智囊 / 詭道・臧宮・周訪・獨孤永業
建武十一年,臧宮將兵至中盧,屯駱越。時公孫述將田戎、任滿與岑彭相拒於荊州。鼓戰數不利。越人謀叛從蜀。宮兵少,力不能制。會屬縣送委輸車數百乘至,宮夜使鋸斷城門限,令車聲回轉出入至旦。越人候伺者聞車聲不絕而門限斷,相告以漢兵大至,其渠帥乃奉牛酒勞軍,宮陳兵大會,擊牛釃酒,饗賜慰納之,越人由是遂安。周訪擊斬張彥於豫章,訪亦中流矢,折前兩齒,形色不變。及暮,訪與賊隔水,賊眾數倍,自知力不敵,乃密遣人如樵彩者而出,於是結陣鳴鼓而來,大呼曰:「左軍至。」士卒皆呼「萬歲!」至夜,令軍中多布火而食,賊謂官軍益至,未曉而退。訪謂諸將曰:「賊雖引退,然終知我無救軍,當還掩襲,宜促渡水北。」既渡,斷橋訖,而賊果至,隔水不得進。陳獨孤永業守金墉,周主攻之,不克。永業通夜辦馬槽二千,周人聞之,以為大軍且至,憚之,適周主有疾,遂引還。
新字:建武十一年,臧宮将兵至中盧,屯駱越。時公孫述将田戎、任満与岑彭相拒於荊州。鼓戦数不利。越人謀叛従蜀。宮兵少,力不能制。会属県送委輸車数百乗至,宮夜使鋸断城門限,令車声回転出入至旦。越人候伺者聞車声不絶而門限断,相告以漢兵大至,其渠帥乃奉牛酒労軍,宮陳兵大会,撃牛釃酒,饗賜慰納之,越人由是遂安。周訪撃斬張彦於予章,訪亦中流矢,折前両歯,形色不変。及暮,訪与賊隔水,賊衆数倍,自知力不敵,乃密遣人如樵彩者而出,於是結陣鳴鼓而来,大呼曰:「左軍至。」士卒皆呼「万歳!」至夜,令軍中多布火而食,賊謂官軍益至,未暁而退。訪謂諸将曰:「賊雖引退,然終知我無救軍,当還掩襲,宜促渡水北。」既渡,断橋訖,而賊果至,隔水不得進。陳独孤永業守金墉,周主攻之,不克。永業通夜辦馬槽二千,周人聞之,以為大軍且至,憚之,適周主有疾,遂引還。
書き下し
建武十一年、臧宮、兵を将いて中盧に至り、駱越に屯す。時に公孫述の将の田戎・任満、岑彭と荊州に相拒ぐ。鼓戦して数々利あらず。越人叛きて蜀に従わんと謀る。宮の兵少なく、力は制する能わず。会々属県の委輸車数百乗を送り至る。宮、夜に城門の限を鋸断せしめ、車声をして回転出入して旦に至らしむ。越人の候伺する者、車声の絶えず、門限の断たれたるを聞き、相告げて漢兵大いに至ると以う。其の渠帥乃ち牛酒を奉じて軍を労う。宮、兵を陳べて大会し、牛を擊ち酒を釃し、饗賜慰納す。越人これに由りて遂に安んず。周訪、張彦を豫章に撃ち斬る。訪も亦流矢に中り、前の両歯を折るも、形色変ぜず。暮に及び、訪、賊と水を隔て、賊の衆は数倍、自ら力の敵せざるを知り、乃ち密かに人を遣わして樵彩の者の如くして出でしめ、是に於いて陣を結び鼓を鳴らして来たり、大呼して曰く、「左軍至れり」と。士卒皆「万歳」と呼ぶ。夜に至り、軍中をして多く火を布き食せしむ。賊、官軍益々至ると謂い、未だ曉けずして退く。訪、諸将に謂いて曰く、「賊は引き退くと雖も、然れども終に我に救軍無きを知らん。当に還りて掩襲すべし。宜しく促して水を北へ渡るべし」と。既に渡り、橋を断ち訖わる。而して賊果たして至り、水を隔てて進むを得ず。陳の独孤永業、金墉を守る。周主これを攻め、克たず。永業、通夜に馬槽二千を弁ず。周人これを聞き、大軍且に至らんとすと以い、これを憚る。適々周主に疾有り、遂に引き還る。
現代語訳
建武十一年、臧宮は兵を率いて中盧に着き、駱越に駐屯した。その頃、公孫述の将の田戎と任満が、岑彭と荊州で対峙していた。太鼓を鳴らして戦ったが、たびたび不利だった。越の人々は反乱を起こして蜀に従おうとした。臧宮は兵が少なく、制圧する力がなかった。ちょうど属県が輸送車数百台を送ってきた。臧宮は夜に城門の敷居を鋸で切り落とさせ、車の音を行き来させて朝まで続けさせた。越人の偵察者は車の音が絶えず、門の敷居が切られているのを聞いて、仲間に告げ、漢の大軍が到着したと思った。その首領は牛と酒を捧げて軍をねぎらった。臧宮は兵を並べて大宴会を開き、牛を殺し酒を注ぎ、もてなして与え受け入れた。越人はこれでついに落ち着いた。周訪は張彦を豫章で斬った。周訪も流れ矢に当たり、前歯を二本折ったが、顔色は変わらなかった。日暮れになり、周訪は賊と水を隔てて向き合い、賊の人数は数倍で、自軍の力では敵わないと知っていた。そこでひそかに人を送り、木こりのふりをして出させ、それから陣を整え太鼓を鳴らして来て、大声で「左軍が到着したぞ」と叫ばせた。兵士は皆「万歳」と叫んだ。夜になって、軍中にたくさんの火を灯して食事をさせた。賊は官軍がますます到着したと思い、夜明け前に退いた。周訪は諸将に「賊は退いたが、結局はわれらに援軍がないと知るだろう。必ず戻って襲ってくる。急いで川を北へ渡るべきだ」と言った。渡り終えて橋を壊すと、賊は果たして来たが、水を隔てて進めなかった。陳の独孤永業は金墉を守っていた。周の君主が攻めたが、落とせなかった。永業は一晩中かかって二千の馬の飼い葉桶を用意した。周の人々はこれを聞いて、大軍がまもなく来ると考えて恐れた。ちょうど周の君主が病気になり、ついに引き上げた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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