。希烈、将を遣わして数百騎を以て突として其の城に至らしむ。執役の者、内に応じ、元平を縛りて馳せ去る。〔述評〕嘉靖四十一年、倭入りて寇し、興化府を囲む。都督劉顕、勅を奉じて援に赴くも、府城を去ること三十里、一江を隔てて、逗留して進まず。これを久しくして、罪を懼れ、五卒を遣わして文を齎らし府に詣らしめ、兵を率いて城を越えて敵を禦がんと約す。賊、五卒を獲てこれを殺す。其の職銜を周り、偽りて顕の文を為り、「某の日の夜某の時に、兵を率いて潜入して応援せん。城中は火を挙げ声を作す勿かれ。賊の驚覚せんことを恐る」と約す。奸細五人を擇び、詐りて劉の卒に充て、齎らして入らしむ。城中これを信じ、期に至り、賊、劉の兵に冒りて城に入り、遂にこれを陥る。夫れ中国の夷狄を制する所以の者は、智なり。今、智は反って夷狄に在り。寒心せざるべけんや。
現代語訳
李光弼は軍中で人を募り、少しでも技のある者は皆登用し、それぞれの能力を尽くさせた。銭工三という者がおり、地下道を掘るのが上手だった。史思明が太原に攻めてきた。李光弼は人を送って偽りの降伏を約束させ、地下道を掘って敵の陣営の中に巡らせ、木材で支えておいた。約束の日になると、副将に数千人を率いて出て降伏する様子をさせた。敵は皆それに注目した。たちまち陣営の中の地面が突然陥没し、死者は千人余りに上った。敵の兵は驚き乱れた。官軍は太鼓を鳴らして勢いに乗じ、捕虜と斬首は万を数えた。李元平は汝州に着くと、工事の人夫を募って城壁を修理させた。李希烈はひそかに勇士を募集に応じさせ、土を突き固める作業に従わせた。全部で数百人が入り込んだが、李元平は気づかなかった。李希烈は将に数百騎を率いさせて、突然その城に至らせた。作業していた者が内側で呼応し、李元平を縛って馬で去った。〔述評〕嘉靖四十一年、倭寇が侵入し、興化府を包囲した。都督の劉顕は勅命を受けて救援に向かったが、府城から三十里のところで、川を隔てて、とどまったまま進まなかった。長く経って、罪を恐れ、五人の兵に書状を持たせて府城に行かせ、兵を率いて城を越えて敵を防ぐと約束した。賊は五人の兵を捕らえて殺した。その官職の名称を探り、劉顕の書状を偽造し、「某日の夜の某時に、兵を率いてひそかに入って応援する。城中は火を挙げたり声を出したりしてはならない。賊が驚いて気づくのを恐れる」と約束した。奸細五人を選び、劉顕の兵のふりをさせて書状を持たせて入らせた。城中はこれを信じ、その日になると、賊は劉顕の兵になりすまして城に入り、ついに陥落させた。そもそも中国が夷狄を制してきた理由は知恵である。今は知恵が逆に夷狄の側にある。憂慮せずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』集哲・李文姬李固がすでに策免されると、禍を免れぬことを知り、二子を郷里に帰らせた。時に燮は十三歳、姉の文姫は同郡の趙伯英の妻で、賢くて智があった。二兄の帰るのを見て、ことの本末を知り、黙然として独り悲しみ、言った、「李氏は滅びる。太公以来、徳を積み仁を累ねてきたのに、どうしてこのようなことに遭うのか。」密かに二兄と謀り、あらかじめ燮を隠し、京師に還ると托言したので、人は皆これを信じた。ほどなく難が起こり、郡に下って固の三子を捕らえ、二兄は害を受けた。文姫は父の門生王成に告げた、「君は義を執って先公に仕え、古人の節がある。いま六尺の孤を君に託します。李氏の存滅は君にかかっています。」成はその義に感じ、燮を連れて江を下り、徐州の界内に入り、姓名を変えて酒屋の雇人とさせ、自分は市で卜を売った。名は異居としながら、陰で往来し、燮は学を受けた。酒屋の主はこれを怪しみ、尋常の人ではないと思い、娘を燮に妻わせた。燮は経学に専心した。十余年のあいだに梁冀が誅され、災異がしばしば現れ、翌年、史官が上言した、「赦令を出すべきで、また冤死した大臣の子孫を存録すべきです。」ここに天下に大赦し、あわせて固の後嗣を求めた。燮は本末を酒屋の主に告げ、主は車を整えて厚く贈ったが、皆受けなかった。郷里に還り、姉弟は相見えて、悲しみは傍らの人を感動させた。やがて燮を戒めて言った、「先公は正直で、漢の忠臣であったのに、朝廷の傾乱に遭い、梁冀が虐を恣にして、我が宗祀の血食を絶やそうとした。いま弟が幸いに生き延びたのは、天ではないか。衆人との交わりを絶ち、みだりに往来してはならない。慎んで梁氏に一言も加えてはならない。梁氏に加えれば主上に連なり、禍が重ねて至る。ただ咎を引き受けるのみである。」
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『智囊』序・智囊自敘或ひと又た曰く、舜・孔の事は則ち誠に然り。然れども『智囊』なる者は、固より大夫錯の膏もて漢市に焚かれし所以なり。子は何を取らんや。馮子曰く、不、不。錯は智に死せず、愚に死せり。其の坐して兵を談ずるに方たりては、人主色を動かせしも、七国の事起こるに迨びて、乃ち天子をして将たらしめ、己は居守せんと欲す。一たび不智を為せば、讒興りて身滅ぶ。然りと雖も、錯は身を衛るに愚にして、国を籌るに智なり。故に身死して数千年、人猶お之を痛み、名臣に列す。輓鬥宵の流は、身を衛るに偏えに智にして、国を籌るに偏えに愚なり。此を以て彼に較ぶれば、誰か妍にして誰か媸なるか。且つ『智囊』の名、子は其の一を知りて、二を未だ知らざるなり。錯に前んずる者に樗里子有り。錯に後るる者に魯匡・支謙・杜預・桓範・王倹有り。其の皇明に在りては、楊文襄公並びに此の号を擅にす。数君子は、跡は一軌ならざれども、亦た多く功を成し勲を豎て、身は栄え道は泰かなる者有り。子は其の利を捨てて其の害を懲らす。是れ猶お一人の溺るるを睹て、舟楫の用を廃するがごとし。夫れ亦た愈いよ不智なり。或ひと又た曰く、子の『智囊』を述ぶるは、人をして智を学ばしめんとするなり。智は性より生ずるか、紙上に由るか。馮子曰く、吾れ向に固より之を言えり。智は猶お水のごとし。然して地中に蔵するは性なり。鑿ちて之を出だすは学なり。井澗の用は、江河と参す。吾れは夫の人性の土石に錮せらるるを憂え、紙上の言を以て之が畚鍤と為す。応世に廖ゆること有るに庶からんのみ。
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『智囊』靈變・吳郡卒蘇峻の乱に、諸庾は逃げ散る。庾冰は時に呉郡たり、単身にして奔り亡る。吏民は皆去り、ただ郡卒のみ独り小船を以て冰を載せて銭塘の口を出で、蘧蒢を以てこれを覆う。時に峻は賞募して冰の属を覓め、所在の搜括は甚だ急なり。卒は船を市の渚に泊め、酒を飲み酔いて還り、棹を舞わして船に向かいて曰く、「何れの処にか呉郡を覓むる。この中に便ち是れなり」と。冰は大いに驚き怖るるも、敢えて動かず。監司は船小さく装い狭きを見て、卒の狂酔と謂い、都べて復た疑わず。自ら送りて浙江を過ぎ、山陰の魏家に寄せ、免るるを得たり。後に事平らぐや、冰は卒に報いんと欲し、その願う所を問う。卒曰く、「廁下より出で、名器を願わず。少くして執鞭に苦しみ、恒に快く酒を飲むを得ざるを患う。酒をして余年に足らしめば、畢わらん」と。復た須うる所無し。冰は為に大舎を起こし、奴婢を市い、門内に百斛の酒有らしめて、その身を終えさせたり。時に謂う、この卒は唯だ智有るのみならず、且つ亦た生に達すと。
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『智囊』通簡・廉希憲廉希憲は京兆たり。四川宣撫使渾都海反し、西川の将紐鄰奧、魯官は兵を挙げて之に応ぜんとす。蒙古八春は之を獲、其の党五十余人を乾州の獄に係ぎ、二人を京兆に送り、並びに殺さんことを請う。希憲は僚佐に謂いて曰く、「渾都海は勢に乗じて東に来る能わず、他の慮い無きを保す。今、衆志は未だ一ならず、猶お反側を懐く。彼若し其の将校の執囚せらるるを見ば、或いは別に心を生じ、害を為すこと細からず。其の死を懼るるに因りて、並びに皆な寛釈すべし。就ち此の軍の餘丁を発して八春に隸せしむるは、上策なり」と。初め八春は既に諸校を執らえしかば、其の軍は疑懼し、駭乱して四出す。諸校の全きを獲たるを知るに及び、紐鄰奧、魯官は釈さるるを得て、大いに喜びて望みに過ぎ、人人感悦す。八春は果たして精騎数千を得て、将に与に俱に西せんとす。〔馮述評〕八春に隷せしむる所以は、逆め八春の力能く之を制するを知ればなり。漫然として虎を縦ちて患を遺すに非ず。八春は能く之を死にせしめ、希憲は能く之を生かし、畏と感と交々集まり、我が用を為さざるを患えず。
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史記 項羽本紀項梁嘗て櫟陽(やくよう)の逮有り、乃ち蘄(き)の獄掾(ごくえん)曹咎に請ひて書もて櫟陽の獄掾司馬欣に抵(いた)さしめ、故を以て事已むを得たり。項梁人を殺し、籍と仇を呉中に避く。呉中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知る。秦の始皇帝会稽に游び、浙江を渡る、梁と籍と倶に観る。籍曰く、「彼取りて代はるべきなり。」と。梁其の口を掩ひて、曰く、「妄言する毋かれ、族せられん。」と。梁此を以て籍を奇とす。籍は長八尺余、力は能く鼎を扛(あ)げ、才気人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を憚る。秦の二世元年七月、陳渉等大沢中に起こる。其の九月、会稽の守通、梁に謂ひて曰く、「江西皆反す、此れ亦天の秦を亡ぼすの時なり。吾聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為ると。吾兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す。」と。是の時桓楚亡げて沢中に在り。梁曰く、「桓楚亡げ、人其の処を知る莫し、独り籍のみ之を知るのみ。」と。梁乃ち出で、籍を誡めて剣を持して外に居りて待たしむ。梁復た入り、守と坐して、曰く、「請ふ籍を召し、命を受けて桓楚を召さしめん。」と。守曰く、「諾。」と。梁籍を召して入らしむ。須臾にして、梁籍に眴(めくば)せして曰く、「行ふべし。」と。是に於て籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。項梁守の頭を持ち、其の印綬を佩ぶ。門下大いに驚き、擾乱す、籍の撃殺する所数十百人。一府中皆慴伏し、敢へて起つ莫し。梁乃ち故より知る所の豪吏を召し、諭すに起こす所の大事を以てし、遂に呉中の兵を挙ぐ。人をして下県を収めしめ、精兵八千人を得たり。梁呉中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と為す。一人の用ゐらるるを得ざる有り、自ら梁に言ふ。梁曰く、「前時某の喪に公をして某の事を主らしむるも、辦ずる能はず、此を以て公を任用せず。」と。衆乃ち皆伏す。是に於て梁は会稽の守と為り、籍は裨将と為りて、下県を徇ふ。
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『春秋左氏伝』襄公三十一年 美錦を学ばしめず子皮尹何をして邑を為めしめんと欲す。子產曰く、「少し。未だ可否を知らず」と。子皮曰く、「愿なり。吾之を愛す。吾に叛かざるなり。夫をして往きて學ばしめば、夫も亦た愈〻治を知らん」と。子產曰く、「不可なり。人の人を愛するは、之を利せんことを求むるなり。今吾子人を愛するに則ち政を以てす。猶ほ未だ刀を操ること能はずして割かしむるがごときなり。其の傷つくること實に多からん。子の人を愛する、之を傷つくるのみ。其れ誰か敢へて愛を子に求めん。子の鄭國に於けるや、棟なり。棟折れ榱崩るれば、僑將に厭されんとす。敢へて言を盡くさざらんや。子に美錦有らば、人をして製するを學ばしめず。大官大邑は、身の庇ふ所なり。而るに學者をして製せしむ。其の美錦為るや、亦た多からずや。僑聞く、學びて而る後に政に入ると。未だ政を以て學ぶ者を聞かざるなり。若し果たして此を行はば、必ず害する所有らん。譬へば田獵の如し。射御貫るれば、則ち能く禽を獲。若し未だ嘗て車に登りて射御せずんば、則ち敗績厭覆を是れ懼れん。何の暇ありてか獲るを思はん」と。子皮曰く、「善いかな。虎不敏なり。吾聞く、君子は大なる者遠き者を知るに務め、小人は小なる者近き者を知るに務むと。我は小人なり。衣服の吾が身に附在するは、我知りて之を慎む。大官大邑は、身を庇ふ所以なり。我遠ざけて之を慢る。子の言微かりせば、吾知らざりしなり。他日、我曰へり、『子は鄭國を為め、我は吾が家を為めて、以て庇はば其れ可なり』と。今にして後に足らざるを知る。今より請ふ、吾が家と雖も子に聽きて行はん」と。子產曰く、「人心の同じからざるは、其の面の如し。吾豈に敢へて子の面吾が面の如しと謂はんや。抑〻心に危ふしと謂ふ所は、亦た以て告ぐるなり」と。子皮以て忠と為す。故に政を委ぬ。子產是を以て能く鄭國を為む。
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