智囊 / 制勝・狄青
〔按〕是役,諫官韓絳言:「青武人,不足專任,請以侍從文臣為之副。」時龐籍獨為相,對曰:「屬者王師屢敗,皆由大將輕,偏裨自用,不能制也。今青起於行伍,若以侍從之臣副之,號令復不得行。青昔在鄜延,居臣麾下,沉勇有智略,若專以智高事委之,必能辦賊。」於是詔嶺南用兵,皆受節制。青臨行,上言:「古之俘馘奏凱,割耳鼻則有之,不聞以獲首者,秦、漢以來,獲一首,賜爵一級,因謂之『首級』。故軍士爭首級,以致相殺。又其間多以首級為貨,售於無功不戰之人,願一切皆罷之。」二條皆名言,可為命將成功之法。又青行時,有因貴近求從行者。青謂之曰:「君欲從行甚善,然智高小寇,至遣青行,可以知事急矣。從青之士,擊賊有功,當有厚賞;不然,軍中法重,青不能私,君自思之,願行則即奏取君矣。」於是無復敢言求從行者,即此一節,知青能持法,必能成功。又青既入邕州,斂積屍內有衣金龍之衣者,又得金龍楯於其旁,或言「智高已死,當亟奏!」青曰:「安知非詐,寧失智高,敢欺朝廷耶?」合觀二事,不唯不敢使人冒功,即己亦不敢冒不可知之功。
新字:〔按〕是役,諫官韓絳言:「青武人,不足専任,請以侍従文臣為之副。」時龐籍独為相,対曰:「属者王師屡敗,皆由大将軽,偏裨自用,不能制也。今青起於行伍,若以侍従之臣副之,号令復不得行。青昔在鄜延,居臣麾下,沈勇有智略,若専以智高事委之,必能辦賊。」於是詔嶺南用兵,皆受節制。青臨行,上言:「古之俘馘奏凱,割耳鼻則有之,不聞以獲首者,秦、漢以来,獲一首,賜爵一級,因謂之『首級』。故軍士争首級,以致相殺。又其間多以首級為貨,售於無功不戦之人,願一切皆罷之。」二条皆名言,可為命将成功之法。又青行時,有因貴近求従行者。青謂之曰:「君欲従行甚善,然智高小寇,至遣青行,可以知事急矣。従青之士,撃賊有功,当有厚賞;不然,軍中法重,青不能私,君自思之,願行則即奏取君矣。」於是無復敢言求従行者,即此一節,知青能持法,必能成功。又青既入邕州,斂積屍内有衣金竜之衣者,又得金竜楯於其旁,或言「智高已死,当亟奏!」青曰:「安知非詐,寧失智高,敢欺朝廷耶?」合観二事,不唯不敢使人冒功,即己亦不敢冒不可知之功。
書き下し
〔按〕是の役、諫官韓絳言う、「青は武人にして、専任するに足らず。請う、侍従の文臣を以て之が副と為せ」と。時に龐籍独り相と為り、対えて曰く、「属者、王師屡々敗るるは、皆大将の軽く、偏裨の自ら用いて、制する能わざるに由る。今、青は行伍に起こる。若し侍従の臣を以て之が副とせば、号令復た行われざらん。青、昔鄜延に在りて、臣の麾下に居り、沈勇にして智略有り。若し専ら智高の事を以て之に委ねば、必ず能く賊を辦ぜん」と。是に於いて詔す、嶺南の用兵は、皆節制を受けよと。青、行くに臨みて上言す、「古の俘馘奏凱は、耳鼻を割くこと則ち之有るも、首を獲るを以てするを聞かず。秦・漢以来、一首を獲れば、爵一級を賜い、因りて之を『首級』と謂う。故に軍士首級を争い、以て相殺すに致る。又其の間、多く首級を以て貨と為し、無功不戦の人に售る。願わくは一切之を罷めよ」と。二条皆名言にして、将を命じて成功せしむるの法と為すべし。又青、行く時、貴近に因りて従行を求むる者有り。青、之に謂いて曰く、「君、従行せんと欲するは甚だ善し。然れども智高は小寇なるに、青を遣わして行かしむるに至る。以て事の急なるを知るべし。青に従う士は、賊を撃ちて功有らば、当に厚賞有るべし。然らざれば、軍中の法は重く、青は私すること能わず。君、自ら之を思え。行かんと願わば、則ち即ち奏して君を取らん」と。是に於いて復た敢えて従行を求むる者無し。即ち此の一節にて、青の能く法を持し、必ず能く功を成すを知る。又青、既に邕州に入り、斂積せる屍の内に金龍の衣を衣る者有り、又金龍の楯を其の旁に得たり。或いは言う、「智高已に死せり。当に亟ぎ奏すべし」と。青曰く、「安くんぞ詐に非ざるを知らんや。寧ろ智高を失うとも、敢えて朝廷を欺かんや」と。二事を合観するに、唯だ人をして功を冒さしめざるのみならず、己も亦敢えて知るべからざるの功を冒さず。
現代語訳
〔按〕この戦いで、諫官の韓絳は言いました。「狄青は武人であり、一人に任せるに足りません。侍従の文官を副官にしてください」。そのとき龐籍が独りで宰相の任にあり、答えて言いました。「近ごろ王の軍がたびたび敗れたのは、大将の権威が軽く、副将たちが勝手に動いて、抑えられなかったからです。今、狄青は一兵卒から身を起こしています。もし侍従の臣を副官にすれば、号令がまた行き渡らなくなります。狄青は以前、鄜延にいて、私の配下におりましたが、落ち着きと勇気があり、知略がありました。もし儂智高の件をもっぱら彼に任せれば、必ず賊を片付けられます」。そこで詔して、嶺南の用兵はすべて狄青の指揮を受けることになりました。狄青は出発に臨んで上奏しました。「古代の捕虜や首の戦果報告では、耳や鼻を切ることはあっても、首を取ることは聞きません。秦・漢以来、首一つを取れば爵位一級を与え、これによって『首級』と呼ぶようになりました。そのため軍士が首級を争い、殺し合いにまで至りました。またその間に、多くの首級が商品となり、功のない戦わない人に売られました。どうかこれをすべて廃止してください」。この二条はどちらも名言で、将を任命して成功させる法となるべきものです。また狄青が出発するとき、権力者の縁で従軍を求める者がいました。狄青は彼に言いました。「あなたが従軍したいのはとても良いことです。しかし儂智高は小さな賊なのに、私を派遣するほどです。それで事の急を知るべきです。私に従う兵は、賊を撃って功があれば、厚い恩賞があります。そうでなければ、軍中の法は重く、私は私情を挟めません。あなた自身でよく考えなさい。行きたいと願うなら、すぐに上奏してあなたを取り立てましょう」。これ以降、従軍を求めるあえて者はいなくなりました。この一節だけで、狄青が法を堅く守り、必ず功を成すと分かります。また狄青は邕州に入ったあと、集めた屍の中に金の龍の衣を着た者がいて、金の龍の楯もそのそばにありました。ある人が「儂智高はもう死んだ。急いで上奏すべきだ」と言いました。狄青は言いました。「偽物ではないとどうして分かるのか。儂智高を逃しても、朝廷を欺くことはできない」。この二つの事を合わせて見ると、他人に功を偽らせないだけでなく、自分も確かでない功を偽らないのです。
解説
この章句が説くこと
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十七条憲法 第六条悪(あく)を懲(こ)らし善(ぜん)を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良典(りょうてん)なり。是(ここ)を以(もっ)て善人を匿(かく)すこと無く、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂詐(てんさ)する者は、則(すなわ)ち国家(こっか)の利器(りき)、人民(じんみん)の鋒剣(ほうけん)なり。亦(また)佞媚(ねいび)する者は、上(かみ)に対(むか)いては則(すなわ)ち好(この)んで下(しも)の過(あやまち)を説(と)き、下(しも)に逢(あ)いては則(すなわ)ち上(かみ)の失(あやまち)を誹謗(ひぼう)す。それ此(か)くの如(ごと)き人は、皆(みな)君(きみ)に忠(ちゅう)無(な)く、民(たみ)に仁(じん)無し。是(こ)れ大乱(たいらん)の本(もと)なり。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 魏犨、距躍三百三月、丙午、曹に入る。之を數むるに、其の僖負羈を用ゐずして軒に乘る者三百人なるを以てす。且つ曰く、「狀を獻ぜよ」と。僖負羈の宮に入る無くして其の族を免さしむ、施しに報ゆるなり。魏犨・顛頡怒りて曰く、「勞を之れ圖らず、報ゆるに何か有らん」と。僖負羈氏を爇く。魏犨胸を傷つく。公之を殺さんと欲するも其の材を愛し、問はしめ、且つ之が病を視しむ。將に之を殺さんとす。魏犨胸を束ね、使者に見えて曰く、「君の靈を以て、寧んずること有らず」と。距躍すること三百、曲踊すること三百。乃ち之を舍し、顛頡を殺して以て師に徇へ、舟之僑を立てて以て戎右と為す。宋人門尹般をして晉の師に如きて急を告げしむ。公曰く、「宋人急を告ぐ、之を舍けば、則ち絕たん。楚に告ぐるも、許さず。我戰はんと欲す、齊・秦未だ可ならず、之を若何せん」と。先軫曰く、「宋をして我を舍てて齊・秦に賂ひ、之に藉りて楚に告げしめん。我曹君を執へて曹・衛の田を分かちて以て宋人に賜はん。楚は曹・衛を愛す、必ず許さざらん。喜び・賂ひ・怒り・頑なり、能く戰ふこと無からんや」と。公說び、曹伯を執へ、曹・衛の田を分かちて以て宋人に畀ふ。
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『韓非子』外儲説右上第三十四文公曰く、「吾が民の喪資有る者は、寡人親ら郎中をして事を視しめ、罪有る者は之を赦し、貧窮にして足らざる者は之に与ふ、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「足らず。此れ皆産を慎む所以なり。而して之を戦はしむるは、之を殺すなり。民の公に従ふや、産を慎むが為なり、公因りて迎へて之を殺さば、公に従ふを為す所以を失はん」と。曰く、「然らば則ち何如にして以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「戦はざるを得ること無からしめよ」と。公曰く、「戦はざるを得ること無きは奈何」と。狐子対へて曰く、「信賞必罰、其れ以て戦はしむるに足る」と。公曰く、「刑罰の極は安くにか至る」と。対へて曰く、「親貴を辟けず、法愛する所に行はる」と。文公曰く、「善し」と。明日令して圃陸に田し、期するに日中を以て期と為し、期に後るる者は軍法を行はんとす。是に於て公の愛する所の者有り顛頡と曰ふ、期に後る、吏其の罪を請ふ、文公涕を隕して憂ふ。吏曰く、「請ふ事を用ひん」と。遂に顛頡の脊を斬りて、以て百姓に徇へ、以て法の信を明らかにするなり。而る後百姓皆懼れて曰く、「君顛頡の貴重に於けること彼の如く甚だしきなり、而るに君猶ほ法を行ふ、況んや我に於てをや則ち何か有らん」と。文公民の戦はしむ可きを見るや、是に於て遂に兵を興して原を伐ち、之に克つ。衛を伐ち、其の畝を東にし、五鹿を取る。陽を攻め、虢に勝つ。曹を伐ち、南のかた鄭を囲み、之が陴を反す。宋の囲みを罷む。還りて荊人と城濮に戦ひ、大いに荊人を敗り、返りて践土の盟を為し、遂に衡雍の義を成す。一挙にして八たび攻有り。然る所以の者は、他の故異物無し、狐偃の謀に従ひ、顛頡の脊を仮るなり。夫れ痤疽の痛みや、骨髄を刺すに非ざれば、則ち煩心支ふ可からざるなり。是の如くに非ざれば、人をして半寸の砥石を以て之を弾せしむる能はず。今人主の治に於けるも亦然り、苦有れば則ち安きを知らざるに非ず、其の国を治めんと欲するも、是の如くに非ざれば聖知を聴きて乱臣を誅する能はず。
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『韓非子』難四第三十九未だ齊の巧臣を知らずして、明亂の罰を廢し、未然に責めて、昭昭の罪を誅せざるは、此れ則ち妄なり。
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『春秋左氏伝』哀公二年 趙簡子の誓い秋、八月、齊人、范氏に粟を輸す。鄭の子姚・子般之を送り、士吉射之を逆ふ。趙鞅之を禦ぎ、戚に遇ふ。陽虎曰く、「吾が車少なし。兵車の旆を以て、罕・駟の兵車と先づ陳せん。罕・駟、後より隨ひて之に從ふ。彼吾が貌を見ば、必ず懼るる心有らん。是に於てか之に會せば、必ず大いに之を敗らん」と。之に從ふ。戰を卜す。龜焦(こ)ぐ。樂丁曰く、「詩に曰く、『爰に始め爰に謀り、爰に我が龜を契す』と。謀協ひて故を以てす、兆詢して可なり」と。簡子誓ひて曰く、「范氏・中行氏、天明に反易し、百姓を斬艾し、晉國を擅にして其の君を滅ぼさんと欲す。寡君、鄭を恃みて保たんとす。今鄭は不道を為し、君を棄てて臣を助く。二三子、天明に順ひ、君命に從ひ、德義を經(をさ)め、詬恥を除くは、此の行に在るなり。敵に克つ者は、上大夫は縣を受け、下大夫は郡を受け、士は田十萬、庶人工商は遂(すす)み、人臣隸圉は免ぜられん。志父罪無くんば、君實に之を圖れ。若し其れ罪有らば、絞縊して以て戮せよ。桐棺三寸にして、屬辟を設けず、素車樸馬にして、兆に入ること無からん。
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『韓非子』主道第五疏賤も必ず賞し、近愛も必ず誅すれば、則ち疏賤の者も怠らずして、近愛の者も驕らざるなり。
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