史記 / 陳丞相世家
今大王慢而少禮,士廉節者不來;然大王能饒人以爵邑,士之頑鈍嗜利無恥者亦多歸漢。誠各去其兩短,襲其兩長,天下指麾則定矣。然大王恣侮人,不能得廉節之士。顧楚有可亂者,彼項王骨鯁之臣亞父、鍾離眛、龍且、周殷之屬,不過數人耳。大王誠能出捐數萬斤金,行反間,間其君臣,以疑其心,項王爲人意忌信讒,必內相誅。漢因舉兵而攻之,破楚必矣。」漢王以爲然,乃出黃金四萬斤,與陳平,恣所爲,不問其出入。陳平既多以金縱反間於楚軍,宣言諸將鍾離眛等爲項王將,功多矣,然而終不得裂地而王,欲與漢爲一,以滅項氏而分王其地。項羽果意不信鍾離眛等。項王既疑之,使使至漢。漢王爲太牢具,舉進。見楚使,即詳驚曰:「吾以爲亞父使,乃項王使!」復持去,更以惡草具進楚使。楚使歸,具以報項王。項王果大疑亞父。亞父欲急攻下滎陽城,項王不信,不肯聽。亞父聞項王疑之,乃怒曰:「天下事大定矣,君王自爲之!願請骸骨歸!」歸未至彭城,疽發背而死。陳平乃夜出女子二千人滎陽城東門,楚因擊之,陳平乃與漢王從城西門夜出去。遂入關,收散兵復東。其明年,淮陰侯破齊,自立爲齊王,使使言之漢王。
新字:今大王慢而少礼,士廉節者不来;然大王能饒人以爵邑,士之頑鈍嗜利無恥者亦多帰漢。誠各去其両短,襲其両長,天下指麾則定矣。然大王恣侮人,不能得廉節之士。顧楚有可乱者,彼項王骨鯁之臣亜父、鍾離眛、竜且、周殷之属,不過数人耳。大王誠能出捐数万斤金,行反間,間其君臣,以疑其心,項王為人意忌信讒,必内相誅。漢因舉兵而攻之,破楚必矣。」漢王以為然,乃出黄金四万斤,与陳平,恣所為,不問其出入。陳平既多以金縦反間於楚軍,宣言諸将鍾離眛等為項王将,功多矣,然而終不得裂地而王,欲与漢為一,以滅項氏而分王其地。項羽果意不信鍾離眛等。項王既疑之,使使至漢。漢王為太牢具,舉進。見楚使,即詳驚曰:「吾以為亜父使,乃項王使!」復持去,更以悪草具進楚使。楚使帰,具以報項王。項王果大疑亜父。亜父欲急攻下滎陽城,項王不信,不肯聴。亜父聞項王疑之,乃怒曰:「天下事大定矣,君王自為之!願請骸骨帰!」帰未至彭城,疽発背而死。陳平乃夜出女子二千人滎陽城東門,楚因撃之,陳平乃与漢王従城西門夜出去。遂入関,収散兵復東。其明年,淮陰侯破斉,自立為斉王,使使言之漢王。
書き下し
今大王は慢にして礼少なし、士の廉節なる者来たらず。然れども大王能く人に饒かにするに爵邑を以てす、士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者も亦た多く漢に帰す。誠に各々其の両短を去り、其の両長を襲はば、天下指麾すれば則ち定まらん。然れども大王恣に人を侮る、廉節の士を得る能はず。顧ふに楚に乱すべき者有り、彼の項王の骨鯁の臣亜父・鍾離眛・龍且・周殷の属、数人に過ぎざるのみ。大王誠に能く数万斤の金を出捐し、反間を行ひ、其の君臣を間し、以て其の心を疑はしめば、項王の人と為り意忌にして讒を信ず、必ず内に相誅せん。漢因りて兵を挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王以て然りと為し、乃ち黄金四万斤を出だして、陳平に与へ、為す所を恣にせしめ、其の出入を問はず。陳平既に多く金を以て反間を楚軍に縦ち、宣言すらく諸将鍾離眛等項王の将と為り、功多し、然り而して終に地を裂きて王たるを得ず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼして其の地を分かちて王たらんと欲すと。項羽果たして意に鍾離眛等を信ぜず。項王既に之を疑ひ、使をして漢に至らしむ。漢王太牢の具を為り、挙げて進む。楚の使を見るや、即ち詳り驚きて曰く、「吾以為へらく亜父の使ならんと、乃ち項王の使なり」と。復た持ち去り、更に悪草の具を以て楚の使に進む。楚の使帰り、具に以て項王に報ず。項王果たして大いに亜父を疑ふ。亜父急に滎陽城を攻め下さんと欲す、項王信ぜず、肯へて聴かず。亜父項王の之を疑ふを聞き、乃ち怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を請ひて帰らん」と。帰りて未だ彭城に至らずして、疽背に発して死す。陳平乃ち夜女子二千人を滎陽城の東門より出だす、楚因りて之を撃つ、陳平乃ち漢王と城の西門より夜出でて去る。遂に関に入り、散兵を収めて復た東す。其の明年、淮陰侯斉を破り、自ら立ちて斉王と為り、使をして之を漢王に言はしむ。
現代語訳
いま大王は傲慢で礼儀に欠けるので、清廉で節操のある士はやって来ない。しかし大王は爵位や領地を気前よく人に与えるので、頑固で鈍く、利をむさぼり恥を知らない士もまた多く漢に集まる。もし双方の短所をそれぞれ捨て、双方の長所を取り入れれば、天下は指図ひとつで定まるだろう。しかし大王は勝手気ままに人を侮るので、清廉で節操のある士を得ることはできない。思うに、楚には乱すことのできる所がある。項王の骨のある忠臣は、亜父(范増)・鍾離眛(しょうりばつ)・龍且・周殷らの数人にすぎない。大王がもし数万斤の金を惜しまず投じて反間(敵の内部を離間させる工作)を行い、その君臣の仲を裂いて互いに疑わせれば、項王は疑い深く讒言を信じやすい人柄だから、必ず内部で殺し合うだろう。漢がそれに乗じて兵を挙げて攻めれば、楚を破ることは間違いない」。漢王はもっともだと思い、黄金四万斤を出して陳平に与え、好きなように使わせて、その使い道を問わなかった。陳平は多くの金を使って楚の軍中に反間を放ち、こう言いふらさせた。鍾離眛ら諸将は項王の将として手柄が多いのに、ついに土地を分け与えられて王となることができない。そこで漢と手を結び、項氏を滅ぼしてその地を分けて王になろうとしている、と。項羽ははたして内心鍾離眛らを信じなくなった。項王は彼らを疑うと、使者を漢に遣わした。漢王は太牢(牛・羊・豚そろった最高のもてなし)の料理を用意させ、運ばせて出そうとした。楚の使者を見るや、驚いたふりをして言った。「亜父の使者だと思ったら、項王の使者であったか」。そして料理を下げさせ、改めて粗末な料理を楚の使者に出した。楚の使者は帰って、詳しく項王に報告した。項王ははたして亜父を大いに疑った。亜父は急いで滎陽城を攻め落とそうとしたが、項王は亜父を信じず、聞き入れようとしなかった。亜父は項王が自分を疑っていると聞くと、怒って言った。「天下の大勢はもう決まった。君王はご自分でおやりになるがよい。どうかお暇をいただいて故郷に帰りたい」。帰る途中、まだ彭城に着かないうちに、背中に悪性の腫れ物ができて死んだ。陳平はそこで夜、女子二千人を滎陽城の東門から出した。楚がそれを攻撃している間に、陳平は漢王とともに城の西門から夜に脱出して逃げ去った。そのまま関中に入り、散った兵を集めて再び東へ向かった。その翌年、淮陰侯(韓信)は斉を破ると、自ら立って斉王となろうとし、使者を送ってそのことを漢王に伝えた。
解説
関連する章句
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『長短経』覇図漢、遂に楚と滎陽に相い距る。楚、漢王を囲む。陳平の計を用い、間もなく出づるを得たり。〈漢王、急に陳平に問う「策、安くに出でん」と。陳平曰く「彼の項王の骨鯁の臣、亜父・鍾離末の属は、数人に過ぎず。大王、能く数万金を出捐し、反間を行い、其の君臣を間て、以て其の心を疑わしめば、項王の人と為り、意忌にして讒を信ず。必ず内に相い誅せん。漢、因りて挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王乃ち四万斤の金を以て平に与え、其の為す所を恣にし、出入を問わず。平、既に多く金を以て反間を楚軍に縦つ。宣言すらく、諸将の鍾離末等は項王の将と為りて功多し、然れども終に地を裂きて封ぜらるる能わず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼし、其の地を分かちて王たらんと欲す、と。項王果たして疑う。
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史記 項羽本紀項王之を聴かんと欲す。范増曰く、「漢は与し易きのみ、今釈てて取らずんば、後必ず之を悔いん」と。項王乃ち范増と急に滎陽を囲む。漢王之を患へ、乃ち陳平の計を用ゐて項王を閒つ。項王の使者来たる、太牢の具を為し、挙げて之を進めんと欲す。使者を見て、詳りて驚愕して曰く、「吾以て亜父の使者と為すに、乃ち反りて項王の使者なり」と。更めて持ち去り、悪食を以て項王の使者に食らはす。使者帰りて項王に報ず、項王乃ち范増の漢と私する有るを疑ひ、稍く之が権を奪ふ。范増大いに怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を賜ひて卒伍に帰らん」と。項王之を許す。行きて未だ彭城に至らざるに、疽背に発して死す。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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史記 陳丞相世家臣聞く、平家に居りし時、其の嫂を盗む。魏に事へて容れられず、亡げて楚に帰す。楚に帰して中らず、又亡げて漢に帰す。今日大王官を尊くして、護軍せしむ。臣聞く、平諸将の金を受け、金多き者は善き処を得、金少なき者は悪しき処を得と。平は、反覆の乱臣なり、願はくは王之を察せよ」と。漢王之を疑ひ、魏無知を召して譲む。無知曰く、「臣の言ふ所の者は、能なり。陛下の問ふ所の者は、行なり。今尾生・孝己の行ひ有りて勝負の数に益無きは、陛下何の暇ありて之を用ひんや。楚漢相距ぐ、臣奇謀の士を進む、顧だ其の計誠に以て国家を利するに足るや不やのみ。且つ嫂を盗み金を受くるも又何ぞ疑ふに足らんや」と。漢王平を召して譲めて曰く、「先生魏に事へて中らず、遂に楚に事へて去る、今又吾に従ひて遊ぶ、信なる者は固より多心なるか」と。平曰く、「臣魏王に事ふ、魏王臣の説を用ふる能はず、故に去りて項王に事ふ。項王は人を信ずる能はず、其の任愛する所は、諸項に非ずんば即ち妻の昆弟なり、奇士有りと雖も用ふる能はず、平乃ち楚を去る。漢王の能く人を用ふるを聞く、故に大王に帰す。臣躶身にして来たる、金を受けずんば以て資と為す無し。誠に臣の計画に采るべき者有らば、顧だ大王之を用ひよ。用ふべき者無からしめば、金具に在り、請ふ封じて官に輸し、骸骨を請ふを得ん」と。漢王乃ち謝し、厚く賜ひ、拝して護軍中尉と為し、尽く諸将を護らしむ。諸将乃ち敢へて復た言はず。其の後、楚急に攻め、漢の甬道を絶ち、漢王を滎陽城に囲む。之を久しくして、漢王之を患ひ、滎陽以西を割きて以て和せんことを請ふ。項王聴かず。漢王陳平に謂ひて曰く、「天下紛紛たり、何れの時か定まらん」と。陳平曰く、「項王の人と為り、恭敬にして人を愛す、士の廉節にして礼を好む者多く之に帰す。行功爵邑に至りては、之を重んず、士も亦た此を以て附かず。
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『長短経』覇図使いをして漢に至らしむ。漢、大牢の具を為り、挙げ進めて楚の使いに見え、即ち佯り驚きて曰く「吾、以て亜父の使いと為す。乃ち項王の使いなり」と。復た持ち去り、悪具を以て楚の使いに進む。使い帰りて、具に項王に報ず。項王、大いに亜父を疑う。亜父、争いて漢王を撃たんと欲するも、項王、亜父を信ぜず。亜父、項王の疑うを聞き、乃ち曰く「天下の事、大いに定まれり。君王、自ら之を為せ。願わくは骸骨を賜らん」と。項王、之に従う。〉関に入りて兵を収め、復た東せんと欲す。轅生、漢王に説く「軍を宛・葉に出し、項王を引きて南のかた渡らしめ、韓信等をして河北に集むるを得しめよ」と。羽、果たして兵を引きて南のかた渡ること、其の策の如し。
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史記 高祖本紀敗れて後乃ち独り孝恵を得たり、六月、立てて太子と為し、大いに罪人を赦す。太子をして櫟陽を守らしめ、諸侯の子の関中に在る者皆櫟陽に集まりて衛と為る。水を引きて廃丘に灌ぐ、廃丘降り、章邯自殺す。廃丘を更名して槐里と為す。是に於て祠官をして天地四方上帝山川を祀らしめ、時を以て之を祀る。関内の卒を興して塞に乗らしむ。是の時九江王布龍且と戦ひ、勝たず、随何と間行して漢に帰す。漢王稍々士卒を収め、諸将及び関中の卒と益々出づ、是を以て兵大いに滎陽に振るひ、楚を京・索の間に破る。三年、魏王豹謁して帰りて親の疾を視んとす、至れば即ち河津を絶ち、反きて楚と為る。漢王酈生をして豹に説かしむ、豹聴かず。漢王将軍韓信を遣はして撃たしめ、大いに之を破り、豹を虜にす。遂に魏の地を定め、三郡を置く、河東・太原・上党と曰ふ。漢王乃ち張耳と韓信とをして遂に東のかた井陘を下りて趙を撃たしめ、陳余・趙王歇を斬る。其の明年、張耳を立てて趙王と為す。漢王滎陽の南に軍し、甬道を築きて之を河に属し、以て敖倉を取る。項羽と相距ぐこと歳余。項羽数(しばしば)漢の甬道を侵奪す、漢の軍食に乏し、遂に漢王を囲む。漢王和を請ひ、滎陽以西を割く者を漢と為さんとす。項王聴かず。漢王之を患ひ、乃ち陳平の計を用ゐ、陳平に金四万斤を予へ、以て楚の君臣を間疏せしむ。是に於て項羽乃ち亜父を疑ふ。亜父是の時項羽に遂に滎陽を下さんことを勧む、其の疑はるるに及び、乃ち怒り、老を辞し、骸骨を賜ひて卒伍に帰らんことを願ふ、未だ彭城に至らずして死す。漢の軍食を絶つ、乃ち夜女子を東門より出だすこと二千余人、甲を被らしむ、楚因りて四面より之を撃つ。将軍紀信乃ち王の駕に乗り、詐りて漢王と為り、楚を誑す、楚皆万歳を呼び、城東に之きて観る、故を以て漢王数十騎と西門より出でて遁るるを得たり。
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