智囊 / 制勝・唐太宗
秦王世民至高墌,薛仁杲使宗羅日候將兵拒之,世民堅壁不出,諸將請戰,世民曰:「我軍新敗,士氣沮喪,賊恃勝而驕,有輕我心,宜閉壘以待之,彼驕我奮,可一戰而克也。」乃令軍中曰:「敢言戰者,斬。」相持六十餘日,仁杲糧盡,所部多降,世民乃命梁寔營於淺水原以誘之。羅日候大喜,盡銳攻之。數日,世民度其已疲,謂諸將曰:「可以戰矣。」使龐玉陣於原南,羅日候並兵擊之,玉幾不能支,世民乃引大軍自原北出其不意,自帥驍騎陷陣,羅日候軍潰,世民帥騎追之,竇軌叩馬苦諫,世民曰:「破竹之勢,不可失也。」遂進圍之,仁杲將士多叛,計窮出降,得其精兵萬人。諸將皆賀,因問曰:「大王一戰而勝,遽舍步兵,又無攻具,直造城下,眾皆以為不可,而卒取之,何也?」世民曰:「羅日候所將,皆隴外驍將悍卒,吾特出其不意破之,斬獲不多;若緩之,則皆入城,仁杲撫而用之,未易克也。急之則散歸隴外,折日候虛弱,仁杲破膽,不暇為謀,此吾所以克也。」眾皆悅服。
新字:秦王世民至高墌,薛仁杲使宗羅日候将兵拒之,世民堅壁不出,諸将請戦,世民曰:「我軍新敗,士気沮喪,賊恃勝而驕,有軽我心,宜閉塁以待之,彼驕我奮,可一戦而克也。」乃令軍中曰:「敢言戦者,斬。」相持六十余日,仁杲糧尽,所部多降,世民乃命梁寔営於浅水原以誘之。羅日候大喜,尽鋭攻之。数日,世民度其已疲,謂諸将曰:「可以戦矣。」使龐玉陣於原南,羅日候並兵撃之,玉幾不能支,世民乃引大軍自原北出其不意,自帥驍騎陥陣,羅日候軍潰,世民帥騎追之,竇軌叩馬苦諫,世民曰:「破竹之勢,不可失也。」遂進囲之,仁杲将士多叛,計窮出降,得其精兵万人。諸将皆賀,因問曰:「大王一戦而勝,遽舎歩兵,又無攻具,直造城下,衆皆以為不可,而卒取之,何也?」世民曰:「羅日候所将,皆隴外驍将悍卒,吾特出其不意破之,斬獲不多;若緩之,則皆入城,仁杲撫而用之,未易克也。急之則散帰隴外,折日候虚弱,仁杲破胆,不暇為謀,此吾所以克也。」衆皆悦服。
書き下し
秦王世民、高墌に至る。薛仁杲、宗羅日候をして兵を将いて之を拒がしむ。世民壁を堅くして出でず。諸将戦わんことを請う。世民曰く、「我が軍新たに敗れ、士気沮喪す。賊は勝つに恃みて驕り、我を軽んずる心有り。宜しく塁を閉じて以て之を待つべし。彼は驕り我は奮わば、一戦にして克つべきなり」と。乃ち軍中に令して曰く、「敢えて戦いを言う者は斬る」と。相持すること六十余日、仁杲の糧尽き、所部多く降る。世民乃ち梁寔に命じて浅水原に営して以て之を誘わしむ。羅日候大いに喜び、鋭を尽くして之を攻む。数日、世民其の已に疲れたるを度り、諸将に謂いて曰く、「以て戦うべし」と。龐玉をして原の南に陣せしむ。羅日候兵を並せて之を撃ち、玉は幾んど支うる能わず。世民乃ち大軍を引いて原の北より其の不意に出で、自ら驍騎を帥いて陣に陥る。羅日候の軍潰ゆ。世民騎を帥いて之を追う。竇軌馬を叩いて苦諫す。世民曰く、「破竹の勢い、失うべからず」と。遂に進みて之を囲む。仁杲の将士多く叛き、計窮して出で降る。其の精兵万人を得たり。諸将皆賀し、因りて問うて曰く、「大王一戦にして勝ち、遽かに歩兵を舎て、又攻具無くして、直ちに城下に造る。衆は皆不可と以為えるに、而も卒に之を取るは何ぞや」と。世民曰く、「羅日候の将いる所は、皆隴外の驍将悍卒なり。吾特だ其の不意に出でて之を破り、斬獲多からず。若し之を緩くすれば、則ち皆城に入り、仁杲撫して之を用いば、未だ克ち易からず。之を急にすれば則ち散じて隴外に帰らん。日候を折れば虚弱し、仁杲は破胆して謀を為すに暇あらず。此れ吾が克つ所以なり」と。衆皆悦服す。
現代語訳
秦王李世民は高墌に着きました。薛仁杲は宗羅日候に兵を率いて防がせました。世民は陣を固めて出ませんでした。諸将は戦うことを願い出ました。世民は言いました。「我が軍は最近敗れ、士気が落ちている。賊は勝ちに乗って驕り、我々を軽んじている。塁を閉じて待つのがよい。向こうが驕り、こちらが奮い立てば、一戦で勝てる」。そこで軍中に命じました。「あえて戦いを口にする者は斬る」。にらみ合うこと六十日あまり、薛仁杲の食糧が尽き、部下の多くが降りました。世民はそこで梁寔に命じて浅水原に陣を築かせ、敵を誘いました。宗羅日候は大いに喜び、精鋭を尽くして攻めました。数日して、世民は敵がすでに疲れたと判断し、諸将に言いました。「戦ってよい」。龐玉に原の南で陣を敷かせました。宗羅日候は兵を合わせて攻め、龐玉はほとんど支えきれませんでした。そこで世民は大軍を率いて原の北から不意に出て、自ら精鋭の騎兵を率いて敵陣に突入しました。宗羅日候の軍は総崩れになりました。世民は騎兵を率いて追撃しました。竇軌が馬の轡を押さえて懸命に諫めました。世民は言いました。「破竹の勢いだ、失ってはならない」。そのまま進んで城を囲みました。薛仁杲の将兵の多くは背き、手詰まりになって出て降りました。世民はその精兵一万人を得ました。諸将は皆祝賀し、尋ねました。「大王は一戦で勝ち、すぐに歩兵を捨て、攻城道具もなく、まっすぐ城下に行かれました。皆が無理だと思ったのに、結局取ったのはなぜですか」。世民は言いました。「宗羅日候の率いる兵は、皆隴の外の猛将や強兵だ。私は不意をついて破ったが、斬った数は多くない。もし緩めれば、皆城に入り、薛仁杲がなだめて用いることになり、勝つのが難しくなる。急げば散って隴の外へ帰る。日候をくじけば城は手薄になり、薛仁杲は肝を潰して策を立てる暇もない。これが勝てた理由だ」。皆は心から服しました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尉繚子・兵教下今戦国相攻め、大いに有徳を伐つ。伍よりして両、両よりして師、其の令を一にせず、率ね民心をして定まらざらしめ、徒らに驕侈を尚び、謀患辨訟し、吏其の事を究め、累ねて且に敗れんとす。日暮れ路遠く、還るに剉気有り、師老い将貪り、争掠して敗れ易し。凡そ将軽く、塁卑く、衆動けば、攻むべきなり。将重く、塁高く、衆懼るれば、囲むべきなり。凡そ囲むには必ず其の小利を開き、漸く夷弱ならしむれば、則ち節吝して食はざる者有り。衆夜撃つ者は、驚くなり。衆事を避くる者は、離るるなり。人の救を待ち、戦を期して蹙まるは、皆心失はれて気傷るるなり。気を傷れば軍を敗り、曲謀は国を敗る。
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『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。
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