智囊 / 詭道・賀若弼
賀若弼謀攻京口,先以老馬多買陳船而匿之,買弊船五、六十艘,置於瀆內。陳人覘之,以為中國無船。又令緣江防人交代之際,必集廣陵,大列旗幟,營幕被野。陳人以為隋兵大至,急發兵為備。既而知之,不復戒嚴。又緣江時獵,人馬喧噪;及是濟江,陳人遂不知覺。〔按〕賀若弼攻京口。任忠言於陳主曰:「兵法,『客貴速戰,主貴持重。』今國家足食足兵,宜固守台城,緣淮立柵;北軍雖來,勿與交戰;分兵斷江,勿令彼信得通;給臣精兵一萬,金翅三百艘,下江徑掩六合;彼大軍必謂其渡江將士已被俘獲,自然挫氣;淮南之人,與臣舊相知悉;今聞臣往,必皆景從。臣復揚聲欲往徐州,斷彼歸路,則諸軍不擊自去。此良策也!」陳主不從,以至於亡。
新字:賀若弼謀攻京口,先以老馬多買陳船而匿之,買弊船五、六十艘,置於瀆内。陳人覘之,以為中国無船。又令縁江防人交代之際,必集広陵,大列旗幟,営幕被野。陳人以為隋兵大至,急発兵為備。既而知之,不復戒厳。又縁江時猟,人馬喧噪;及是済江,陳人遂不知覚。〔按〕賀若弼攻京口。任忠言於陳主曰:「兵法,『客貴速戦,主貴持重。』今国家足食足兵,宜固守台城,縁淮立柵;北軍雖来,勿与交戦;分兵断江,勿令彼信得通;給臣精兵一万,金翅三百艘,下江径掩六合;彼大軍必謂其渡江将士已被俘獲,自然挫気;淮南之人,与臣旧相知悉;今聞臣往,必皆景従。臣復揚声欲往徐州,断彼帰路,則諸軍不撃自去。此良策也!」陳主不従,以至於亡。
書き下し
賀若弼、京口を攻めんことを謀り、先ず老馬を以て多く陳の船を買いてこれを匿し、弊船五、六十艘を買いて、瀆内に置く。陳人これを覘い、中国に船無しと以う。又、緑江の防人の交代の際に、必ず広陵に集め、大いに旗幟を列ね、営幕野を被わしむ。陳人、隋兵大いに至ると以い、急ぎ兵を発して備えを為す。既にしてこれを知り、復た戒厳せず。又、緑江にて時に猟し、人馬喧噪す。是に及んで江を済るに、陳人遂に知覚せず。〔按〕賀若弼、京口を攻む。任忠、陳主に言いて曰く、「兵法に、『客は速戦を貴び、主は持重を貴ぶ』と。今、国家は食足り兵足る。宜しく台城を固守し、淮に縁りて柵を立つべし。北軍来たると雖も、与に交戦する勿かれ。兵を分かちて江を断ち、彼をして信を通ずるを得しむる勿かれ。臣に精兵一万、金翅三百艘を給わらば、江を下りて径ちに六合を掩わん。彼の大軍は必ず其の渡江の将士已に俘獲せらると謂い、自ら気挫けん。淮南の人は、臣と旧と相知悉す。今、臣の往くを聞かば、必ず皆景従せん。臣復た声を揚げて徐州に往き、彼の帰路を断たんと欲すと言わば、則ち諸軍は撃たずして自ら去らん。此れ良策なり」と。陳主従わず、以て亡ぶに至る。
現代語訳
賀若弼は京口を攻めようと考え、まず老いた馬で陳の船をたくさん買って隠し、古くて壊れた船を五、六十艘買って、水路の中に置いた。陳の人々はこれをうかがい、隋には船がないと考えた。また、長江沿いの守備兵の交代の時には、必ず広陵に集め、旗を大いに並べて、野を覆うほどの陣幕を張った。陳の人々は隋の大軍が来たと考え、急いで兵を出して備えた。しかしやがてそれが交代の行事だとわかり、二度と警戒しなくなった。また、長江沿いでたびたび狩りをして、人馬の音を騒がしくした。やがて実際に長江を渡った時には、陳の人々はついに気づかなかった。〔按〕賀若弼が京口を攻めた時のことである。任忠が陳主に「兵法に、『攻める側は速戦を尊び、守る側は慎重に構えることを尊ぶ』とあります。今、国は食料も兵も足りています。台城を固く守り、淮河に沿って柵を立てるべきです。北の軍が来ても、交戦してはいけません。兵を分けて長江を断ち、敵に連絡を通じさせないようにします。私に精鋭一万と、金翅の船三百艘を与えていただければ、長江を下ってまっすぐ六合を襲います。敵の大軍はきっと、渡江した将兵がすでに捕らえられたと考え、自ら士気を挫くでしょう。淮南の人々は、私とかねて知り合いです。今、私が行くと聞けば、必ず皆従うでしょう。さらに私が声を上げて、徐州に行き、敵の帰り道を断つつもりだと言えば、諸軍は撃たなくても自分から去るでしょう。これは良い策です」と言った。陳主は従わず、そのため滅亡に至った。
解説
この章句が説くこと
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