智囊 / 詭道・韋孝寬・岳飛・種世衡
乃引見使者,厚遣之,世衡度使返,崧即還,而野利報死矣。世衡既殺野利,又欲並去天都,因設祭境上,書祭文於版,述二將相結,有意本朝,悼其垂成而敗,其祭文雜紙幣中,有虜至,急之以歸,版字不可遽滅,虜得之以獻元昊,天都亦得罪。元昊既失腹心之將,悔恨無及,乃定和議。崧複姓為王嵩,後官至諸司使,至今邊人謂之「王和尚」。〔述〕沈存中《補筆談》亦載此事,云:「世衡厚遣崧,以軍機密事數條與之,曰:『可以此借手。』臨行,解所服絮袍贈之,曰:『虜地苦寒,以此為別,至彼須萬計求見遇乞,即野利王。非此人無以得其心腹。』崧如所教,間關求通遇乞,虜人覺而疑之,執於有司,數日,或發其袍領中,得世衡與遇乞書,詞甚款密,崧初不知領中書,虜人苦之備至,終不言情,虜人因疑遇乞,殺之,遷崧於北境,亡歸。」事稍異。據《筆談》則領中書並崧不知,崧膽才壯,似更奇。世衡又嘗以罪怒一悉將,杖其背,僚屬為請,皆莫能得,其人杖已,即奔元昊,元昊甚親信之,歲餘,盡得其機密以歸,乃知世衡能用間也。
新字:乃引見使者,厚遣之,世衡度使返,崧即還,而野利報死矣。世衡既殺野利,又欲並去天都,因設祭境上,書祭文於版,述二将相結,有意本朝,悼其垂成而敗,其祭文雑紙幣中,有虜至,急之以帰,版字不可遽滅,虜得之以献元昊,天都亦得罪。元昊既失腹心之将,悔恨無及,乃定和議。崧複姓為王嵩,後官至諸司使,至今辺人謂之「王和尚」。〔述〕沈存中《補筆談》亦載此事,云:「世衡厚遣崧,以軍機密事数条与之,曰:『可以此借手。』臨行,解所服絮袍贈之,曰:『虜地苦寒,以此為別,至彼須万計求見遇乞,即野利王。非此人無以得其心腹。』崧如所教,間関求通遇乞,虜人覚而疑之,執於有司,数日,或発其袍領中,得世衡与遇乞書,詞甚款密,崧初不知領中書,虜人苦之備至,終不言情,虜人因疑遇乞,殺之,遷崧於北境,亡帰。」事稍異。拠《筆談》則領中書並崧不知,崧胆才壮,似更奇。世衡又嘗以罪怒一悉将,杖其背,僚属為請,皆莫能得,其人杖已,即奔元昊,元昊甚親信之,歳余,尽得其機密以帰,乃知世衡能用間也。
書き下し
乃ち使者を引見して、これを厚く遣る。世衡、使の返り、崧の即ち還るを度る。而して野利、死を報ぜり。世衡既に野利を殺し、又天都を並せ去らんと欲し、因りて祭を境上に設け、祭文を版に書き、二将の相結び、意を本朝に有するも、其の垂成にして敗るるを悼むと述ぶ。其の祭文を紙幣の中に雑え、虜の至る有るや、急ぎ之を以て帰る。版の字は遽かに滅すべからず。虜、之を得て以て元昊に献じ、天都も亦罪を得たり。元昊既に腹心の将を失い、悔恨及ぶ無く、乃ち和議を定む。崧は姓を復して王嵩と為り、後に官は諸司使に至る。今に至るまで辺人これを「王和尚」と謂う。〔述〕沈存中の『補筆談』にも亦此の事を載せ、云う、「世衡、厚く崧を遣り、軍機の密事数条を以て之に与えて曰く、『此れを以て借手とすべし』と。行くに臨み、服する所の絮袍を解きて之に贈りて曰く、『虜の地は苦寒なり。此れを以て別れとなす。彼に至らば須く万計もて遇乞に見えんことを求めよ。即ち野利王なり。此の人に非ずんば、以て其の心腹を得る無し』と。崧、教うる所の如くし、間関して遇乞に通ぜんことを求む。虜人覚りて之を疑い、有司に執らう。数日して、或いは其の袍の領中を発き、世衡の遇乞に与うる書を得たり。詞甚だ款密なり。崧は初め領中の書を知らず。虜人これを苦しむること備に至るも、終に情を言わず。虜人、因りて遇乞を疑い、これを殺し、崧を北境に遷す。亡げ帰る」と。事稍々異なる。『筆談』に据れば則ち領中の書は崧も知らず、崧の膽才は壮にして、似て更に奇なり。世衡又嘗て罪を以て一悉将を怒り、其の背を杖つ。僚属の為に請うも、皆得る能わず。其の人、杖已わるや、即ち元昊に奔る。元昊甚だこれを親信し、歳余にして、尽く其の機密を得て以て帰る。乃ち世衡の能く間を用いるを知るなり。
現代語訳
そこで使者を引見して、手厚く帰した。種世衡は、使者が帰り、法崧がやがて戻ってくると見込んだ。やがて野利の死の知らせが届いた。種世衡は野利を殺したあと、さらに天都もあわせて除こうと考え、国境のあたりで祭りを設け、祭文を板に書き、二人の将が結託して本朝(宋)に心を寄せていたのに、成就の直前で敗れたことを悼むと述べた。その祭文を紙銭の中に混ぜ、敵が来たら急いでそれを持って帰った。板の字はすぐには消せない。敵はこれを手に入れて元昊に献上し、天都も罪を得た。元昊は腹心の将を失い、悔やんでも及ばず、ついに和議を定めた。法崧は姓を元に戻して王嵩となり、のちに官は諸司使に至った。今でも辺境の人々は彼を「王和尚」と呼ぶ。〔述〕沈存中(沈括)の『補筆談』にもこの事が載っており、次のように言う。「種世衡は法崧を手厚く送り出し、軍機の秘密の事項数条を与えて、『これで足がかりにせよ』と言った。出発に臨んで、着ていた綿入れの袍を脱いで贈り、『敵地はひどく寒い。これを別れの印とする。彼の地に着いたら、あらゆる手を尽くして遇乞に会うことを求めよ。遇乞こそ野利王である。この人でなければ、その腹の内は得られない』と言った。法崧は教えられたとおりにし、苦労して遇乞に通じようとした。敵は気づいて疑い、役人に捕らえさせた。数日して、ある者が袍の襟の中を探り、種世衡が遇乞に宛てた書状を見つけた。文面はたいそう親密だった。法崧は最初襟の中の書状を知らなかった。敵はあらゆる苦しめ方をしたが、最後まで事情を話さなかった。敵はこれにより遇乞を疑って殺し、法崧を北の境に移した。法崧は逃げ帰った」と。話は少し異なる。『筆談』によれば襟の中の書状は法崧も知らなかったことになり、法崧の胆力と才は大したもので、これはいっそう奇である。種世衡はまたある時、罪を理由に一人の悉将に怒り、その背を杖で打った。部下たちが取りなしても、聞き入れなかった。その人は打たれ終わるとすぐ元昊のもとに走った。元昊はたいそう親しみ信用し、一年余りで機密をすべて手に入れて帰ってきた。こうして種世衡が間者をうまく使えることがわかった。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』詭道・田單燕の昭王卒し、惠王立ち、樂毅と隙有り。田單、之を聞き、乃ち反間を燕に縱ち、宣言して曰く、「齊王已に死し、城の拔けざる者は二のみ。樂毅は誅を畏れて敢えて歸らず、齊を伐つを名と為し、實は兵を連ねて南面して齊に王たらんと欲す。齊人未だ附かず、故に且く即墨を攻むること緩くし、以て其の事を待つ。齊人の懼るる所は、唯だ他將の來たらんことを恐る。即墨は殘われん」と。燕王、以て然りと為し、騎劫をして毅に代わらしむ。毅、趙に歸り、燕軍共に忿る。而して田單、乃ち城中に令し、食する必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く翔舞して下り食し、燕人、之を怪しむ。田單、因りて宣言して曰く、「神來たりて下って我に教う」と。乃ち城中に令して曰く、「當に神人有りて我が師と為るべし」と。一卒有りて曰く、「臣、以て師と為るべきか」と。因りて反走す。田單、乃ち起ち、引き還し、東向して坐せしめ、之を師事す。卒曰く、「臣は君を欺く。實は能無きなり」と。單曰く、「子、言う勿れ」と。因りて之を師とし、每に出でて約束するに、必ず神師と稱す。乃ち宣言して曰く、「君唯だ燕軍の得る所の齊卒を劓し、之を前行に置きて我と戰わしめんことを懼る。即墨、敗れん」と。燕人、之を聞き、其の言の如くす。城中の人、齊の諸降者の悉く劓せらるるを見て、皆な堅守し、唯だ得らるるを恐る。單、又宣言す、「君は燕人の吾が城外の塚墓を掘り、先人を戮し、寒心すべきを懼る」と。燕軍、盡く壟墓を掘り、死人を燒く。即墨の人、城上より望見し、皆な涕泣し、俱に出でて戰わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
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