六韜 / 陰符
武王問太公曰:「引兵深入諸侯之地,三軍卒有緩急,或利或害。吾將以近通遠,從中應外,以給三軍之用。為之奈何?」太公曰:「主與將,有陰符,凡八等。有大勝克敵之符,長一尺。破軍擒將之符,長九寸。降城得邑之符,長八寸。卻敵報遠之符,長七寸。警眾堅守之符,長六寸。請糧益兵之符,長五寸。敗軍亡將之符,長四寸。失利亡士之符,長三寸。諸奉使行符、稽留,若符事聞泄,告者皆誅之。八符者,主將祕聞,所以陰通言語,不泄中外相知之術。敵雖聖智,莫之能識。」武王曰:「善哉。」
新字:武王問太公曰:「引兵深入諸侯之地,三軍卒有緩急,或利或害。吾将以近通遠,従中応外,以給三軍之用。為之奈何?」太公曰:「主与将,有陰符,凡八等。有大勝克敵之符,長一尺。破軍擒将之符,長九寸。降城得邑之符,長八寸。却敵報遠之符,長七寸。警衆堅守之符,長六寸。請糧益兵之符,長五寸。敗軍亡将之符,長四寸。失利亡士之符,長三寸。諸奉使行符、稽留,若符事聞泄,告者皆誅之。八符者,主将秘聞,所以陰通言語,不泄中外相知之術。敵雖聖智,莫之能識。」武王曰:「善哉。」
書き下し
武王 太公に問ひて曰く、「兵を引きて深く諸侯の地に入り、三軍 卒かに緩急あり、或いは利あり或いは害あり。吾 将に近きを以て遠きに通じ、中より外に応じ、以て三軍の用に給せんとす。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「主と将とに、陰符あり、凡そ八等。大勝克敵の符あり、長さ一尺。破軍擒将の符、長さ九寸。降城得邑の符、長さ八寸。却敵報遠の符、長さ七寸。警衆堅守の符、長さ六寸。請糧益兵の符、長さ五寸。敗軍亡将の符、長さ四寸。失利亡士の符、長さ三寸。諸そ使を奉じ符を行ふに稽留し、若しくは符の事 聞え泄るれば、告ぐる者 皆な之を誅す。八符なる者は、主将の祕聞にして、陰かに言語を通じ、中外相知るの術を泄らさざる所以なり。敵 聖智なりと雖も、之を能く識ること莫し」と。武王曰く、「善き哉」と。
現代語訳
武王が太公にたずねた。「軍を率いて深く諸侯の地に入り、全軍に急な事態が生じ、有利なことも不利なことも起こる。わたしは近くから遠くへ連絡を通じ、中央から外の軍に応じて、全軍の必要をまかないたい。それにはどうすればよいでしょうか」。太公は答えた。「君主と将とのあいだには『陰符』があり、全部で八段階です。大勝して敵に打ち勝ったことを伝える符は、長さ一尺。敵軍を破り敵将を捕らえた符は、長さ九寸。城を降し邑を得た符は、長さ八寸。敵を退けたことを遠くへ報せる符は、長さ七寸。兵に警戒させ堅く守ることを伝える符は、長さ六寸。食糧を請い兵の増援を求める符は、長さ五寸。軍が敗れ将を失った符は、長さ四寸。戦いに利を失い兵を失った符は、長さ三寸です。およそ使いを命じられて符を届ける際にぐずぐずと遅れたり、符の内容が漏れ聞こえたりすれば、それを告げた者はみな処罰します。この八つの符は君主と将だけが知る秘密であり、ひそかに意思を通じ合い、中央と前線が互いに知り合う手立てを外に漏らさないためのものです。敵がどれほど聡明であっても、これを見破ることはできません」。武王は「よくわかりました」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』外儲説右上第三十四夫れ国にも亦た狗有り。有道の士、其の術を懐きて以て万乗の主に明らかにせんと欲するも、大臣猛狗と為りて迎えて之を齕む。此れ人主の蔽脅せらるる所以にして、有道の士の用いられざる所以なり。
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『潜夫論』勸將太古の民は、淳厚にして敦樸なり。上聖之を撫し、恬澹無為なり。道を体し徳を履み、刑を簡にし威を薄くす。殺さず誅せずして、民自ずから化す。此れ徳の上なり。徳稍く弊れ薄まり、邪心孳生す。次聖之を継ぎ、民を観て教えを設け、坐ながらにして誅賞を為し、威を以て之を勧む。既に五兵を作り、又た之が為に憲を以て正し厲ます。詩に云う、「爾の輿馬を修め、弓矢戈兵あり。用て戒めて則を作し、用て蛮方を逖けよ」と。故に曰く、兵の設けや久し、五代を渉曆して以て今に迄るまで、国は未だ嘗て徳を以て昌んにして兵を以て強きにあらざるはなし。今兵巧の械は府庫に盈ち、孫呉の言は将の耳に聒し。然れども諸将之を用いて進み戦えば則ち兵は敗れ、退き守れば則ち城は亡ぶ、是れ何ぞや。曰く、彼此の情、主上に聞こえず、勝負の数、将の心に明らかならず。士卒は進むも利無く、自ら退くも畏れ無き、此れ然る所以なり。
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『智囊』雄略・竇良女李希烈が汴に入ったとき、参軍の竇良の女を強いて娶った。女は父を顧みて言った、「慎んで戚うことなかれ。我は賊を滅ぼせる。」女は希烈の将の陳仙奇が忠勇であると聞き、よって希烈にこれを任ずることを勧めた。また、その妻もまた竇姓であると聞き、希烈に言って、通家して往来することを願い、以てその心を結んだ。希烈に疾があるに及び、竇女は間に乗じて仙奇の妻に謂って言った、「賊は強いといえども、終には必ず敗れます。どうしますか。」妻が仙奇に告げ、仙奇ははじめて悟り、医人に賂して毒殺させ、希烈は已に死んだ。子は喪を発することを肯んぜず、悉く諸将を誅して自ら立とうとした。たまたま桃を献じる者があり、竇女は分け遺って諸将に示し暇を示すことを請い、因って帛を染めて絮を裹み桃の状のようにして、書信をその中に藏した。仙奇の妻が桃を剖り、始めて希烈の凶信を知った。仙奇は兵を率いて入り、希烈の子を斬り、並びに希烈の一門を梟して共に七首し、天子に献じた。詔して淮西節度使に拝した。
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『智囊』經務・虞允文・韋孝寬・李崇先に是れ、浙の民は歳ごとに丁銭の絹紬を輸し、民子を生めば即ち之を棄て、稍や長ずれば即ち之を殺す。虞公允文は之を聞きて惻然とし、訪い知るに、江渚に荻場の利甚だ溥きもの有るも、世家及び浮屠の私する所と為れり。公は有司をして其の数を籍して以て聞せしめ、請うて以て民の身丁銭の輸に代えんとす。符下る日、民は歓呼鼓舞し、始めて父子生聚の楽しみ有るを知る。韋孝寛は雍州刺史と為る。先に是れ、路側に一里ごとに一土堠を置くも、雨を経れば輒ち毀る。孝寛は州に臨み、部内の堠に当たる処に但だ槐樹を植えしめ、既に修復を免れ、又旅行に便なり。宇文泰は後に之を見て、歎じて曰く、「豈に一州のみ爾るを得んや」と。是に於いて諸州をして皆里を計りて樹を種えしむ。魏の李崇は兗州刺史と為る。兗は旧より劫盗多く、崇は村ごとに一楼を置かしめ、楼には皆鼓を懸く。盗発するの処は、乱れ擊ち、旁村の始めて聞く者は、一擊を以て節と為し、次は二、次は三、俄頃の間に、声は百里に布き、皆人を発して険を守らしむ。是れに由りて盗は獲られざる無し。〔袁了凡曰く〕「薛季宣は武昌に令たりて、郷ごとに一楼を置き、盗発すれば、鼓を伐ち烽を挙げ、瞬息にして百里に遍く、事は李崇と合う。乱世に盗を弭むるの法は、此れより良きは莫し。独り宋の向子韶は呉江県に知たりて、太守孫公杰は每保に一鼓楼を置き、保丁五人もて以て巡警に備え、盗発すれば則ち鼓を鳴らして相聞かしめんとせしに、子韶は執りて不可とし、曰く、『闘争は此より始まらん』と。是れも亦た一見なり。大抵は機に相いて法を設くるは、其の人の方略の何如を顧みるのみ。唯だ刑を明らかにし、賦を薄くし、民を裕かにするは、盗を弭むるの本なり。
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『智囊』制勝・劉江建文三年七月、平安、真定より兵を率いて北平を攻め、平村に營す。城を離るること五十里、其の耕牧を擾す。世子、眾を督して固く守る。上、北平の圍まるるを聞き、劉江を召して策を問う。江、慷慨して行かんことを請い、遂に上と約して曰く、「臣、北平に至らば、炮響を以て號と為さん。一次の炮響は則ち圍みを決し、二次なれば則ち城に進む。若し第三次の炮響を聞かざれば、則ち臣は戰死せるなり。臣若し城に入るを得ば、城を守る者、救いの至るを聞きて、勇氣自ずから倍せん。宜しく軍士をして人ごとに十炮を帶びしめ、三次の炮響を俟ちて後、殿を為す者をして炮を放つこと常に聲を絕たざらしめば、則ち遠近皆な大軍の繼いで至ると謂い、平安必ず駭き散ぜん」と。江、遂に兵を進め、安と戰うこと、悉く其の策の如く、大いに之を敗る。永樂十七年、江、左都督と為り、遼東を鎮守し、諸島を巡視して、地形を相度す。金州衛の金線島の西北、望海堝は、地高くして望むべく、諸島の寇の必ず由る所、實に濱海襟喉の地なるを以て、城堡を築き、煙燉を立てて了望せんことを請う。一日、了者言う、「東南に夜、火を舉げて光あり」と。江、寇の將に至らんとするを計り、亟かに馬歩の官軍を遣わして堝上の小堡に赴き之に備えしむ。師を犒い馬に秣うこと、略々意に為さざるが如し。都指揮徐剛をして兵を山下に伏せしめ、百戶姜隆に壯士を帥いて潛かに賊船を燒き、其の歸路を截たしむ。乃ち之と約して曰く、「旗舉がり炮鳴らば、伏兵奮撃せよ。命を用いざる者は斬る」と。
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六韜・陰書武王 太公に問ひて曰く、「兵を引きて深く諸侯の地に入り、主将 兵を合はせ、窮まりなきの変を行ひ、測られざるの利を図らんと欲す。其の事 煩多にして、符もて明らかにする能はず。相去ること遼遠にして、言語 通ぜず。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「諸そ陰事大慮あらば、当に書を用ふべく、符を用ひず。主は書を以て将に遺り、将は書を以て主に問ふ。書は皆な一たび合はせて再び離ち、三たび発して一たび知る。再び離つとは、書を分かちて三部と為すなり。三たび発して一たび知るとは、三人を言ふ。人 一分を操り、相参して情を相知らざるなり。此れを陰書と謂ふ。敵 聖智なりと雖も、之を能く識ること莫し」と。武王曰く、「善き哉」と。
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