智囊 / 制勝・劉江
建文三年七月,平安自真定率兵攻北平,營於平村,離城五十里,擾其耕牧。世子督眾固守。上聞北平被圍,召劉江問策。江慷慨請行,遂與上約曰:「臣至北平,以炮響為號,一次炮響,則決圍;二次則進城。若不聞第三次炮響,則臣戰死矣。臣若得入城,守城者聞救至,勇氣自倍,宜令軍士人帶十炮,俟三次炮響後,為殿者放炮常不絕聲,則遠近皆謂大軍繼至,平安必駭散矣。」江遂進兵,與安戰,悉如其策,大敗之。永樂十七年,江為左都督,鎮守遼東,巡視諸島,相度地形,以金州衛金線島西北之望海堝,地高可望,諸島寇所必由,實濱海襟喉之地,請築城堡,立煙燉了望。一日,了者言「東南夜舉火有光」,江計寇將至,亟遣馬步官軍赴堝上小堡備之,令犒師秣馬,略不為意;以都指揮徐剛伏兵於山下,百戶姜隆帥壯士潛燒賊船,截其歸路,乃與之約曰:「旗舉炮鳴,伏兵奮擊。不用命者,斬!」
新字:建文三年七月,平安自真定率兵攻北平,営於平村,離城五十里,擾其耕牧。世子督衆固守。上聞北平被囲,召劉江問策。江慷慨請行,遂与上約曰:「臣至北平,以炮響為号,一次炮響,則決囲;二次則進城。若不聞第三次炮響,則臣戦死矣。臣若得入城,守城者聞救至,勇気自倍,宜令軍士人帯十炮,俟三次炮響後,為殿者放炮常不絶声,則遠近皆謂大軍継至,平安必駭散矣。」江遂進兵,与安戦,悉如其策,大敗之。永楽十七年,江為左都督,鎮守遼東,巡視諸島,相度地形,以金州衛金線島西北之望海堝,地高可望,諸島寇所必由,実浜海襟喉之地,請築城堡,立煙燉了望。一日,了者言「東南夜舉火有光」,江計寇将至,亟遣馬歩官軍赴堝上小堡備之,令犒師秣馬,略不為意;以都指揮徐剛伏兵於山下,百戸姜隆帥壮士潜焼賊船,截其帰路,乃与之約曰:「旗舉炮鳴,伏兵奮撃。不用命者,斬!」
書き下し
建文三年七月、平安、真定より兵を率いて北平を攻め、平村に營す。城を離るること五十里、其の耕牧を擾す。世子、眾を督して固く守る。上、北平の圍まるるを聞き、劉江を召して策を問う。江、慷慨して行かんことを請い、遂に上と約して曰く、「臣、北平に至らば、炮響を以て號と為さん。一次の炮響は則ち圍みを決し、二次なれば則ち城に進む。若し第三次の炮響を聞かざれば、則ち臣は戰死せるなり。臣若し城に入るを得ば、城を守る者、救いの至るを聞きて、勇氣自ずから倍せん。宜しく軍士をして人ごとに十炮を帶びしめ、三次の炮響を俟ちて後、殿を為す者をして炮を放つこと常に聲を絕たざらしめば、則ち遠近皆な大軍の繼いで至ると謂い、平安必ず駭き散ぜん」と。江、遂に兵を進め、安と戰うこと、悉く其の策の如く、大いに之を敗る。永樂十七年、江、左都督と為り、遼東を鎮守し、諸島を巡視して、地形を相度す。金州衛の金線島の西北、望海堝は、地高くして望むべく、諸島の寇の必ず由る所、實に濱海襟喉の地なるを以て、城堡を築き、煙燉を立てて了望せんことを請う。一日、了者言う、「東南に夜、火を舉げて光あり」と。江、寇の將に至らんとするを計り、亟かに馬歩の官軍を遣わして堝上の小堡に赴き之に備えしむ。師を犒い馬に秣うこと、略々意に為さざるが如し。都指揮徐剛をして兵を山下に伏せしめ、百戶姜隆に壯士を帥いて潛かに賊船を燒き、其の歸路を截たしむ。乃ち之と約して曰く、「旗舉がり炮鳴らば、伏兵奮撃せよ。命を用いざる者は斬る」と。
現代語訳
建文三年七月、平安が真定から兵を率いて北平を攻め、平村に陣を敷きました。北平城から五十里離れた所で、農耕や牧畜を妨げました。世子は兵を督励して固く守りました。燕王は北平が包囲されたと聞き、劉江を呼んで策を尋ねました。劉江は意気込んで自分が行くと願い出て、燕王とこう約束しました。「私が北平に着いたら、砲声を合図にします。一度目の砲声は包囲を破ったこと、二度目は城に入ったことを示します。もし三度目の砲声が聞こえなければ、私は戦死したということです。私が城に入れれば、守る者たちは救援が来たと知って勇気が倍になるでしょう。兵に一人十発ずつ砲を持たせ、三度目の砲声の後、しんがりを務める者に絶え間なく砲を放たせてください。そうすれば遠近の者はみな大軍が後に続いていると思い、平安は必ず驚いて散り散りになるでしょう」。劉江は兵を進め、平安と戦い、すべてこの策のとおりに運んで、大いに打ち破りました。永楽十七年、劉江は左都督となり、遼東を鎮守しました。諸島を巡視して地形を調べ、金州衛の金線島の西北にある望海堝が、高く遠くまで見渡せ、諸島から来る賊が必ず通る、海岸の要衝であることから、城砦を築き、烽火台を立てて見張ることを願い出ました。ある日、見張りが「東南の海上に夜、火が上がって光っています」と報告しました。劉江は賊がまもなく来ると見て、すぐに騎兵と歩兵を望海堝の上の小さな砦に送って備えさせました。兵をねぎらい馬に飼葉をやる様子は、まるで気にしていないようでした。都指揮の徐剛に山の麓に伏兵を置かせ、百戸の姜隆には壮士を率いてひそかに賊船を焼き、退路を断たせました。そして約束しました。「旗が上がり砲が鳴ったら、伏兵は奮って攻めよ。命令に従わない者は斬る」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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六韜・陰符武王 太公に問ひて曰く、「兵を引きて深く諸侯の地に入り、三軍 卒かに緩急あり、或いは利あり或いは害あり。吾 将に近きを以て遠きに通じ、中より外に応じ、以て三軍の用に給せんとす。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「主と将とに、陰符あり、凡そ八等。大勝克敵の符あり、長さ一尺。破軍擒将の符、長さ九寸。降城得邑の符、長さ八寸。却敵報遠の符、長さ七寸。警衆堅守の符、長さ六寸。請糧益兵の符、長さ五寸。敗軍亡将の符、長さ四寸。失利亡士の符、長さ三寸。諸そ使を奉じ符を行ふに稽留し、若しくは符の事 聞え泄るれば、告ぐる者 皆な之を誅す。八符なる者は、主将の祕聞にして、陰かに言語を通じ、中外相知るの術を泄らさざる所以なり。敵 聖智なりと雖も、之を能く識ること莫し」と。武王曰く、「善き哉」と。
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『韓非子』外儲説右上第三十四夫れ国にも亦た狗有り。有道の士、其の術を懐きて以て万乗の主に明らかにせんと欲するも、大臣猛狗と為りて迎えて之を齕む。此れ人主の蔽脅せらるる所以にして、有道の士の用いられざる所以なり。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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