智囊 / 詭道・康茂才
馮勝、常遇春率三萬人,伏於石灰山側,徐達等軍於南門外,楊璟駐兵大勝港,張德勝、朱虎率舟師出龍江關外,上總大軍於盧龍山,令持幟者偃黃幟於山之右,偃赤幟於山之左,戒曰:「寇至則舉赤幟,聞鼓聲則舉黃幟,伏兵皆起。」是日,友諒果引舟師東下,至大勝港,水路狹,遇楊璟兵,即退出大江,徑以舟衝江東橋,見橋皆鐵石,乃驚疑,連呼「老康」。莫應,始覺其詐,即分舟師千餘向龍江,先遣萬人登岸立柵,勢甚銳。時酷暑,上度天必雨,令諸軍且就食,時天無雲,忽風起西北,雨大至,赤幟舉,諸軍競前拔柵,友諒麾軍來爭,戰方合,適雨止,命發鼓,鼓聲震,黃幟舉,伏發,徐達兵亦至,舟師並集,內外合擊,友諒軍大敗,乘勝逐之,遂復太平。
新字:馮勝、常遇春率三万人,伏於石灰山側,徐達等軍於南門外,楊璟駐兵大勝港,張徳勝、朱虎率舟師出竜江関外,上総大軍於盧竜山,令持幟者偃黄幟於山之右,偃赤幟於山之左,戒曰:「寇至則舉赤幟,聞鼓声則舉黄幟,伏兵皆起。」是日,友諒果引舟師東下,至大勝港,水路狭,遇楊璟兵,即退出大江,径以舟衝江東橋,見橋皆鉄石,乃驚疑,連呼「老康」。莫応,始覚其詐,即分舟師千余向竜江,先遣万人登岸立柵,勢甚鋭。時酷暑,上度天必雨,令諸軍且就食,時天無雲,忽風起西北,雨大至,赤幟舉,諸軍競前抜柵,友諒麾軍来争,戦方合,適雨止,命発鼓,鼓声震,黄幟舉,伏発,徐達兵亦至,舟師並集,内外合撃,友諒軍大敗,乗勝逐之,遂復太平。
書き下し
馮勝・常遇春は三万人を率い、石灰山の側に伏す。徐達らは南門の外に軍し、楊璟は大勝港に兵を駐め、張徳勝・朱虎は舟師を率いて竜江関の外に出で、上は大軍を盧竜山に総べ、幟を持つ者をして黄幟を山の右に偃し、赤幟を山の左に偃せしめ、戒めて曰く、「寇至れば則ち赤幟を挙げ、鼓声を聞けば則ち黄幟を挙げよ。伏兵皆起たん」と。是の日、友諒果たして舟師を引きて東に下り、大勝港に至る。水路狭く、楊璟の兵に遇い、即ち退きて大江に出で、径ちに舟を以て江東橋を衝く。橋の皆鉄石なるを見て、乃ち驚き疑い、連呼して「老康」と。応ずる莫し。始めて其の詐を覚り、即ち舟師千余を分かちて竜江に向かわしめ、先ず万人を遣わして岸に登り柵を立てしむ。勢い甚だ鋭し。時に酷暑なり。上、天必ず雨ふると度り、諸軍をして且く就きて食せしむ。時に天に雲無く、忽ち風西北に起こり、雨大いに至る。赤幟挙がり、諸軍競い前みて柵を抜く。友諒軍を麾いて来たり争い、戦い方に合うに、適々雨止む。命じて鼓を発せしむ。鼓声震い、黄幟挙がり、伏兵発す。徐達の兵も亦至り、舟師並び集まり、内外合撃す。友諒の軍大敗し、勝ちに乗じてこれを逐い、遂に太平を復す。
現代語訳
馮勝と常遇春は三万人を率いて石灰山のふもとに伏せた。徐達らは南門の外に陣を置き、楊璟は大勝港に兵を置き、張徳勝と朱虎は水軍を率いて竜江関の外に出た。上は大軍を盧竜山にまとめ、旗持ちに黄色い旗を山の右に、赤い旗を山の左に伏せさせ、「敵が来たら赤い旗を挙げ、太鼓の音を聞いたら黄色い旗を挙げよ。伏兵は皆起て」と戒めた。この日、陳友諒は果たして水軍を率いて東へ下り、大勝港に着いた。水路が狭く、楊璟の兵に出会ったので、すぐ退いて長江に出て、まっすぐ舟で江東橋に突っ込んだ。橋が皆鉄と石になっているのを見て驚き疑い、「老康」と何度も呼んだが、応じる者はいない。そこでようやく偽りと悟り、すぐに水軍千余りを竜江に向かわせ、まず万人を上陸させて柵を立てさせた。その勢いは非常に鋭かった。この時は酷暑だった。上は天がきっと雨を降らせると見て、諸軍にしばらく食事をとらせた。その時空に雲はなかったが、突然西北から風が起こり、大雨が降ってきた。赤い旗が挙がり、諸軍は競って進み柵を引き抜いた。陳友諒は軍を指揮して争いに来て、戦いが始まったところで、ちょうど雨が止んだ。命じて太鼓を鳴らさせた。太鼓の音がとどろき、黄色い旗が挙がり、伏兵が起った。徐達の兵も到着し、水軍も集まり、内と外から攻め合わせ、陳友諒の軍は大敗した。勝ちに乗じて追撃し、ついに太平を取り戻した。
解説
この章句が説くこと
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