智囊 / 詭道・韋孝寬・岳飛・種世衡
元昊有腹心將,號野利王、天都王者,各統精兵,最為毒害。種世衡謀欲去之。野利嘗令浪裡、賞乞、媚娘三人詣世衡乞降,世衡知其詐,曰:「與其殺之,不若因以為間。」留使臨稅出入,騎從甚寵。有紫山寺僧法崧,世衡察其堅樸可用延致門下,誘令冠帶。因出師,以獲賊功白於帥府,表授三班階職,充指揮使。又為力辦其家事,凡居事騎從之具,無不備。崧酗酒狎博,無所不為。世衡待之愈厚,崧既感恩,一日世衡忽怒謂崧曰:「我待汝如子,而陰與賊連,何相負也?」械係數十日,極其楚毒,崧終不怨,曰:「崧,丈夫也,公聽奸人言,欲見殺,有死耳。」居半年,世衡察其不負,為解縛沐浴,延入臥內,厚撫謝之,曰:「汝無過,聊相試耳。欲使為間,其苦有甚於此者,汝能為我卒不言否?」
新字:元昊有腹心将,号野利王、天都王者,各統精兵,最為毒害。種世衡謀欲去之。野利嘗令浪裡、賞乞、媚娘三人詣世衡乞降,世衡知其詐,曰:「与其殺之,不若因以為間。」留使臨税出入,騎従甚寵。有紫山寺僧法崧,世衡察其堅樸可用延致門下,誘令冠帯。因出師,以獲賊功白於帥府,表授三班階職,充指揮使。又為力辦其家事,凡居事騎従之具,無不備。崧酗酒狎博,無所不為。世衡待之愈厚,崧既感恩,一日世衡忽怒謂崧曰:「我待汝如子,而陰与賊連,何相負也?」械係数十日,極其楚毒,崧終不怨,曰:「崧,丈夫也,公聴奸人言,欲見殺,有死耳。」居半年,世衡察其不負,為解縛沐浴,延入臥内,厚撫謝之,曰:「汝無過,聊相試耳。欲使為間,其苦有甚於此者,汝能為我卒不言否?」
書き下し
元昊に腹心の将有り、野利王・天都王と号する者、各々精兵を統べ、最も毒害を為す。種世衡、これを去らんと謀る。野利、嘗て浪裡・賞乞・媚娘の三人をして世衡に詣りて降を乞わしむ。世衡其の詐を知り、曰く、「これを殺さんよりは、因りて以て間と為すに若かず」と。留めて臨稅に出入せしめ、騎従甚だ寵す。紫山寺の僧法崧なる者有り。世衡、其の堅樸にして用うべきを察し、延きて門下に致し、誘いて冠帯せしむ。因りて出師し、賊を獲たる功を以て帥府に白し、表して三班の階職を授け、指揮使に充てしむ。又為に力めて其の家事を弁じ、凡そ居事騎従の具、備えざる無し。崧は酗酒狎博し、為さざる所無し。世衡待つこと愈々厚し。崧既に恩に感ず。一日、世衡忽ち怒り、崧に謂いて曰く、「我、汝を待つこと子の如し。而るに陰かに賊と連なる。何ぞ相負くや」と。械して係ぐこと数十日、極めて其の楚毒を加う。崧終に怨みず、曰く、「崧は丈夫なり。公、奸人の言を聴きて見殺さんと欲す。死有るのみ」と。居ること半年、世衡其の負かざるを察し、為に縛を解き沐浴せしめ、延きて臥内に入れ、厚く撫して謝して曰く、「汝に過ち無し。聊か相試みしのみ。為して間たらしめんと欲す。其の苦しみ此れより甚だしき者有り。汝、能く我が為に卒に言わざるや」と。
現代語訳
元昊には腹心の将がおり、野利王・天都王と呼ばれ、それぞれ精鋭の兵を率い、最も害をなしていた。種世衡はこれを取り除こうと謀った。野利はかつて浪裡・賞乞・媚娘の三人に種世衡のもとへ行って降伏を願わせた。種世衡はそれが偽りと知り、「殺すよりは、間者として利用する方がよい」と言った。そこで留めて臨稅に出入りさせ、騎馬の従者も付けてたいそう厚遇した。紫山寺の僧、法崧という者がいた。種世衡はその堅実で素朴な人柄が使えると見て、門下に招き、誘って冠と帯を着けさせて俗人にした。出兵の機会に、賊を捕らえた功を帥府に申し上げ、三班の官位を授けるよう上表し、指揮使に任じさせた。また彼のために努めて家のことを整え、住まいや騎乗の従者に至るまで、備えないものはなかった。法崧は酒に溺れ博打にふけり、しないことがないほどだった。種世衡の待遇はいよいよ厚くなった。法崧はすっかり恩に感じていた。ある日、種世衡は突然怒り、法崧に向かって「私はおまえを子のように遇してきた。それなのにひそかに賊と通じている。なぜ私に背くのか」と言った。枷をはめて繋ぐこと数十日、ひどい苦痛を与えた。法崧は最後まで恨まず、「私は男です。あなたは奸人の言を聞いて私を殺そうとしている。死ぬだけです」と言った。半年が過ぎ、種世衡は彼が背いていないことを確かめ、縄を解き沐浴させ、寝室に招き入れて厚く慰め謝罪し、「おまえに過ちはない。少し試しただけだ。おまえを間者にしたい。その苦しみはこれよりもっと大きい。おまえは私のために最後まで口を割らずにいられるか」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 陳丞相世家今大王は慢にして礼少なし、士の廉節なる者来たらず。然れども大王能く人に饒かにするに爵邑を以てす、士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者も亦た多く漢に帰す。誠に各々其の両短を去り、其の両長を襲はば、天下指麾すれば則ち定まらん。然れども大王恣に人を侮る、廉節の士を得る能はず。顧ふに楚に乱すべき者有り、彼の項王の骨鯁の臣亜父・鍾離眛・龍且・周殷の属、数人に過ぎざるのみ。大王誠に能く数万斤の金を出捐し、反間を行ひ、其の君臣を間し、以て其の心を疑はしめば、項王の人と為り意忌にして讒を信ず、必ず内に相誅せん。漢因りて兵を挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王以て然りと為し、乃ち黄金四万斤を出だして、陳平に与へ、為す所を恣にせしめ、其の出入を問はず。陳平既に多く金を以て反間を楚軍に縦ち、宣言すらく諸将鍾離眛等項王の将と為り、功多し、然り而して終に地を裂きて王たるを得ず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼして其の地を分かちて王たらんと欲すと。項羽果たして意に鍾離眛等を信ぜず。項王既に之を疑ひ、使をして漢に至らしむ。漢王太牢の具を為り、挙げて進む。楚の使を見るや、即ち詳り驚きて曰く、「吾以為へらく亜父の使ならんと、乃ち項王の使なり」と。復た持ち去り、更に悪草の具を以て楚の使に進む。楚の使帰り、具に以て項王に報ず。項王果たして大いに亜父を疑ふ。亜父急に滎陽城を攻め下さんと欲す、項王信ぜず、肯へて聴かず。亜父項王の之を疑ふを聞き、乃ち怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を請ひて帰らん」と。帰りて未だ彭城に至らずして、疽背に発して死す。陳平乃ち夜女子二千人を滎陽城の東門より出だす、楚因りて之を撃つ、陳平乃ち漢王と城の西門より夜出でて去る。遂に関に入り、散兵を収めて復た東す。其の明年、淮陰侯斉を破り、自ら立ちて斉王と為り、使をして之を漢王に言はしむ。
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『智囊』制勝・趙奢秦は韓を伐ち、閼与に軍す。趙王は廉頗に問う、「韓は救うべきか。」と。対えて曰く、「道は遠く険しく狭し、救い難し。」と。また楽乗に問うに、頗の言の如し。趙奢に問うに及び、奢は対えて曰く、「道は遠く険しく狭し。これを譬うれば、両鼠が穴中に闘うが如し、将の勇なる者が勝つ。」と。乃ち奢を遣わして将として往かしむ。邯鄲を去ること三十里にして、軍中に令して曰く、「軍事を以て諫むる者あらば、死。」と。秦軍は武安の西に軍し、鼓噪して兵を勒し、屋瓦皆振う。軍中の候に一人あり、武安を急ぎ救わんことを言う。奢は立ちどころにこれを斬り、壁を堅くして留まること二十八日、行かず、復た塁を増す。秦の間来たりて入る。奢は善く食わせて遣る。間は以て秦将に報ず。秦将は大いに喜びて曰く、「夫れ国を去ること三十里にして軍は行かず、乃ち塁を増す。閼与は趙の地に非ざるなり。」と。奢は既に秦の間を遣るや、乃ち甲を巻いてこれに趣き、一日一夜にして至る。善く射る者をして閼与を去ること五十里にして軍せしむ。軍壘成りて、秦人はこれを聞き、甲を悉くして至る。軍士の許歴は軍事を以て諫めんことを請う。奢曰く、「内れよ。」と。許歴曰く、「秦人は趙の師の至るを意わず。この来るは気盛んなり。将軍は必ず厚くその陣を集めて以て待て。然らずんば必ず敗れん。」と。奢は許諾す。許歴は誅に就かんことを請う。奢曰く、「後の令を胥て。」と。戦わんとするに至り、歴は復た諫めんことを請いて曰く、「先に北山の上に据る者は勝ち、後に至る者は敗る。」と。奢は許諾し、即ち万人を発してこれに趣かしむ。秦兵は後れて至り、山を争うも上るを得ず。奢は兵を縦ちてこれを撃ち、大いに秦軍を破り、遂に閼与の囲みを解く。〔評〕孫子曰く、「反間は、敵の間に因りて之を用う。」と。又曰く、「我得るも亦利あり、彼得るも亦利あるは、争地と為す。」と。閼与の捷は是なり。許歴は智士なるに、復た戦功を以て顕るるを聞かず、何ぞや。漢の広武君においてもまた然り。
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孫子・用間篇是に因りて之を知る、故に郷間・内間得て使う可きなり。是に因りて之を知る、故に死間は誑事を為して、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る、故に生間は期の如くならしむ可し。
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『智囊』詭道・田單燕の昭王卒し、惠王立ち、樂毅と隙有り。田單、之を聞き、乃ち反間を燕に縱ち、宣言して曰く、「齊王已に死し、城の拔けざる者は二のみ。樂毅は誅を畏れて敢えて歸らず、齊を伐つを名と為し、實は兵を連ねて南面して齊に王たらんと欲す。齊人未だ附かず、故に且く即墨を攻むること緩くし、以て其の事を待つ。齊人の懼るる所は、唯だ他將の來たらんことを恐る。即墨は殘われん」と。燕王、以て然りと為し、騎劫をして毅に代わらしむ。毅、趙に歸り、燕軍共に忿る。而して田單、乃ち城中に令し、食する必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く翔舞して下り食し、燕人、之を怪しむ。田單、因りて宣言して曰く、「神來たりて下って我に教う」と。乃ち城中に令して曰く、「當に神人有りて我が師と為るべし」と。一卒有りて曰く、「臣、以て師と為るべきか」と。因りて反走す。田單、乃ち起ち、引き還し、東向して坐せしめ、之を師事す。卒曰く、「臣は君を欺く。實は能無きなり」と。單曰く、「子、言う勿れ」と。因りて之を師とし、每に出でて約束するに、必ず神師と稱す。乃ち宣言して曰く、「君唯だ燕軍の得る所の齊卒を劓し、之を前行に置きて我と戰わしめんことを懼る。即墨、敗れん」と。燕人、之を聞き、其の言の如くす。城中の人、齊の諸降者の悉く劓せらるるを見て、皆な堅守し、唯だ得らるるを恐る。單、又宣言す、「君は燕人の吾が城外の塚墓を掘り、先人を戮し、寒心すべきを懼る」と。燕軍、盡く壟墓を掘り、死人を燒く。即墨の人、城上より望見し、皆な涕泣し、俱に出でて戰わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
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孫子・用間篇反間とは、其の敵間に因りて之を用うるなり。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒又世ノ変事ノ変ニテ国ノ乱レタルトキ。撥乱ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。斉ノ田単カ恵王ニ楽毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ堕ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。禄利名称ヲ貪ル者ガ。其近キ処ニ託シテ。讒ヲ構ヘ偽ヲ売ル。乱世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ触テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。强国モ直ニ弱国トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治国モ亡国トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ尽シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。
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